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相州战神馆学园 万仙阵 序章

2023-06-23 20:11 作者:空山雾霭  | 我要投稿

    感谢群内大佬斧正


    盧生(ろせい)というもの。その定義及び資格についての所見。

 所谓卢生者。关于其定义和资格的看法。

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 邯鄲(かんだん)の夢という術については前項でも述べた通り、唐代の故事を基にした一種の歴史シミュレーションであり、そこから悟りを得るための行である。

 如前文所述,邯郸之梦这一术式是以唐代典故为基础的一种历史模拟,是能够从中开悟的修行。

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 もっと有り体に言えば超人を生み出すシステム。およそあらゆる行がそうであるように、そこへ挑戦する者を人として更なる高みへと導くための修練だ。

 更确切地说,这是制造超人的系统。所有的修行都是为了将挑战彼处者引导至人类更高境界的修炼。

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 そうした意味では、体力を得るために走ることや知識を得るために書物を読み耽ることと本質的に変わらない。違うのは、その難易度。そして達成した際に得られる効果の程だろう。

 从这个意义上来说,为了提高体力而跑步与为了获得知识而读书的目的并没有本质上的区别。不同的是难易度。以及完成时所获得的效果吧。

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 邯鄲を制覇するには、夥しい死線を潜り抜けねばならないという非常に明快な危険がある。この時点でそもそも挑戦しようと思う者が限られるし、覚悟をもって臨めば成功するという甘い話も存在しない。

 要想称霸邯郸,一望便知,能渡过不计其数的绝境绝非轻而易举之事。在这一点上,打自最初就不会有多少人想去挑战邯郸,所谓 “世上无难事,只怕有心人”的励志之语在这里是行不通的。

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 少なくとも、我々が日頃言葉にし、認識しているレベルのものとはまったく層を異にする覚悟が必要なのだ。

 至少,也必须要有与我等平日所言所思的层次完全不同的觉悟。

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 なぜなら邯鄲は夢の行。色も形も重さもなく、文字通り絵空事でしかない代物を現実に紡ぎ出してみせるという意志の力がもっとも重要になるのだから。

 因为邯郸是梦的修行。如字面意义所示,无色无形相。能将其编织为现实的意志力不可或缺。

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 諦めなければ夢はきっと叶う。今どき子供騙しにもならないそんな言葉を、何より信じ抜かねばならないのだ。そう、狂的と言えるほどに。

 只要不放弃,梦想就一定会实现。最重要的是相信,相信这些放到现在就连小孩子都骗不了的话。没错,这足以称为疯狂之举。

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 それが出来る者以外に、邯鄲の夢は踏破出来ない。

    能够做到这一点的人,才有资格压制邯郸之梦。

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 総計で万年を越えることすら当たり前とされる時間の密度、繰り返す歴史、様々な未来……そのすべてを呑み込んで立つことの出来る勇者(バカ)。言うまでもなく常人には不可能である。

    总计超过万年被认为是平常的时间密度,而这其中不断反复的历史、各式各样的未来……能够领会(鲸吞?)这一切而不动如山的勇者(笨蛋)。不用说也知道,这对凡人而言是绝对无法达成的伟业。

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 人類という種の意志に触れ、理解する器。阿頼耶識と呼ばれる境地に達せる傑物。それこそが盧生。

 能够触及、理解人类这一物种之意志的容器。抵达被称为阿赖耶识境界的英杰。这就是卢生。

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 潜在的にその資質を持っていれば誰もが成せるというものでもない。盧生は、夢を越えることで初めて盧生になれるのだ。まさしく故事をなぞるがごとく、悟りを極めてこそ完成する。

 无论是谁,只要拥有潜在的资质就能获得成功,事实并非如此。只有超越梦境才能成为卢生。正如故事所描绘的那样,必须开悟到极致才能成就。

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 その果てに、人が歴史の中で描いてきた夢の数々……神や悪魔という物語を現実世界に顕象させる。盧生は普遍の無意識(アラヤ)からそれらを呼び出す召喚士であり、彼らの夢は人類種の意志として破壊も救いも描き出すのだ。

 在那尽头,是人类在历史中描绘的无数梦境……在现实世界中显现出神与恶魔的典故传说。卢生是自普遍无意识(阿赖耶)中召唤出祂们的召唤者,他们的梦想作为人类种的意志,既能描绘毁灭,也能描绘救赎。

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 一言、危険と断じていいだろう。我々、一般の者にとって、盧生は雲の上にある存在なのだ。

 一言以蔽之,绝对可以称作危险吧。对于我等凡人而言,卢生就是高居于云端的存在。

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 なぜなら神や悪魔という夢物語(キャラクター)は人が世の不条理に納得を得るため生み出した道具だから、概念として人が太刀打ち出来ないモノに設定している。

 因为神与恶魔这种梦中的故事(角色)是人们为了接受世界的不合理而创造出来的工具,所以祂们被设定为某种概念,是人类无法与之匹敌之物。

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 よってそれを自在に操る盧生こそはヒエラルキーのトップに在る者。悪しき盧生が暴虐の夢を紡ぎ出せば、我々にそれを止める術はない。

 因此,能够自由使役祂们的卢生才是处于金字塔最顶点的人。如果邪恶的卢生编织出凶恶残酷的梦境,我们也无法阻止他。

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 ゆえに、盧生とは何なのかという研究がこの百年続けられてきたし、私もその意志を継いでいる。

 故而,在过去的一百年里,对卢生究竟是什么的研究一直在持续进行着,我也继承了这一意志。

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 現状、存在を確認された盧生は三名。

 现在,被证实存在的卢生共有三名。

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 第一盧生(ザ·ファースト)、甘粕正彦。彼こそすべての始まりであり、未だもって最強の盧生といえばこの人物であることに論を俟たない。

 第一卢生(The First),甘粕正彦。他既是开启这一切的人,若谈到最强的卢生又一定非他莫属。

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 紡ぎ出す夢の概念は審判。自らを魔王と謳ったこの彼は、未来に待ち受ける人類の堕落を憂うあまり、普遍の悪役となることを望んだ。

 他编织而成的梦境概念是审判。自诩为魔王的他,因为过于担忧未来人类的堕落,所以他希望成为普遍意义上的反派。

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 高度文明化による法整備や諸権利の確立により、人の魂から勇気や覚悟の輝きが消え失せると思ったのだ。

 他认为,随着高度文明化而确立的法制整顿以及各种权利,人类灵魂中勇气和决心的光辉会因此荡然无存。

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 天敵のいない生物は機能(ひかり)を失う。鳥は飛ぶことを忘れ、馬は走ることをしなくなり、日がな眠りこけているばかり……やがては手足を動かしただけで偉業を成したと言うような、低階層の存在へと劣化していく。

 没有天敌的生物会失去自身原本就存在的功能(光)。鸟会忘记飞翔,马会忘记奔跑,只会整日呼呼大睡……不久之后就会成为只需动动手脚便是伟业的达成,退化为低能存在。

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 よって試練を与えるという彼の論理は確かに一定の理解を示せるものだ。

 由此,他提出给予试炼的理论确实能在一定程度上得到理解。

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 なぜなら甘粕正彦の根底にあったものは、人類に対する掛け値なしの期待であり愛であるから。殴りつけて性根を叩き直すというのは好みじゃないが、それでも効果を得られることは確かだろう。前述の通り、あらゆる生物は天敵がいるからこそより強くなっていくのだ。

 因为甘粕正彦的根本,是对人类满满的期待与爱。虽然不喜欢以暴打来重塑他们的本性,但确实会有所成效。如前文所述,所有的生物正是因为有着各自的天敌才会变得更加强大。

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 その種を象徴する機能、輝き。鳥にとっての翼や、馬にとっての健脚がそうであるように、人の輝きが勇気にあるというのは同感だ。ゆえにそれを守りたいと叫んだ甘粕という盧生を、私は芯から嫌うことが出来ない。

 象征这个物种的功能,它的光辉。深表同感,就像翅翼之于鸟、健足之于马,人类的光辉在于勇气。因此,对于叫嚷着要保护它的名为甘粕的卢生,我实在无法升起嫌恶之心。

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 手法がどこまでも苛烈であり、傍迷惑極まりないが、願った夢には真(マコト)がある。そこを否定することは出来ないだろう。

 虽然手段残酷,令人厌烦,但他所祈愿的梦想也有真实。这一点是无法否定的吧。

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 そして、だからこそ私は思う。第二盧生(ザ·セカンド)、柊四四八――彼こそ真の勇者なのだと。

 于是,这就是我会这么想的原因。第二卢生(The Second),柊四四八——他才是真正的勇者。

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 紡ぎ出す夢の概念は仁義八行。彼は甘粕(ファースト)への対抗策として生まれた盧生だが、その夢は決して後追いの二番煎じなどではない。

 他编织的梦境概念是仁义八行。作为对抗甘粕的对策而诞生的卢生,他的梦想却绝不是后起的模仿者。

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 人の勇気と強さを信じ、守ろうと願ったのは甘粕正彦と同じだが、そのための手法が異なっている。彼は意志を継いで行くことに誇り持ち、後代へ示す光の道となることを望んだ。つまるところ、子孫が無様な真似を出来ないよう、一種の規範になろうとしたのだ。

 相信人类的勇气与坚强,想要守护人类的心与甘粕正彦是相同的,只是手段并未达成一致。他为意志的传承而自豪,希望成为指引后代的灯塔。简而言之,这是为了不让子孙后代做出荒诞无稽的行为,而树立的一种标准。

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 そしてそれは、実際に効果をあげたと確信している。

 而且我确信,那取得了实际的成效。

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 甘粕事件を制したことで世界を救ったという裏の歴史に留まらず、第二次大戦を食い止めることで表の偉業も成し遂げたのだから。

 因为他不仅在幕后制止了甘粕事件这段不为人知的历史,拯救了世界,还在历史中成就了阻止第二次世界大战这件众所周知的伟业。 

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 この現在も、柊四四八は世界史に名を刻んだ英雄として人々に記憶されている。その生き様、仁義八行――彼がいなければ我々は生まれてさえいなかったのだから親も同じだ。バトンを受け取った身として先人の誇りを穢してはならないと、私を含め多くの者が今も敬意と感謝を捧げている。

 时至今日,他作为名垂世界史的英雄而被人们铭记。他的生存方式,仁义八行——要是没有他,我们甚至都不会出生,我们的父母也是同样如此。包括我在内的许多人至今仍对他敬仰不已,感激无以言表,身为接力者的我们决不能让前辈的名誉受到玷污。

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 そして、そんな彼に負けぬよう、我々なりの歴史というものを紡ぎ、下の世代に繋げていきたいと考えている。

 并且,作为他的后人,为了不输给他,我等编织了属于我等的历史,与后代相连系。

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 無論、全世界の人間がそう思っているわけではないことくらい承知の上だ。同じ日本人であっても柊四四八を知らない者は存在するし、浅ましい行いに走る輩も少なくない。

 当然,他知道全世界并非所有人都是这么想的。同为日本人,有不知道柊四四八的人,也有不少做出卑劣之举的人。

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 しかし、それをもって彼の力が及ばなかったと言うのは違う。

 但,不能就因此怪罪他力不能及。

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 第二の盧生は、我々が人の光を消してしまうほど愚かではないと信じてくれた。そのために標(しるべ)となる背中も見せてくれた。ならばそれで充分だろう。彼は未来永劫に渡り世界を己の夢で洗脳しようなどと考えていたわけじゃない。

 第二卢生,相信我等不会愚蠢到丧失人性之光。为此,他还向我展示了作为规范的背影。这样就足够了。他并非是想利用自己的梦想来对未来世界进行洗脑。

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 あくまで、彼が重視したのは継ぐということ。そうされるに相応しい己たらんと走ること。

 归根结底,他重视的是传承。为此继往开来,才不愧为己身。

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 現代に生じる問題は、今を生きる我々がどうにかしなければならないことだ。その矜持こそ、彼が示してくれた仁の心なのだろうから。

 在现代发生的问题,是生活在现代社会的我们需要想办法去解决的事情。这样的矜持,就是他向我们展现的仁之心吧。

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 今の世が、彼ら盧生の見た未来に比べてどうなのかは分からない。甘粕正彦が悲嘆した劣化とやらを、どの程度食い止められているのかは不明だし、柊四四八が求めた朝にどこまで近づけたのかも不明のままだ。

 不知现在的世界与他们卢生眼中的未来相比如何。不知道甘粕正彦所悲叹的退化到底在多大程度上得到了遏制,也不知道离柊四四八所求的清晨还有多远。

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 そこは盧生でなければ分からないことであり、よって確かめる術がない。

 那些只有卢生才会知道,因此无法得到确认。

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 だが、そうであるからこそ私は信じる。我々は前に進んでいるのだと。

 但也正因我们还在这里,我才相信。我等正在前进。

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 柊四四八を無責任な敗者にしては断じてならない。この思いがある限り、劣化したなどと言わせて堪るか。

 决不能让柊四四八成为不负责任的失败者。只要有这种想法,就不能容忍被指责为劣化。

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 そう、絶対に。絶対に。

 没有错,绝对。绝对是这样。

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 それこそ私の使命であると胸に誓っているからこそ……

 这就是我暗暗发誓意欲践行的使命……

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「ああ、いかん……

「啊啊,还是不行……

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悪い癖だな。どうもこの問題になるとムキになる。こんなものを提出したら、また親父殿にからかわれるだけじゃないか」

真是个坏习惯。一谈到这个问题就会生气。要是把这种东西提交上去,不就又会被父亲大人取笑了吗」

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 自嘲するように呟いて、少女は書きかけの書類から顔をあげた。目的の地へと向かう寝台列車の個室内で、軽く伸びをしてからページを破ろうとし、だが寸前で思い留まる。

 少女自嘲地低语着,从正在书写的文件上抬起头来。在开往目的地的卧铺列车单间内,她轻轻地伸了个懒腰,想要撕下书页,却又在实行的前一刻打消了这个念头。

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「いや、まあ、けどこれは私の本音だし。

「不,嗯,这也是我的真心话。

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  親父殿に見せられないからといって、ゴミ箱行きというのは違うよな。

  不能给父亲大人看,也不代表要把它扔进垃圾桶里。

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  うむ、だから取っておこう。出来れば額に嵌めて新居に飾りたいくらいなのだけど」

  嗯,所以还是留着吧。如果可以的话,甚至想把它裱起来,挂在新家中」

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 そういうわけにもいかないよなと残念げに溜息を一つ。再び少女は紙にペンを走らせ始めた。提出先から突っ込みを入れられそうな箇所はあとで綺麗に切り取るとして、前後の文脈を調整しながら続きに移る。

 这可不行啊,她遗憾地叹了一口气。少女再次在纸上奋笔书写。整齐地剪下以后可能被收件人指摘的段落,她转到故事的其余部分,调整前后的语境。

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 以上のことから、盧生たる者に必要な資質がなんであるかは推察できる。

 综上所述,可以推测出卢生需要什么资质。

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 まず先天的な要素として、その誕生に正と負の両面……すなわち二親から真っ当な慈愛と強い悪性を等しく注ぎ込まれていなければならず、存在として人間世界の縮図とも言える業(カルマ)を背負っていなくてはならない。

 首先是先天性因素,其诞生必须要具备正负两面……也就是说,必须从父母那里同等地接受真正的慈爱与强烈的恶性,这样的存在必须背负着可以被称之为人类世界缩影的业力(Karma)。

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 そうした上で、決め手となる後天的要素。自己の矛盾したルーツを理解しつつ、人類とその歴史に深い興味と愛の心を抱くこと。また、自らが描きたい人間賛歌(みらい)のかたちを明確に持っていること。それだろう。

 在此基础上,作为决定性的后天因素是。在理解自身矛盾的根源时,对人类及其历史怀有浓厚的兴趣和爱。更要明确自身意欲描绘的,赞颂人类美好(未来)的形态。

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 このことについては、辰宮百合香と我堂鈴子の共著である『新世界に問う社会個人主義』で同様の見解が成されているし、伊藤野枝が記した『自由恋愛の美』にもさりげなく差し込まれている。

 关于这一点,辰宫百合香与我堂铃子合著的『向新世界发问的社会个人主义』一书中有类似的观点,伊藤野枝所著的『自由恋爱之美』一书中,也在不经意间插入了这些。

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 盧生、及び邯鄲法の秘密は闇に封じるべきものであるから、おおっぴらにはしていないが、それでも見る者が見れば分かるようにメッセージを残しているのだ。

 卢生,以及邯郸法的秘密应当被封存在黑暗之中,虽然需要保密而没有被公开,但还是给见者留下了一眼便知的消息。

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 私利私欲に走る者では盧生になれない。ゆえ、そうした者はさっさと諦めたほうがいいと。

 只为私利私欲奔走的人不可能成为卢生。因此,这样的人还是趁早放弃为佳。

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 単純な我意の強さだけで得られるような、安い資格では断じてないのだ。そう、かつて逆十字と呼ばれた男がどうしても盧生になれなかったように。

 这绝对不是仅凭单纯而坚强的自我意志就能获得的廉价资格。是的,就像曾经被称为逆十字的男人,无论如何也不可能成为卢生一样。

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 盧生(かれら)は人の代表者たる存在だ。よって自己中心な唯我独尊では至れない。

 卢生(他们)是人类的代表。所以,以自我为中心的自我主义是绝对抵达不了那里的。

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 しかし、だからといって、光を愛するばかりが人間ではないだろう。人の暗部、闇の歴史を愛する盧生も存在する。

 但,即便如此,人类也不可能只热爱光明。必然也有单单只爱人类的阴暗面,与黑暗历史的卢生。

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 それこそが、第三盧生(ザ·サード)。稀代の殺人鬼だったと言われている者。

 这正是第三卢生(The Third)。被称为稀世杀人鬼的人物。

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 人類史を死の歴史であるとそれは捉え、人の阿鼻叫喚を何より愛した。痛みと苦しみこそが人間の本質だという感性で、確かにそのことも一面の真実ではあるのだろう。

 将人类史视为死亡的历史,爱人类的阿鼻叫唤胜于一切。认为疼痛与痛苦才是人类本质的这种感性,也的的确确有着真实的一面吧。

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 端的に死神。第三の盧生が紡ぐ夢の概念はそうしたもので、それは大戦に雪崩れ込もうという昭和初期の世界が顕象させた、狂気の落とし子だったのかもしれない。

 简单来说是死神。第三卢生编织的梦境概念就是这样,那是昭和初期的世界即将滑落入大战的深渊时所显现的疯狂之子吧。

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 自滅に走る人類史の代表者……先々代はそのような言葉を、持ち前の軽佻浮薄(けいちょうふはく)さで皮肉たっぷりに残しているが、改めて第三盧生(サード)を食い止めてくれた第二盧生(セカンド)には感謝の念を禁じ得ない。ディストピアの夢など御免こうむる。

 走向自我毁灭的人类史代表者……尽管前前代用他那轻佻讽刺的口吻留下了这样的话,但对于再次阻止第三卢生的第二卢生(Second),不禁想要表示感谢。我可不想做诸如反乌托邦之类的梦。

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 邯鄲法は甘粕事件に続くこの乱をもって永久に失伝したわけなのだが、それでも警戒を緩めてはならない。盧生の資格者は、今このときも生まれ続けているのだから。

 邯郸法因甘粕事件之后的这次动乱而永久失传,但即便如此也不能放松警惕。因为有着卢生资格的人还在不断地诞生。

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 と、神祇省の重鎮方は考えているようだけど、私の見解は少し違う。

 嗯,神祇省的重要人物似乎是这么想的,但我的看法略有不同。

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 おそらくもう、今の世に盧生は生まれないのではないだろうか。ただの楽観という意味ではなく、ある程度の理屈を立てたうえでそう思える。

 恐怕,当今世上再也不会有卢生了吧。这不是单纯的乐观,而是有一定道理在的。

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 結局のところ、三人の盧生が生じた十九世紀末から二十世紀初頭という時代は特殊すぎたのだ。

 说到底,三名卢生所处的十九世纪末至二十世纪初,这个时代实在是太特殊了。

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 先進国が野蛮と同義の率直さを残した上で、世界という単位を本当の意味で機能させ始めた史上初の時代。文明の進化は例を見ないものであり、それに伴う人々の意識改革も凄まじい速度で成されていった。

 这是历史上第一次,发达国家摆脱了与野蛮同义的坦率,真正意义上作为世界的一个单位发挥作用的时代。文明的进化是史无前例的,随之而来的,人们的意识改革也以惊人的速度完成。

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 先に挙げた先天性と後天性、どちらも発生し易い条件がそろいすぎていると言えるだろう。

 先前提及的先天性与后天性,可以说,两者都有容易出现的条件。

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 我も人。彼も人。あらゆる未知と遭遇して衝突や排斥を繰り返しながらも理解を深めていった百年前の世の中は、否が応にも人間の業(カルマ)を浮き彫りにせざるを得ない。そういうことだ。

 我是人。他也是人。百年前的世界遭遇了所有的未知,在这期间反复爆发着冲突与排斥的同时,也加深了对事物的理解,不由得凸显出人类的业力,就是这么一回事。

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 現代(いま)は確かに、世界という単位がとても身近になっている。少なくとも、その尺度でものを語ることに誰もさほどの抵抗を覚えないし、教育水準も上がっている。

 在现代,世界这样的单位对我们来说当然是再熟悉不过了。至少,人们已经习惯以世界性的眼光来看待问题,不再对此产生抗拒,且教育水平也有所提高。

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 そうした意味では、盧生に近い者が増えているとも言えるだろう。百年前に比べ、平均値が上がったことは間違いない。

 从这个意义上来说,接近卢生的人可谓是在逐渐增加。与百年前相比,平均值无疑是上升了。

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 だが逆に、それで広く浅くなったのだと私は思う。世界の裏側に住む異国人と結婚することは多少珍しくあっても奇異ではなく、許されない禁忌というわけでもないのだから、アラヤに届くほどの人間賛歌を追い求めるのは難しくなった。

 但反过来讲,我认为卢生的概念也因此变得宽广浅薄了。与生活在世界另一端的异国人结婚,多少是有些不同寻常,但也并非是无法原谅的禁忌,因此,追求能够传达至阿赖耶的人类赞歌就变得困难无比。

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 それも甘粕正彦に言わせれば人の劣化なのだろうか? いいや、きっと違うだろう。彼は彼で、最期に納得して逝ったのだから。

 按照甘粕正彦的说法,难道这就是人类的劣化吗? 不对,一定不是这样吧。因为他在临终前才心满意足地接受了这一事实。

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 分かりやすく目に見えなければ無いも同じで価値も無い。そのようなことは断じてないと言う柊四四八が示した勇気に、夢を託して。

 如果不易望见,那就等同于无,也没有任何价值可言。他把自己的梦想寄托于柊四四八所表现出来的勇气上,他说绝对不会出现那种事情。

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 だから私もそれに倣い、この任務が大過なく終わることを祈っている。何も起こらなかったことに不満を持つような人間にはなりたくないから。

 所以我也会效仿他,祈祷此次任务圆满完成。因为我不想成为对什么都没有发生的事情心生抱怨的人。

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 かつて、柊四四八とその眷属たちが夢の世界で過ごしたという二十一世紀。それが現実の今年にあたるのならば、そこに歴史の朔(さく)が生じる事実と、その危険性を重々承知したうえで。

 过去,柊四四八与他的眷属们在梦界经历了二十一世纪。如果恰好是该年的现实世界,我深知历史之朔将会出现的事实及其危险性。

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 私は思う。

 我想。

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これから向かう鎌倉で、英雄たちの子孫に会うのを何より楽しみにしていると。

   此次最期待的便是于即将去往的镰仓见到英雄们的后代。

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 戦(イクサ)の真(マコト)は千(アマタ)の信(イノリ)に昇華したのだと信じているから。

 因为我深信战(战斗)之真(真实)已然升华为千(无数)之信(祈愿)。

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 石神静乃(いしがみしずの)も仁義八行の一として、彼らの仲間と言われたいのだ。

 石神静乃也想作为仁义八行之一,被视作他们的伙伴。


 


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