呉夲の伝説(二)「第二回」(終)
呉夲の伝説(二)「第二回」
太妃に直接に手で触れることできないので、呉夲は絹糸で脈を取りました。最初は、彼は太妃の脈搏が木のようだと判断しました。皇帝は驚いて、確かにベッドの足に絹糸を結ぶようにと命じたからです。「偶然かもしれない。」と思って、皇帝は再び猫の足に絹糸を結ぶことを命じた。でも、もう一度呉夲に見破られました。終わりにあたって、皇帝は彼を完全に信じるようになって、安心して太妃の病気を彼に治させました。
呉夲が治している間、太妃は徐々に健康を回復しつつありました。皇帝は大喜んで、呉夲に多くの金銀財宝を贈った、それに御医に任命したいのでした。
でも、その任命に対して、呉夲は断った、「富貴な生活は私の願いじゃありません、もっと貧しい人々救いたい、聖上が許してくれるお願い申し上げございます。」と言いました。
皇帝は引き止めることができなくて、彼を「妙道真人」と冊封した、そして、自ら皇居から送り出しました。
呉夲の伝説(終)
以来、呉夲は弟子と一緒に薬箱を背負って、各地を巡回している一方で、地元民らの難病を治しました。金を取らずとも、病気も治療を施しました。始めから終わりまで、彼は人民を救おうという信念を堅持していました。それで、彼は大変民衆に歓迎されていました。
晩年、故郷に帰りました。海滄青礁で、岐山、東鳴嶺、龍湫坑の間に井戸を掘ったり、泉を取ったり、薬草を採取したり、薬を精製したり、貧しい患者に届けました。
ある日、彼は龍池岩に登って薬草を採取しているところ、不幸に崖に転落してしまいました。けがが酷かったので、治れなくて、家で亡くなりになりました。
呉夲の逝去のニュースが伝えられた後、涙を出さない者はありません。彼に報いるために、人民は金を集めて、龍湫廟を建てて、彼を記念しました。百年後、宋高宗は特別に欽差大臣を派遣して、皇居のような、「 慈済宮 」を建てて、呉夲を祀って、「保生大帝 」と呼ぶのでした。
原案:古明地江風
監修:中南大学譚蓓助教授