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徒然草 第134段 高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの・吉田兼

2023-11-28 23:20 作者:蜈蚣哥  | 我要投稿

高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの:高倉天皇を納骨した京都東山清閑寺(清水寺の南にある)の法華三昧堂の僧侶で律師の位の人。律師は僧正・僧都につぐ位。高倉天皇は平家最盛期に翻弄された第80代天皇。

御堂のつとめばかりにあひて:三昧堂の勤行にばかり参加していて、余技はしなかったので、「ありがたく覚えしか」というわけである。

賢げなる人も、人の上をのみはかりて、己れをば知らざるなり:賢いと言われる人でも、他人のことにばかり気がいっていて、自分のことは何も知らない、というような人がいるものだ。

すべきかたのなければ、知らぬに似たりとぞ言はまし:やるべきことを知らなければ、それは知らないこととなんら違わない。

何ぞ、茲を思ふこと茲にあらざる:どうして、その事について反省しないのか、反省すべきだ、の意。

人に愛楽せられずして衆に交はるは恥なり:「愛楽<あいぎょう>」とは、愛されること・好まれること。愛されてもいないのに人前に出ること。

心おくれにして出で仕へ:精神が劣っているのに仕官して、。

無智にして大才に交はり:無知のくせに才能のある人と交わろうとしたり、。

不堪の芸をもちて堪能の座に列り:<ふかんのげいをもちてかんのうのざにつらなり>と読む。「不堪の芸」とは、不堪能の芸能のことで、下手な芸。にも拘らず堪能の人の中に入って、の意。

雪の頭を頂きて盛りなる人に並び:白髪を押して壮年の者と交わり、の意。

及ばざる事を望み:まして、届かないことに望むをかけて、。

貪る事の止まざるは、命を終ふる大事、今こゝに来れりと、確かに知らざればなり:貪欲が止まないのは、命の終わりが接近していることを確として知らないからなのだ。

徒然草 第134段 高倉院の法華堂の三昧僧、なにがしの律師とかやいふもの・吉田兼的评论 (共 条)

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