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感受一下,实际如何于日本教授互动,回复具体提问

2022-05-14 07:41 作者:東大秋武ノ東京留学  | 我要投稿

这是某地方国立大学文学部教授的提问,分几次邮件的内容。实际发邮件的时候,要注意的是,结合自身实际书写能力,不能写的太高大上高难度,要根据自身理解加以调整内容和日语难度系数,否则一旦面试,落差太大,会被怀疑的,就说语言学校老师帮忙修改的就好。

Q:この「時代小説」とは日本のですか?卒業論文の概要も紹介してください。


是日本的小说。论文分为两部分:第一部分通过例举书中几段武士相关的情节,阐述《平家物语》的中心思想是“哀”;第二部分例举后世相关的武士题材小说作品及其中情节,阐述《平家物语》中“哀”思想的传承。选取的小说包括江户时代一篇(上田秋成《菊花之约》),现代三篇(小山胜清《岩流岛事件后的宫本武藏》,司马辽太郎《丰臣世家》,隆庆一郎《花之庆次》)。

はい、「平家物語」は、鎌倉時代に成立したと思われる日本の時代小説です。

私の卒論についてですが、大きく二つに分かれ、第1部では主に、「平家物語」の作品中に描かれた「侍」の人物像を中心に、当時の人々の考えや価値観・道徳観などが色濃く反映された代表的な場面や特定の部分についての、解釈・解読をしながら、「平家物語」の一番核心とされる「哀れ思想」について述べました。第2部では、後世に現れた「侍」題材の小説作品および詳しい内容を挙げて、「平家物語」作人中の「哀れ」思想の伝承について重点的に述べました。

Q:「侍」文化は日本だけでなく、中国文学にも見られるということでしょうか?「侍」や「「侍」文化」の定義を説明する必要があると思います。


士定义:中国先秦时期划分的“四民(士农工商)”之一,一般情况下以辅佐君主、获得俸禄为生,是贵族的基础、也是庶民中的最高级者。后来随着中国古代科举制度的出现和发展,逐渐转化为对“读书人”的代指。

士文化方面:本人认可中国最早的儒家经典《论语》中曽子对于士的定义:“士不可以不弘毅,任重而道远。仁以为己任,不亦重乎?死而后已,不亦远乎?”由此可见曽子认为士需要兼备“弘(目光远大)”“毅(坚守信念)”这两种精神品质。探讨这两种精神或描写具备这两种精神的人的文学作品,就可以称为“士文化”的文学。

「侍」の定義についてですが、先秦時代の「四民『士農工商』」という身分階層制度の一つで、一般的に君主の側近で伺候(しこう)する仕える者を指していて、貴族の身分よりは低いものの「下級貴族」若しくは「準貴族」の階級に属され、一般の庶民の最高身分でもあったと言われています。その後、中国の学科試験による官史登用制度であった「科挙」制度の影響を受け、徐々に「知識人」の代え名となったとされています。

「侍文化」についてのですが、私は「論語」で曽子の解釈:「士不可以不弘毅,任重而道遠。仁以為己任,不亦重乎?死而後已,不亦遠乎?」に一番共感を感じ、彼の主張である「弘」と「毅」のスピリチュアルな素質の兼備が必要不可欠な条件だと思います。ここでの「弘」は「先見の明がある」という意味で、「毅」は「信念を貫く」を意味し、こういった二つの精神の論じている作品と二つの精神の兼備を論じている文学作品を総じて「侍文化」の文学作品であると思っています。


Q:この時期以前には両国文化に差異がなかったということですか?

我的看法并不是在宋以前两国文化间没有差距,而是“士文化”间的差距在其后“大大地”“加剧”了。从宋代开始中国的社会变革对本土士文化的变化产生了巨大影响。例如宋代文官治国的国策、扩大科举考生范围使农家子弟可以靠读书做官等等,都造成了中国文武兼修的传统士人文化遭到了重大冲击,乃至于渐渐衰落。

私の考えとしては、宋時代までの両国文化間には特にそれ程の大きな違いがなかったと理解しています。しかし、宋の時代に現れた官史登用制度であった、科挙制度の実施・拡大によって、農民の子供でも読書で役人になれたゆえ、中国古代からの文武を兼修してきた伝統的な侍文化は重大な衝撃を受け衰えてしまい、この「侍文化」の衰退変化により両国間の文化の差異にも乖離が大きく生じたと思われます。


Q:中国に文学作品の中にある中国特有の「侍文化」と「士人階級」にある特有の「使命感・栄光感」についてもう少し詳しく説明してください。

所谓的“使命感与荣耀感”源自于中国古籍《春秋左氏传》的段落,“‘太上有立德,其次有立功,其次有立言’,虽久不废,此之谓三不朽。”既是把”立德(创立规制流传后世)“作为自己最高的人生价值与奋斗目标。我在其他国家的士文化中没有看到这一点,所以认为这是中国士人中所特有的。

「使命感と栄耀感」とは、中国の古籍『春秋左氏伝』によるものです。「『太上有立德,其次有立功,其次有立言』,虽久不廃,此之谓三不朽。」。つまり、「立徳(規制を立てて後世に伝承させる)」を自身の最高人生価値と目標とすることです。他の国の侍文化には、類似な視点を見つからないゆえ、これは中国の侍の特徴でしょう。

Q:たとえばどの作品にどのような「侍文化」の表現が見られますか?

曹操:在《蒿里行》中,通过回忆自己壮年时与诸侯会盟、共伐董卓的往事,揭露军阀们在利益驱使下由“义士”到“自戕”的丑态,对于百姓“白骨露於野,千里无鸡鸣”的遭遇表示了同情。体现了士人勇于对抗不义、心系苍生。

曹丕:在《大墙上蒿行》中的开篇,描写以为士人,在“阳春无不长成”并自知“生居天壤间,忽如飞鸟栖枯枝”的情况下,依然抵制了丰厚待遇的诱惑,选择隐居。体现了士人的高尚情操和刚毅心性。

曹植:在《白马篇》中有“捐躯赴国难,视死忽如归”的的诗句,描写守边者为了国家大义甘愿赴死的高尚情怀。

曹操は:自作の詩「蒿里行」にて、諸侯と同盟を組み、董卓を討伐した自身の壮年時期の武勇伝を描き、軍閥ともが利益に駆り立てられたゆえ、「義士」から「無謀者」へ堕落した醜い姿を暴き、民が遭った「白骨露於野、千里无鶏鳴」の凄惨な遭遇に同情の意を表しました。

曹丕は:「大上墻蒿行」の冒頭にて、侍というものが、「陽春無不長成」および「生居天壤間,忽如飛鳥栖枯枝」を知る限りに、豊かな待遇による誘惑を断って、隠遁の生活を選ぶものを差し出しました。侍というものが持つ高尚な節操と毅然とした心を表しました。

曹植は:『白馬篇』にて、「捐躯赴国難,視死忽如帰」の詩をもって、国境の守護軍は大義のために身を投げ出す高尚な節操を謳えました。


Q:どのような視点でしょうか?

日本文学是说力图摆脱中国传统文学中“教化”思想的影响,以日本人的文学手法为思路解读中国作品,注重剖析作者的内心感受,体会选用表现手法众中包含的深意。

私は「日本文学は繊細な感受性を源泉とした調和のとれた自己感想表現の手法を重んじている」部分に共感しているので、つまり、中国の伝統的文学にある「教化」の思想は限りなく薄まれ、日本文学の手法から中国の作品を改めて解読し、心情や思い読み取り、その表現手法に含まれた真意に辿り着こうと考えます。


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