冲绳古传空手道中的气功与中国武术关联
Ryukyu Martial Arts: A Brief Outline of Okinawan Kiko (沖縄気功)
在此网站看到一个外国人学了古传空手道最后练成像中国硬气功。都是英文查找有困难。简单的说在古传空手道有类似中国练丹田气,小周天,大周天功法。只是不用这些术语而已。
老外展示金钟罩,铁布衫,硬气功(琉球唐手师傅)_哔哩哔哩_bilibili
在B站也有发现视频。

わたくしの教えを受けた古伝の「手」をご紹介します。 “立ちて身を整え 動して身を移し 処に発し奇正(気勢)を生む” と言います。站トウの概念は中国独自のもので、普通の沖縄空手には 流入されていないと思います。(知見の低いわたくしは知りません。)
わたくしの別系統の武術の師兄が“意拳”の真伝を継承していますので、 多少の站トウ(站チュン)の手解きはうけましたが、あのような発想は 沖縄もしくは琉球にはなかったと思っています。意念自体が秘伝ですので、 知らないだけなのかもしれませんが、白鶴拳系では寡聞にして知りませんし、例えば、八極門で騎馬式を練ることとは相当違います。
しかし、古伝“ナイハンチ立ち”で軸(体幹)に呼吸を巡らす稽古は致しました。 後にそれが“小周天”と同じである事を知りました。 古伝の“サンチン”は剛の気功(法)と解して教えを受けました。ただし、 誤解のないように語付しますが当時は気功と言う言葉は使っておりません。 後に交換教授で蔡李佛家拳の中で気づいたモノです。 (サンチンの教えは“気”という言葉ではなく“精”もしくは“勢”と言いました。) 今おこなわれている“三戦”とは違い、わたくしどもの“サンチン”は開手です。
「剛柔流」でも無ければ「上地流」でもありません。単に「手」と言ってました。 師は那覇出身の方で、鬼籍に入って久しいですが古流沖縄手の達人でした。 その師に比べれば、まだまだの技量ですが、大切な事は“型”(≠形です…) の中にあるのではなく、型の中から導き出せるよう悟る事が大切で、 そのために実戦を積めと教えられものです。
“サンチン”は、さしずめ“剛”の発勁のつくりとも言うべき鍛錬形です。 これは本土の“練丹”にとても似た要素が多分に秘められているものです。 これに反し“ナイハンチ”は静の“発勁”のつくりで、中心軸を撓らせ振動させる 身体づくりを要求され、その体動はクンフーの抖勁に近いものです。 力を抜ききらないと本当の“ナイハンチ”の体動は絶対出来ません。
“ナイハンチ”の神髄は突きの貫通力を会得するための鍛錬形として わたくしは解しておりますし、事実そう教示を受けました。
【補足】 昔、南郷継正氏がその著書の中で“武道の土台”に就いて論じて 一世を風靡しました。それは空手の各種の“立ち方”で強固な土台 を完成させると言うモノでした。昨今の空手でも“騎馬立ち”を長時間 やらせる道場も多いと思います。これは普通に昔からあった稽古法です。
わたくしは冒頭に“立ちて身を整え”と記しましたが、ただ立っていれば良い ということではありません。北派中国拳法に原則共通する8つの“架式”、 つまり立ち方を“八大式”と言って最初に教える基本功があります。“架式” は“站椿”の一形態に過ぎません。“站椿”は門派ごとに口訣がありその典型が “意拳”のそれに集約されているとも言えます。“馬式”一つとってみても、 その立ち方に“内練一口気”の口訣があるかどうかで“気勁”を感得 する事が出来たり出来なかったり、出来ても時間が掛かるものです。
又 “馬式”一つとっても北派と南派だから違うと言うものではなく門派を越えた 伝承体系にあります。例えば歩幅の口訣も様々です。“一膝之矩” と教える門派もあれば南派“周家門”や“白鶴拳”のような“狭馬”は 北派にもあります。“立ちて身を整え”と言うのは、“天地と導管させる。” と言う事です。“気”を導き周天させるのです。これは“站椿”の過程的手段。 普通の強健法はここまでが一つの臨界点です。そしてその延長に“武”があり 更に、“意念”で自由に“重み”を自在に動かすようにしたり、硬功のように “体面を固くしたり”はたまた、“体を隆起”させたり、“筋を太くしたり”。 切りがないのでこの辺で止めますが、ただ立っていても出来る術とは 残念ながら次元が異なるものです。
わたくしの“太極門”では“内勁” 開発の準備とするものでした。そう言う“術法”は古来の日本には 出来る人もいたかもしれませんが、体系化されることは無かったし、 少なくとも文献で明晰に謳っているものは極一部の古流剣術位で、 今の沖縄に独自に発展した姿では存在しないとするのがわたくしの とる立場です。
わたくしが相伝で受けた“ナイハンチ立ち”はですから 本来の“站椿”とは呼べません。しかし、一人の天才が行き着く 場所は同じかもしれず、わたくしの「手」の師匠はそこまで知っていた かもしれません。ただしそれは古伝の“手”・“沖縄空手”としての “武”の文化として存在していたかどうか、更なる考証の必要性を 認めるものです。
そう言えば極真館の廬山先生が若くして会得した “三円式立功”は“站椿”です。空手の稽古から出たモノではなく “意拳(=大成拳)”の一部を学んで日本で広められた“太気拳” の沢井宗師のものです。

