私と小鳥と鈴と・金子みすゞ 日文念书

みんなちがってみんないい
「みんなちがってみんないい」という『私と小鳥と鈴と』の中の一節は、政治用語である、ダイバーシティや多様性よりも、ずっと多くの人々に響くのではないでしょうか。
政治の世界では、自分と異なる意見を排除しようとする人が少なくありません。議論の前提として「お互いの違いを認める」ことが大事なのですが、このコミュニケーションの基本を知らない人が多いのです。
政治の世界では「分断」がつきものにようになっています。右と左、保守とリベラル、上流と下流などなど……。意見が異なるグループが存在し、お互いを批判し、分断という深い溝は埋まる気配さえ見えません。
世の中を自分たちの都合のいいようにコントロールするために、工作として「分断」を起こす場合もあるのです。
大事なのは、対話(コミュニケーション)です。二つに分かれていることは不幸にも見えますが、実はお互いをより深く知るチャンスでもあります。
意見が異なるのは、それ自体は悪いことではありません。異なることで、相手を過度に憎んだり、誹謗中傷を浴びせたりするのが悪いのです。
意見が対立していても、対話を粘り強くすることで、AとBのステージにとどまっていた意見が、Cというより高く、豊かなステージに到達できるかもしれないのです。
最初からみんな同じ意見ならば、より高く豊かなステージを目指すことさえしないでしょう。
私はこれまで何回ともなく、分断を解消するための対話の必要性を説いてきました。しかし、なかなか実現しません。
お互いの違いを認め合い、違いを生かして、より豊かな世界を実現しましょう……となるためには、技術論や方法論ではなく、人間への大きな愛が必要だと最近、痛感するようになりました。
「異なることを認め合う豊かな世界」を、金子みすゞが詩によって豊かに表現してくれました。
どうして、それができたのか?
金子みすゞが、詩の名人だからではありません。
金子みすゞの純粋で大きな愛が、尊い気づきを、私たちに与えてくれているのだと私は思います。
摘自:https://kazahanamirai.com/minnachigatte-minnaii.html