プロ雀士スーパースター列伝 本田朋広 編

最近精力和财力双双告急,实在是搞不定翻译了,姑且先把日文原文搬过来。
万一上天眷顾有大佬有意向翻译的话请随意使用!
内容真的很好,希望能有更多人读到。

作者:黑木真生
原文网址:https://note.com/kinmakuroki/n/nbfe66711ad25 (上篇)
https://note.com/kinmakuroki/n/na337e96695dc (下篇)

【ホンマは賢い本田】
ウィーンのインターコンチネンタルホテルで昼食を取っていたら、目の前に本田朋広が座った。
「ここ、いいすか?」と言いながら座り、グラスに入った、スイーツ的なものにスプーンを突っ込んではかきとって口に運んだ。
「これ、うまいっす。こっちきて、ずっとこればっかし食べとります」
本田はそう言って、本当にうまそうにそれを食べ続けた。

「こっちきて思うんが、オレ、ずっと半笑いで笑われとるんすよ。飛行機の中でも、何言われて、何言うても、飛行機のお姉ちゃんが、半笑いすわ。こっちきてホテルついても、何か言われて、俺が何か言うたら半笑いすわ。日本とぜんぜん変わらんのすよ」
それを聞いて、私も笑った。
「まあ、そりゃいいんすけどね。そういや黒木さん、この後はどないするんですか?」
私は土産物を買いに行こうと思っていると本田に言った。
「それ、ついてってもええがですか? 僕もちょっと買いたいもんがあるんで」
かまわんよ。
そう言って連れ立ったのだが、本田は一向に買い物をしない。
私は3軒ぐらいの店を回って、それなりに土産の品を買ったところで、気づいた。
お前、何も買わんのか?
「あんまり買いたいもんが、ないがです」
それでやっと気づいた。
彼はただ私のお供をしただけなのである。
それを悟られぬように付いてくるためには「自分も行っていいですか」と言うのが一番良い。私が「やめてくれ」とは言わないからだ。
もし、普通に「一緒に行きましょうか?」と言われたら、私の性格なら「必要ない」と言うだろう。
後輩に負担をかけたくないからだ。
こいつは案外、アホのフリをして賢い奴なのかも知れぬ。そのように思った。
彼は彼で、道中、私に色々なことを聞いてきた。お供をしつつも、情報を聞き出したり、解消したいことがあったのかもしれない。
そう考えると、ますますこやつの「アホ」は「フリ」なのかもしれん。そう思った。と、同時に、本田が人に好かれる理由が分かった。

【本田への借り】
実は私は、本田に大きな「借り」を作って、そのままになっている。
2021年の「EX風林火山-ドラフト会議指名選手オーディション」では「団体推薦選手」に「アドバンテージポイント」が与えられていた。
私は日本プロ麻雀連盟内の序列に従って上から順に連絡をし、出場意思の確認をした。もともと出ないつもりの選手でも「アドバンテージポイント」があるなら出たいというケースがあるからだ。
序列は上位リーグの期首順位によるものだった。それと、タイトルホルダーは優先される。
本田はグランプリのチャンピオンだったため、当然その資格があった。
だが、私が「本田にも連絡しなきゃ」と言ったら、そこにいた全員が「本田は富山のお店経営があるから絶対に東京には出てきませんよ」と言う。
私も「そっか」と信じてしまい、本田には連絡をしなかった。
そしたら、知らぬ間に本田がエントリーしていたのである。

私は慌てて本田に電話を掛け、正直にいきさつを話した。本来は君がポイントをもらう権利がある。だが、私のミスで、他の人にその権利を上げてしまった。お詫びのしようもない。
本田は笑いながら「いいっすよ。その分麻雀で勝ちますから、気にせんといてください。ホンマに勝てるかは分かりませんけど」と言った。
それは私に媚びているというのではなく、本田の人間性が言わせたのだと思った。おそらく彼は、私がペーペーの20代だったとしても、同じように笑って許しただろう。そういう男だということが分かった。
本当にすまない。何かしら、絶対にこの穴埋めはする。
「ほんまですか。そしたら僕は、黒木さんに貸しができた分、得しましたね」
そうやって本田は許してくれたが、私にはこの「借り」を返済するめどはたっていなかった。
ちょっとした番組に出してやるぐらいじゃ埋め合わせできんよな。いくつか、私ができることをやっていくしかない。そう思っていた。
本田の予選での成績は良かった。順調に勝ち進んで注目選手の1人になっていった。
私は借りが返せたわけではないが、本田が勝ってくれて、気持ち的には救われていた。
もうすぐベスト8が決まろうというところで「雷電」の高柳監督から連絡があった。
監督は「本田さんってどんな人ですか?」と言う。
見た目も良いし、グランプリも連覇しているし、最強戦でも、オーディションでも勝っていた。監督と同じ北陸の人間でもある。監督は本田に興味を示している。
私はここで「借り」を返すことを考えても良かったのだが、それはちょっと違うと思った。監督は私を信用して相談してくれている。
だから、正直に答えた。

今は調子が良くてどんな試合でも勝ってます。正直、実力がどうとかは、僕には分かりません。でも「運」を持った人なんじゃないかと思います。その「運」は彼の人格によるものかもしれません。実はこういうことがありました。
私は、自分の失態と本田の対応を監督に話した。人間・本田はこういう奴ですと。
その時点で監督は「雷電」の選手たちにもヒアリングを終わらせていたようだった。誰からも悪い話は聞かないし、むしろ仲間として歓迎されそうだということだった。
その後は監督が決めたことなので、私には細かい経緯は分からない。
結果的に本田は決勝戦で敗れ、しかし、その年のドラフト会議で「雷電」から指名を受けMリーガーとなった。
彼は彼で目的を達成してしまったわけで、私の「借り」は返すアテがさらになくなったのである。
【衝撃のノーテン宣言】
Mリーガーになった本田だったが、初年度は良い成績を残せなかった。
2年目も開幕から連続ラススタートだったが、その後調子を上げた。
すでに11試合中5回のトップを獲得し、臨んだ12月6日の第1試合オーラス。
親の本田朋広(TEAM RAIDEN/雷電)はノーテンを宣言した。テンパイしていたし、2着目の「EX風林火山」二階堂亜樹との点差は2,400しかなかった。
もし、亜樹がテンパイならトップ逆転である。トップの順位点は5万点で、2着の順位点は1万点だ。上下の差は4万点で、子の役満よりも大きい。
普通なら、亜樹がノーテンだと確信していても「やっぱりとりあえず開けておこう」とテンパイを宣言するものだ。
だが、本田は「それ」をやり切った。
私は本田に電話を掛けて「去年、同じ状況があったとして、同じことができたか?」と聞いた。本田は「絶対にできんかったと思います」と答えた。
ではなぜ、今年の12月6日に「それ」ができたのか。

【子供の霊】
本田朋広は3人兄弟の末っ子だ。兄が2人いて、それぞれが4つずつ離れているから、長男との差は8つある。
そうか。本田家の長男と私が同世代だから、本田は私世代のオッサンに可愛がってもらえる「ツボ」を心得ているわけだ。
中学高校時代はよく学校をサボった。すごくグレたわけではないが、無意味に学校をサボって街をブラブラして補導されたこともあった。
どうしても嫌なことがあったとか、そういうわけでもないのに、高校は中退してしまった。
ずっと甘やかしてきた本田の両親が「さすがにまずい」と思ったのか、本田をお寺に連れて行った。
「お坊さんが、この子には、遊べんで死んでしもた子供の霊がまとわりついとる、言いよんですわ」
そのお寺、大丈夫なんか?
「ちゃんとした有名なお寺だそうです。ほんで、その子供の霊が遊ぼう遊ぼう言うて、ほんで僕も遊び惚けてしもうて、学校をやめてしもたっちゅうわけですわ」
そんなんで本田家の人々は納得したのか。
「まあ偉いお坊さんがそない言うとんやからということで。ほんで一応は除霊言うんですかね。やってもろてしまいですわ」
除霊して、それで本田少年は遊び惚けなくなったのだろうか。
「除霊の効果いうのは分かりませんけど、親に対して、こんなお寺まで連れてこさして、心配してくれとんのやなーと。それまでは、ただ面倒くさいっちゅうか、うっとおしいっていう感情ばかりやったんですけど。よう見たら2人とも年もとってきよるし、もうあんまり心配かけたらアカンて思うようになって、もっぺん勉強して大検(大学入学資格検定)を受けたんです」
本当にそういう霊がついていたかどうかは分からない。除霊の効果があったのかどうかも分からない。ただ、実際に本田はその頃から真面目になり始めた。大検に合格し、金沢星稜大学にも合格した。
ちなみに、今は大検は廃止され、高等学校卒業程度認定試験(通称高認)に合格すれば大学受験をすることができる。大検はこの高認よりも合格が難しいものであった。
【自分が遊ぶための店】
真面目になった本田だったが「遊びを大切にする」ことは忘れていなかった。
中学時代、少年マガジンに連載されていた「哲也」の影響でクラスで麻雀が流行った。
以来、麻雀は好きで、いつか自分で麻雀屋をやりたいと思っていた。
大学を卒業して実家に帰って来ると、地元の麻雀荘でアルバイトを始めた。自分の店を出すためのノウハウを得るためであり、開店資金を貯めるためであった。実家暮らしの利点を生かして、コツコツと金を貯めた。500万円ぐらいになったところで、店を出した。
資金は潤沢と言えなかったので、中古の卓やサイドテーブルを購入してしのいだ。
だが、店はうまくいき、1、2年で卓などを新調することができた。
「麻雀はおもしい(富山の方言で面白い、の意)し、こんなおもしいんやったら、自分の店があったら延々と麻雀しとれるわっていう、子供みたいな発想やったんです」
やっぱり、子供の霊は除霊できていなかったのではないだろうか。
いや、もしかしたら、子供の霊は本田の本質そのものというか、彼の一部なのではないだろうか。
お坊さんは除霊したのではなく、本田に「親の気持ちを慮る大人の精神」を植え付けたのではないか。
あのお寺でそういう措置があったから、人に配慮し優しくできる大人でありつつも、子供のように遊び惚けるピュアな心を持った「ともくん」が出来上がったのではないか。
本人の話を聞いていて、そう思えてきた。
しかし「ともくん」の遊び場にすぎない雀荘が、なぜ成功したのか。
「ただの運ですわ、これは。たまたま、店を出したところに40代から60代のお金と時間に余裕のある、ええお客さんがようけおったんです。別に僕はリサーチもしなかったし、なーんも考えんと、そこに店を出したんですわ」
そんなこと、あっていいのだろうか。いや、仮にあったとしても、さすがにちゃんと経営しないと、どこかで狂いが生じてしまう。客商売とは、そんなに甘いものではない。
「それが、僕は経営者というよりも、ただのオーナーに近いんですわ。実際の経営をしてくれる、7つ年上の人がおって、その人が優秀だったんです。麻雀も、最初はその人の方が強かったし、経営についてもリードしてくれてました。僕は正直、店で遊んどっただけです」

【プロ業界への憧れ】
店はずっと順調で、本田の生活にも余裕があった。
東京の雀荘の視察という名目で、時々上京している間に、プロ麻雀界とのつながりができた。
雀荘で働いている若手選手と知り合ったという程度だったが、それが本田の人生には影響を与えたのだった。
実家ではCSの「MONDOTV」を見ていて、滝沢和典や佐々木寿人に憧れていた。
「いつか自分も、あの人らと打てたらええなあぐらいで。そんぐらいの憧れみたいなんはありましたけど。まさか自分がプロになるとは思うてませんでした」
その若手選手が、日本プロ麻雀連盟には北陸支部があって、富山にいても活動ができることを本田に教えた。
本田は、その若手の勧めもあって、プロ入りを決意した。
とは言っても、店をやりながら、試合に出るだけのプロ生活だった。
特に大きく変わったこともなかったのだが、プロ入りから7年目、36歳の時に「第10期麻雀グランプリMAX」で優勝してから、急にプロ雀士としての人生に動きが出てきた。
グランプリを連覇し、Mリーガーになった。

東京に出てくるにあたって、店をどうするかという問題があった。
聞けば、ちょうど1年ほど前に、店を株式会社化したという。
私はこの件について相談を受けたのだが、それなら株だけ持ったままにしておいて、経営はそのままその人に任せれば良い。社長になってもらって、給与も高く支払えばモメることもないだろう。
資本主義の社会では、有能とか無能よりも、最初に資金を出したやつが儲けられるようになっている。お前はお前の権利として、その株を持っておけば良い。すぐにMリーグをクビになって、富山へ逆戻りする可能性だってあるのだから。
そういう話をしたのだが、本田は「ありがとうございます。ようく自分でも考えてみます」と言って電話を切った。
数日後、本田の出した回答は「やっぱしあの店は、そん人にあげることにしました」というものだった。
あげる?
500万円も出資して、10年以上経営してきた黒字のお店を、あげる?
帳簿を見たわけではないから分からないが、おそらく、色々な付加価値がついて、会社としての価値は500万円から700万円とか、もしかしたら1,000万円とかの価値になっているかもしれない。
それを、あげる?
お前なあ、ケーキ半分あげる、いう話とちゃうねんぞ。悪いことは言わんから、権利を一部だけでも持っとけってば。
「すでに、あげる言うてしまいました」
本田は大人の話なのに「ともくん」の部分を出して、さわやかに笑いながらそう言った。
「こっちの方が気持ちええんです。それに、あん店はあん人らが作ったんです。僕やのうて、あん人や他の従業員が作ったお店です。僕はずっとみんなに助けられて生きてきましたから、ここで手放すんが正当なんやと思います」
そしてまた、急に大人の理屈で「ええ話」をしてきた。
私は「お前、器の大きなやっちゃなあ」と言って話を終わらせた。

【伏せたのはともくん】
本田の初年度は最悪だった。最初は良かったのだが、途中から、ぜんぜん自分の麻雀が打てなくなっていた。
Mリーグだけでなく、萩原聖人さんのご自宅で一緒に練習している時も精彩を欠いていた。
ファンやプロ雀士たちから「雷電の麻雀に縛られ過ぎている」だの「もっと安い鳴きを使うべき」だの、好き勝手なことを言われた。
本田はそれを黙って耐えるしかなかった。
今シーズンの開幕戦もラスで、次の試合もラスだった。
だが、その2戦目から本田に変化が見られたという。
「開幕戦でラス引いた後は、萩原さんにめちゃくちゃ怒られたんですよ。あんだけ言われたのに、ブレブレじゃないかって」
実は今年の雷電は、高柳監督から「後悔のない麻雀を」と言われており、とにかくブレないことがテーマなのだという。
確かに開幕戦の控室では、試合後の本田が「あそこはやっぱり、こうした方が良かったですかね」と発言したのに対し、監督が「ほら、それやめよう。それただの結果論。その時、正しいと思ったんなら後悔しない。その時、やってから間違ったと思ったなら、結果が良くても反省しなきゃ。ブレないってそういうことでしょ」と、本田に注意していた。
2戦目のラスの後は、瀬戸熊直樹プロにも監督にも褒められた。
結果は出なかったけど、初戦より全然良い。自分が好きなように打っているように見える。
そういう評価をされた。
実際、11月1日発売の「近代麻雀」で、監督は「気がかりだったのは本田君ですが、これから良くなるかもしれませんよ」とコメントしている。
そして本当にこの後、本田は勝ちまくるのである。
世間は「雷電の呪縛から逃れた本田は強かった」みたいな言い方をし始めた。
確かに、本田は今、好き勝手に打てるようになって成績を残している。
だからぜんぜん間違いではないのだが、本田はどうしても「これだけは書いてくれ」と言ってきた。
「僕は去年、雷電の麻雀を打ったから負けたんじゃないんですよ。僕の力量が足りんで、雷電の麻雀を打てなかったから負けたんです。それを誤解せんどいてください。僕は他の3人の先輩みたいな、すごい麻雀をよう打たんから、今のように、好き勝手に、自分がええと思う麻雀をやっとるだけなんです。そやから、ファンの皆にも、雷電らしい麻雀をやらなければ勝てるみたいな、間違った認識は持ってもらいたくないんです」
まさか「ともくん」が、こんなしっかりした考えを持っているとは思っていなかった。
大人の本田と「ともくん」が不意打ちのように入れ替わるから、本田は魅力的なのだろうか。
「それに、僕が鳴いたりリーチした時に、もしかしたら先輩3人が築き上げたブランド力が、僕に有利に働いてるんじゃないかと思うとるんですよ。おんなじユニフォーム着てますから、打ち方の違う僕のリーチや鳴きでも、相手は先輩方とおんなじように警戒してくれとるのかもしれません。そいが、僕の成績に有利になっとんなら、僕は僕だけで勝っとんとちゃいますよね? そういうことも、ちゃんと書いといてください」
本田は、高松市がどこにあるか知らなかったし、機内食で何を食べたいか聞かれて「フィッシュ」と言っただけで笑われてしまうようなやつである。
だが、この発言からも分かるように「芯」みたいなものはしっかりしている。
やっぱり本田は、ちゃんとした40手前の大人の男なのである。
だが、時々「ともくん」が顔を出して、遊んだり、周囲の人にうまく甘える。
そうだ。12月6日の第1回戦オーラスに、テンパイしているものを「ノーテン」と言ったのは「ともくん」だったのだ。
お寺で除霊できなかった「ともくん」が「思い切って伏せちゃえ」と本田をそそのかしたのである。

普通に考えたら絶対にできないプレーだ。
二階堂亜樹がノーテンだという「読み」は誰にでもできる。90%以上ノーテンだと断定することもできる。
だが、万が一があった場合、何を言われるか分からない。
とりあえずテンパイなのだから開けておけば、誰からも文句を言われることはないし、次局に何とかすればトップは死守できる。
修羅場を潜り抜けてきた数は日本一と呼び声が高い荒正義プロに聞いたことがある。こういうケースで、ノーテンと言った方が得なのではないかと。
荒さんは、数十年間の修羅場での経験を踏まえた上で「テンパイと言わなきゃだめよ」と教えてくれた。
自分でも何回も考え、試行錯誤してきたが、本当に時々、相手がテンパイしていることがあった。
長年の経験の末、出した結論は「開けろ」なのである。
だが、本田は伏せた。萩原聖人、瀬戸熊直樹、黒沢咲。チームメイト全員の命運をかけた「テンパイorノーテン」である。
本人も「昨シーズンなら絶対に開けた」と言っている。
でも、今回はなぜか、自分の気持ちに殉じることができた。
それはたぶん、高柳監督が「後悔のないように自由に打て」と、口を酸っぱくして言ってくれたからだ。
それはたぶん、萩原さんが開幕戦で「ブレてるぞ」と叱ってくれたからだ。
それはたぶん、瀬戸熊さんが2ラスの後「お前の麻雀が打てていた」と褒めてくれたからだ。
それはたぶん、黒沢さんが、母のように温かく見守ってくれているからだ。
それはたぶん、ファンの人たちと、富山で店を一緒にやってきた仲間たちが、負けても勝っても、ずっと応援し続けてくれているからだ。
そしてそれらすべてに本田は感謝して、周囲のすべてを「信用」しているからこそ「素の自分」を麻雀中に開放することができるのだ。
今の本田は、その瞬間だけ、麻雀を打っている最中だけは「麻雀はおもしいからずっと打っていたい」と無邪気に思った、子供の頃に戻れている。
つまり「ともくん」がひょっこり顔を出しているのではなく、純度100%、完全に「ともくん」になり切っているのだ。
もし、ああやって伏せた後、亜樹が「テンパイ」って開けたらどうするつもりだったのか。
「そん時のことは考えとらんすね。考えたら伏せれないっすよ。まあでも、そないなったら、もう、笑うぐらいしかないですね」
本田はまた、爽やかに笑った。
ともくん、恐るべし。
