第六章 让自己沉浸在胜负师的哲学中
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第六章 让自己沉浸在胜负师的哲学中
从胜负师的话语中学习
最近我看书的机会多了,例如小说、随笔、自我启发书等,对于我来说,这是一个很大的变化,因为在此之前它主要是战术阅读,当然,其中也包括被称为胜负师的人写的书。
拿职业棒球来说,就是野村克也和落合博满。将棋的话,羽生善治先生和渡边明先生都有自己独特的胜负感,对读者来说非常有趣。
每本书中令人难忘的都是那个人特有的短语。例如落合先生所著的《指挥》一书中有这样一句话:“获胜是对球迷最大的服务。”我自己对这句话很有同感,如果一支球队没能夺冠,追究责任的是统率球队的主教练。即使有人说棒球很无聊,但如果不能不断取得胜利,就没有任何意义。 即使在我生活的世界里,每个人的想法都不一样,但我喜欢落合先生的这种思维方式。
当我把目光转向将棋的世界时,羽生先生写的一本名为《大局观》的书中有这样一句话,“为了集中注意力,你需要一定的准备期,只有当你有时间准备的时候,才能深入地集中精力和思考。”将棋和麻将不同,一次对局所需的时间要长很多,这意味着保持注意力集中不可避免地更加困难。羽生先生会有意识地创造出什么都不做、发呆的时间,通过这样做来锻炼对弈时的集中力。
诚然,对于生活在胜负世界的人来说,要有什么样的心态才能毫不停滞地投入战斗,可以说是必不可少的要素。
每次遇到这样与我产生共鸣的一句话,我都会有一些思考。
“对我来说最重要的是什么?”那就是“沉浸”。就我而言,在比赛结束后,我总是寻找当天的事情来反思。因为我认为,什么事也没发生是不可能的,只有坚定地接受错误才会走向下一步。但是,如果总是重复这样的事情,心情就会变得沉重,这也是不好的,所以要挖掘一个进展顺利的局面,让自己沉浸在其中几分钟。
以取得好结果的可能性为目标

东4局 第六巡 东家 进张5m 宝牌8p
离原点下沉约6000点
※无一发、里宝牌的规则
如图4所示,我的点棒比原点下沉了大约6000点。如你所见,这是可以看到234三色的一向听牌型,但这里摸到了5m,三色的形状被破坏了,三面张却留了下来。在这种情况下,大部分人的意见应该是即刻立直。
然而,这天打的规则是无一发、无里宝牌的规则,即使我胡到这手牌,得点也只停留在1300 ALL。那样的话也太没本事了(不对,以前的话是会马上立直的),所以就暂时摆好了打中默听的架势。
在这么做的同时,我摸上了5p。

要是坚持做三色的话,比起234还是345更好,打了2p。1s4s7s还是没有被打出, 我也没有自摸。就在我觉得这可能是个好兆头的时候,我摸进了6s。

如果可能的话,我还想摸进3s或5s加上平和,但即使是现在这样,三色也已经确定了。1p在场上现了一枚,但是这里是不会犹豫去考虑为了什么而默听的。
相比于在图4的形状上摸进2m或4s7s就能顺利立直的场景,这是相当迂回的。然而结束之后发现,这个手顺产生了最快的胜利。

在这途中,南家进行副露追上我的立直,我在形势稍显不利的局面下6s自摸了。在用三面张的立直连2900都没有到手的情况下,我对这场胜利感到相当满意。
然后我回家想了想,“那手牌打得很好啊。”当然,在比赛中不重复失误是很重要的,反过来说,有可能产生好结果的顺序也应该重复。
八成的反省和两成的自负,这是我保持的平衡。
第6話 勝負師の哲学に己を浸す
勝負師の言葉に学ぶ
最近、本を読む機会が増えた。
小説、エッセー、自己啓発本など、それまでがもっぱら戦術の読み物だったことを考えると私にとっては大きな変化である。もちろんその中には勝負師と呼ばれる方々の著書も含まれている。
プロ野球でいえば野村克也さんや落合博満さん。将棋なら羽生善治さんや渡辺明さんというように、それぞれが独自の勝負感を持っていて読む側にとっては大変に興味深い。
どの本でも記憶に残るのはその人なりのフレーズである。
例えば落合さんが書かれた「采配」という本であれば、「勝つことが最大のファンサービスで ある」という一文だ。
私自身、このフレーズには大変に共感を覚えた。優勝を逃せばその責任を問われるのはチームを統括する監督である。仮につまらない野球と言われても勝利を積み重ねていかなければ何の意味もない。私のいる世界でも考え方は人それぞれだが、落合さんのこの思考が私は好きである。
将棋の世界に目を移すと、羽生さんが書かれた「大局観」という本にこういう一文がある。
「集中するためにはそれなりの助走期間が必要で、準備のための時間があって初めて深く集中して考えることができる」
麻雀と違い将棋の場合は一度の対局に要する時間も大幅に長い。ということは必然的に集中力を持続させることも難しくなってくる。
羽生さんは何もせずボーッとする時間を意識的に作られるそうだ。そうすることによって対局に臨むための集中力を鍛えているのだとか。
なるほど、淀みなく戦いに入り込んでいくためにどのような心構えでいるか、これは勝負の世界に生きる者にとっては必要不可欠な要素と言えるかもしれない。
こうやって心に響くフレーズに出合うたび考えることがある。
「自分が一番大切にしていることってなんだろう」
それは、「浸る」ことである。
私の場合、対局が終わると決まってその日の反省点を探す。何もなかったことなど皆無に等しいし、ミスをしっかり受け入れることが次につながると考えているからだ。
だが、こればかりを繰り返してどんよりした気持ちに陥ることもよろしくない。そこでこれは上手くいったという局面を掘り起こして、ほんの数分だけ自分に浸るのである。
好結果の可能性を目指す

左の図4である。
私の点棒は原点より6000ほど沈んでいる。ご覧の通り234の三色も見えるイーシャンテン形だったが、ここにツモ 5m ときた。三色は崩れたがサンメンチャン残り。ならば即リーチというのが大方の意見だろう。
しかしこの日は一発、裏ドラなしのルール。
この手でリーチを掛けても1300オール止まりだったのである。
それでは余りに芸がない(いや、昔なら即リーチでしたよ)ということでいったん 1s 切りのヤミテンに構えた。この時点で誰かにアガリ牌を打たれれば手牌を倒す気ではいたが、全体的にソーズが高くその気配がない。
そうこうする内に 5p を引く。

これで三色に拘るなら234よりは345である。
打 2p。
未だ 1s4s7s は切られないし、ツモらない。
これはいい兆候かもしれないと感じていたところに持ってきたのが 6s だった。

できれば 3s や 5s を引いてピンフもつけたいところだったが、これでも三色は確定する。
1p は場に1枚飛んでいたが、何のためのヤミテンだったかを考えれば迷いはなかった。
打 2s のリーチである。
図4の形に 2m や 4s7s を引けばすんなりリーチという場面が、随分と遠回りしたものである。
しかし終わってみればこの手順が最も早いアガリを生んだのだ。

その道中、南家に追っかけリーチも喰らい、やや形勢不利かという局面での 6s ツモ。
三面張でのリーチでは2900すら手に入れられなかったこともあり、このアガリにはかなりの手応えを感じた。
そして家に帰って思うのである。
「あれは上手くいったなー」と。
勝負事においてミスを繰り返さないことはもちろん大事である。逆にいえば、好結果を生む可能性が高い手順は繰り返すべきということにもなる。
8割の反省と2割の自惚れ。
私はこれでバランスを取っている。