【日本小5道德】5#站前广场是谁的
駅前広場は誰のもの(站前广场是谁的)
六月になって、私は市営プールに泳ぎに行くようになり、家の近くの駅から電車に乗ることが多くなった。駅前の小さな広場を通るたびに気になったのは、自転車が沢山置いてあることだ。
(六月起,我开始去市营泳池游泳,经常在家附近的车站乘电车。每次经过车站前的小广场的时候,都很在意停放着的数量众多的自行车。)
「ここは自転車置き場ではありません。」と書いてあるところに堂々と置いてあるのだから、持ち主はどんな人かと思ってしまう。歩く人は、自転車を避けながら駅に向かわなければならない。
(光明正大地在写着“此处不是自行车停放处。”的地方停放自行车,不禁想车主是个怎样的人。路人们在走向车站时不得不避让着自行车。)
皆が使う広場なのに、どうしてこうなってしまうのだろう。私は、腹立たしさを感じながら、ジグザグに歩いて駅に入っていく。
(明明是大家使用的广场,为何会变成这样呢?我感到很生气,曲曲折折地走进车站。)
少し先にある自転車置き場は、整理員の人がきちんと整理してくれていて、いつもゆとりがある。どうしてそこへ置かないのだろうか。
(在稍微前面一点的自行车停放处,整理人员将车整理得整整齐齐,总是留有余地。为什么不停放在那里呢?)
私が住んでいるアパートの玄関の前だってそうだ。駅に近いので、ここに住んでいない人でもよく自転車を置いていって、通り道が塞がれて通れないこともあった。
(我所居住的公寓的玄关前也是这样。因为距离车站很近,就算不是住在此处的人也经常将自行车停放在这里,堵塞道路无法通行。)
どうして他の人のことを考えられないのだろう。
(为什么不能考虑他人呢?)
駅前広場のことが、地域の子供会で問題になったのは、夏休みの始まる前のことだった。
(在暑假开始前,站前广场的事受到了地区儿童会的关注。)
六年生の洋子さんから、駅前広場のごみと自転車をどうにかしたいということが提案されたのだ。
(六年级的洋子提出想要解决站前广场的垃圾和自行车的问题。)
その提案に賛成したのは、初めはほんの数人だけで、ほとんどの人達は、「紙くずは散らかす人が悪いんだ。」「駅前広場に、自転車を置かなきゃいいんだ。」などと言って、賛成してくれない。すると、この発言を聞いていた子供会の世話人のおじさんが、「この町のためになるなら、私達も協力するよ。」と、応援してくれた。五年生の光男さんも、「僕達もやろうよ。掃除だけじゃなく、『ここに自転車を置かないでください。』とか『紙くずを捨てないでください。』などの看板を作って取り付けたら。」と言った。この意見には、皆賛成した。そして、板に白いペンキを塗り、その上に字を書いて看板を作り、警察や駅の人と相談して決めたところに取り付けることになった。
(最初只有寥寥几人赞成该提案,大多数的人们都不赞成,说“是扔纸屑的人不对。”“不要在站前广场停放自行车就好了。”等等。于是,听了发言的儿童会的负责人叔叔声援道:“既然是为了这个城镇,我们也来帮忙。”五年级的光男也说道:“我们也来吧。不只是打扫,还要制作‘请勿在此处停放自行车。’或是‘请勿扔纸屑。’等标牌装在那里如何。”大家都赞成他的意见。于是,大家在木板上涂白色油漆,然后在上面写字制作标牌,和警察以及车站的人员商量之后,将标牌装在了指定好的地方。)
こうして、広場の清掃は、夏休みの間、毎週、火曜日と金曜日に行われるようになった。皆で箒を持ち一生懸命に綺麗にした。取り付けた看板もよく目立つ。近頃では、置かれている自転車も段々減ってきている。
(就这样,暑假期间,每周二、周五进行广场的清扫。大家拿着扫帚拼命将广场弄干净。装好的标牌也很醒目。近来,停放着的自行车也渐渐少了。)

