乃木坂中元日芽香 经历过食症、适应障碍成为心理咨询师
乃木坂中元日芽香 過食症、適応障害経てカウンセラーに
乃木坂中元日芽香 经历过食症、适应障碍成为心理咨询师
トップアイドルとして走り抜けてきた先に見えたもの
作为顶级偶像一路走来的所闻
2021.08.18
2017年に乃木坂46を卒業し、芸能界を引退した中元日芽香さん。現在は心理カウンセラーとして活躍しています。アイドルとして走り続けていた彼女が抱えた「過食症」。そして卒業を決意したきっかけでもある「適応障害」。トップアイドルとして揺れ動く当時の気持ちと、心理カウンセラーとしてのこれからを語ってくれました。
2021.08.18
2017年从乃木坂46毕业,并且从艺能界隐退的中元日芽香桑。现在作为心理咨询师活跃着。作为偶像一路向前让她患上了「过食症」。然后决定毕业的契机是患上「适应障碍」。本文讲述了她作为顶级偶像当时动摇的心情和作为心理咨询师的今后。
【前編】元乃木坂46中元日芽香 人と比べず自分に集中する方法
【後編】乃木坂中元日芽香 過食症、適応障害経てカウンセラーに
【前篇】元乃木坂46中元日芽香 不与人比较专注于自己的方法
【后篇】乃木坂中元日芽香 经历过食症、适应障碍成为心理咨询师

1996年、広島県生まれ。2011年から「乃木坂46」のメンバーとして活動したのち、2017年に卒業。2018年にカウンセリングサロン「モニカと私」を開設し、心理カウンセラーとして活動を始める。著書に『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』(文藝春秋)
中元日芽香桑
1996年,广岛出生。从2011年开始作为「乃木坂46」的成员活动,之后2017年毕业。2018年开设了心理咨询沙龙「莫妮卡和我」,开始作为心理咨询师的活性。著有『谢谢我自己 从乃木坂46毕业到成为心理咨询师』(文艺春秋)
安全で堅実な人生を送りたかった
我想过安全踏实的人生
私は広島で生まれ育ちました。幼い頃は、「いい子、できる子だと思われたい」一心で、聞き分けのよい振る舞いをすることが多かったですね。両親に限らず、学校の友達や習い事先の先生にも。あまり、自分の願望を口にしたり、意見を通したりする子ではありませんでした。だからなのか、「自分で考える」「自分で決断する」ことが苦手なまま大人になってしまったのかな……、なんて思います。今でも、自分で物ごとを決めるのはちょっぴり苦手です(笑)。
我是生长在广岛。小时候,一心「想成为好孩子,能干的孩子」,所以常常表现的很懂事。不仅是双亲,对学校的朋友和老师也一样。并不是一个能将自己的心愿说出来的人,也不是一个能表达自己意见的人。所以我觉得,可能就在不擅长「独自思考」「自己做决断」的情况下慢慢成长为大人了……。就算现在,自己决定事情也很不擅长(笑)。

「『今ある環境の中で、よい成績を残して両親や先生に褒められたい』と思う子どもでした」
「我觉得是『希望在现有环境中取得好成绩,得到双亲和老师表扬』的孩子」
きょうだいは姉と妹がいます。姉はとても勉強ができる人でしたし、妹(BABYMETAL中元すず香さん)は小さな頃から歌が本当に上手で。私も歌やダンスが好きでアクターズスクールに通っていましたが、姉や妹とは違い、勉強も歌もダンスもどれか一つに絞ったりせず、バランスよく満遍なくこなしていたタイプでした。二人と比べてしまうと突出した強みはありませんでしたが、かといって「これがやりたい!」といった強い願望は思い付かず。それよりも「今ある環境の中で、よい成績を残して両親や先生に褒められたい」――そんな気持ちで広島時代を過ごしていました。
兄弟姐妹中有姐姐和妹妹。姐姐是非常擅长学习的一个人,妹妹(BABYMETAL中元铃香桑)从小时候开始就很擅长唱歌。我也很喜欢唱歌跳舞,于是去演艺学校,但跟姐姐妹妹不同的是,我对学习、唱歌、跳舞不纠结于一项,是平衡感找的很好的类型。虽然比起二人没有什么突出的优势,也没有「我想做这个」的强烈的愿望。但是比起这些我更「希望在现有环境中取得好成绩,得到双亲和老师表扬」—就是这样的信念支撑我度过了广岛时代。
芸能事務所に入るためのオーディションは、母が書類を送り、審査を通過したので受けることに。私はオーディションそのものへの関心よりも、終わった後に母と観光をする時間が何より楽しかったですね。今思うと、母にべったりな子どもだったなと思います。
进入艺能事务所的甄选是,母亲把资料送去,最终我通过了审查。比起对于甄选这种东西的关心,我更喜欢结束后跟母亲一起观光的时间。现在想起来,我真是个很黏母亲的孩子。
どちらかというと、私は安全で堅実な人生を送りたいと思う性格。「何がなんでも芸能人になりたい!」と強い憧れを持っていたわけではありませんでした。中学を卒業したら高校へ行って、大学へ進学して……という道をたどるものだと信じていたけれど、乃木坂46のメンバーとしてデビューが決定したとき、私の人生が大きく変わりました。
总的来说,我认为我的性格是想度过安全坚实的人生。并没有强烈的「不论如何都想成为艺能人!」愿望。虽然我一直相信自己会走中学毕业就去高中,然后去大学进修……这条路,但是决定作为乃木坂46成员出道的时候,我的人生发生了巨大的变化。
乃木坂46の1期生オーディションに合格したのは中学3年生の8月。地方に住んでいるメンバーの中には、すぐに東京の学校に転校する人もいましたが、私はそのまま地元広島の中学校に通いました。その後、高校進学と同時に東京へ。このとき芸能コースのある学校ではなく普通科を選んだのですが、それは「今ならまだ引き返せるかもしれない」という迷いが、まだ自分の中にあったから。どちらも手放せない。そんな保守的な考えを抱いていた状態でした。
乃木坂46一期生甄选合格的时候是中学三年级的八月。在地方居住的成员中,有一部分人马上转学去了东京的学校,但我还是就这样在老家的广岛的中学上学。之后,升了高中的同时去了东京。那个时候没有选择艺能课程而是普通科的我,内心还有着「现在的话还有回去的可能」这种迷茫的想法。那边都放不开,一直在抱有这种保守想法的状态。
デビューすると、ファンの皆さんへ自分をアピールする「自己紹介」があります。ここで私にとって、衝撃的なことがありました。
在出道后,有想粉丝展示自己的「自我介绍」。这个时候发生了一件对我来说很有冲击的事情。
アイドルなのに「自己アピールの仕方が分からない」
明明是偶像「没有自我展示的方法」
ファンの皆さんへ自分をアピールする「自己紹介」。得意分野や好きなもの、「◯◯と呼んでください」などと、ファンの皆さんへ「中元日芽香」という人物をアピールする機会です。けれど、このとき初めて気づいたんです。自分には、特筆すべきものが思い当たらないことに。
向粉丝们进行自我展示叫做「自我介绍」。像是擅长的领域或者喜欢的东西、或者「请叫我〇〇」、是向粉丝们展示「中元日芽香」这个人物的机会。但是,那个时候我第一次察觉到。对自己来说,没有什么值得大说特说的东西。
それまで、大好きな歌もダンスも頑張ってきました。自分ではできるものがたくさんあると思っていたのですが、アピールポイントと言われると、とっさに思い付きませんでした。そのとき、15歳。「自分を客観的に見る」のは、初めての経験でした。
在那之前,我对喜欢的歌和舞蹈都很努力。因为我觉得对我来说能做的有很多,但是一说到展示的要点,我就一时想不起来了。那个时候,15岁。对我来说是第一次「客观的审视自己」。
メンバーの中には、なんの迷いもなく堂々と自己紹介ができる子も大勢いて、彼女たちの姿はとてもきらきら輝いて見えました。その反面、どんどん自分に自信がなくなっていく。もちろん、アイドルという仕事を頑張っていきたい。けれど、「一生懸命頑張る」のは、みんなだって同じ。プラスアルファでの評価ポイントとなる「フックになるものがない」と思ったんです。自分はなんだかつまらない人間だな、と。
在成员中,能够毫不迷茫堂堂正正的做自我介绍的人有很多,她们的身姿开起来非常的耀眼。相反,我越来越没有了自信。当然,我很想加油做好偶像这个工作。但是,对于「必死的去努力」来说,大家都是相同的。我认为我在加分项上「没有什么可以去说的」。我真是个很无聊的人啊。

「アピールポイントがとっさに思い付かなかったことは、自分の中で衝撃でした」
「没能立刻想到可以展示的点,我的内心很受冲击」
「選抜」「アンダー」見えない大きな壁
「选拔」「Under」看不见的巨大墙壁
乃木坂46は、シングルCDの表題曲を歌う「選抜」と、カップリング曲を歌う「アンダー」の2つのチームに分かれています。乃木坂46としてデビューしたとき、私は「アンダー」にいました。
乃木坂46是将唱单曲CD的表题曲的人作为「选拔」,唱CW曲的人作为「Under」分开为两个团队。作为乃木坂出道的时候,我就是「Under」。
シングル曲を出すごとに「選抜」と「アンダー」のメンバーは変動します。どちらもそれぞれ大事な役割があって、必要不可欠なもの。けれど、その頃私は「周りから自分はどう評価されているか」にとてもこだわって生きていたので、「アンダー」にはネガティブなイメージがありました。「選抜=選ばれた人」「アンダー=選ばれなかった人」としか思えなかった時期もあります。
在出单曲的时候会进行「选拔」和「Under」的变动。两者都有着非常重要的作用,是不可或缺的一部分。但是,那个时候我很在意「周围人对自己的评价」,所以对「Under」有着很不好的印象。有一段时期,我一直认为「选拔=被选上的人」「Under=没有被选上的人」。
今、当時の自分を振り返ってみると、すごく頑張っていたと思います。それでも「選抜」に選ばれないのはどうしてだろう。選抜が16人いたとしたら、16番目と17番目は何が違うんだろう――。シングル曲が発表され、「選抜」に選ばれず、ついそんなことばかり考えてしまう日々でした。そうして、気づくと過食症になっていたんです。
现在重新回想起当时的自己,我认为我非常的努力。就算这样都没有选为「选拔」是为什么呢。选拔如果是16人的话,16位和17位有什么区别呢。发表单曲、被选拔为「选拔」,不知不觉每一天只考虑这些。然后,察觉到的时候已经患上了过食症。
ストレスを抱え、たどり着いた発散法
拥有着压力 最后找到的发散方法
それまで、結果を出せていないことに負い目があったし、評価されていないと思っていました。頑張ったって「選抜」に選ばれなければ無駄じゃないか、と。そんなストレスを抱えていたものの、発散させるのが苦手だった私は、「食べる」ことに没頭していきました。
在此之前,我一直对自己没有拿出成绩而内疚,认为自己没有得到好的评价。再怎么努力如果没有被选为「选拔」不就没有用么。就是这样抱有这种压力、并且不擅长释放的我,开始埋头于「吃」。
ただ、食べるのが大好きというわけではなく、おいしく味わうでもなく、無心に何かを「食べる」という行為が気持ちを満たし、落ち着かせてくれたんです。泣きながら食べた日もあります。
但是,我并不是喜欢吃,并不是品尝美味,而是没有任何想法的满足于「吃」这个行为,然后从吃中冷静下来。也有边哭边吃的日子。
だんだんと過食の影響が体形に出始めると、両親やスタッフの方から苦言を呈されるときもありました。みんな、私のためを思って言ってくれている。けれど、一番分かっているのは自分です。過食をやめなければ、痩せなければ……。けれど、指摘を受けるとそれがストレスでまた食べ、罪悪感にさいなまれるという悪循環を繰り返していました。
暴食的影响渐渐地从体型上体现出来,双亲和staff都对我提出了忠告。大家,都为了我说了这些。但是,最清楚的就是我自己。如果不放弃暴食的话,如果不瘦下来的话……。但是一旦受到指责又会因为压力去吃,变成了被罪恶感折磨的恶性循环。

「乃木坂46のメンバーとは、会えるとうれしかったし、楽屋でのおしゃべりも本当に楽しくて。今は私よりも年齢の若いメンバーが増えてきて、尊敬の気持ちがあります」
「能跟乃木坂46的成员见面就会很高兴,在休息室里聊天也非常的开心。现在有了比我年龄还小的成员,我非常尊敬她们」
その後、7枚目のシングルで念願の「選抜」に選ばれました。撮影の予定などが入り始めるとそれまでの過食は収まり、食生活を改善した効果もあって、するすると体は痩せ始めました。何より、大事なポジションを任されたことが心理的に大きかったと思います。
之后,第7张单曲我被选上了心心念念的「选拔」。一旦有了拍摄的日程,之前的暴食就会控制,对饮食生活的改善也有了效果,身体开始快速的瘦下来了。最重要的是,被任命为重要的位置,对我的心理影响也是很大的。
今の私のきっかけになった、ある出会い
成为现在的我的契机,某一次的相遇
7枚目のシングルで「選抜」に選ばれたものの、その後8枚目から14枚目までは、再び「アンダー」。どん底を経験しましたが、15枚目、16枚目で「選抜」に。
虽然在第7张单曲被选拔为「选拔」,但是只有第8张到第14张都一直是「Under」。经历了谷底之后,第15张和第16张再次成为「选拔」。
でも……、これまでずっと走り続けてきたけれど、ここで糸がぷつんと切れてしまいました。仕事に行かなければいけないのに、足がすくんで家から出られない。なぜか涙が止まらない。後に「適応障害」と診断されるのですが、笑うこともできず、大好きだった歌も踊りも集中できず、ライブのリハーサルをしていても「早くステージから降りたい」と思うほど。そして、17枚目のシングルの活動期間を、休業することに決めました。
但是,虽然一直以来都在不断向前,但是现在那根线断掉了。明明必须要去工作了,但是脚却不听使唤的无法从家里出去。不知为何泪流不止。之后被诊断为「适应障碍」,也不能笑了,不能集中于最喜欢的唱歌跳舞,就算进行演唱会的彩排也会想着「好想快点从舞台上下来」。然后,在第17张单曲的活动期间,我决定了休业。
休業中、マネージャーさんの勧めで心理カウンセラーの方にお会いしました。これまで自分には、他のきょうだいに比べ秀でたものがないとずっと思っていた。そんな私に彼女はこう言いました。「これまで続けてきたことは、誰もができるわけじゃない。あなたの努力は、すごいことなんだよ」と。このときのカウンセリングがきっかけで、心理カウンセラーという職業に興味を持ったんです。
休业中,经过经纪人的劝说我和心理咨询师的人相遇了。一直以来,我都认为我没有比其他兄弟姐妹优秀。对于这样的我她对我说了这样的话。「你一直以来坚持做的事情,是谁都无法做到的。你的努力,是非常了不起的事情」。就是以那个时候的心理咨询为契机,我开始对心理咨询师这个职业抱有兴趣了。
心理カウンセラーとして、これから
作为心理咨询师的今后
2017年の8月に乃木坂46の卒業を発表、同時に芸能界からも引退すると決めました。やりきった、という感じでした。体調を崩すまで頑張り続けたのは、それだけ夢中だったからかもしれない。けれど、人生は「アイドルだった6年間」だけではなく、この先のほうがずっと長いんですよね。その長いこの先の人生を「心理カウンセラー」として活動していこうと、養成スクールに通い勉強を開始。カウンセラーとして本格的に仕事を始めたのは2018年のことです。
2017年的8月我发表了乃木坂46的毕业,同时决定从艺能界引退。感觉到,我干到最后了。能够一直坚持加油到身体坏掉,可能就是因为如此的投入吧。但是,人生不止有「偶像的6年」,今后还有很长的路要走呢。为了能够在今后的人生中作为「心理咨询师」活动下去,我开始去培训学校学习。真正开始心理咨询这个工作是在2018年了。
今25歳の私は、カウンセラーとしては年齢的には若く、まだ人生経験が浅いかもしれません。私より年上の人と結婚や仕事の話をするとき、「力になれているかな」と不安になるときもあります。けれど、逆に学生から「これまで年齢が近いカウンセラーがいなかったので、話しやすかった」と言っていただけたのは、とても励みになりました。
现在25岁的我,作为心理咨询师来说还很年轻,可能人生经验还很浅薄。与比我年长的人聊到结婚或者工作的时候,还有着「可能成为不了他的力量」的不安。但是,反而从学生那里听到「因为一直都没有跟我年龄相近的心理咨询师,所以现在很容易沟通」,我受到非常大的鼓励。
乃木坂46だった私が心理カウンセラーになったからこそ、伝えたいことが2つあります。
正因为我做过乃木坂46也做过心理咨询师,所以我有两点想传达给大家。
1つは、私の発信が、カウンセリングに行くきっかけの一つになってほしいということ。私たちの生活の中で、心に不調が現れたときや、その予防のためのカウンセリングは、少しずつ身近になってきていると思います。けれど、まだ行きづらいと思う人も多いはず。私の発信がきっかけとなり、カウンセリングが初めての人にはハードルを少し低くし、救われる人が一人でも増えてほしいと思います。
第一条,希望我的分享可以成为你去做心理咨询的一个契机。在我们的生活中,发现内心无法调节的时候,为了预防出现不适而去做心理咨询,已经逐渐成为我们的日常生活。但是,我觉得应该很多人还很难去做出行动。我希望以我的分享作为契机,能够稍微降低大家第一次去做心理咨询的难度,希望能够有更多的人得到救赎。
そしてもう一つ。今、乃木坂46にいるメンバーや、大勢いるアイドルの卒業後の選択肢の一つに「心理カウンセラーという道もある」と伝えたい。卒業後はみんながみんな、「俳優やタレントになりたい」わけではないと思うんです。この先、心理カウンセラーとして頑張る私の背中を見せていきたいですね。
然后另一条。现在,我想告诉现在在乃木坂46的成员,以及众多的偶像作为毕业后的选择之一「还有一条通往心理咨询师的路」。毕业后,大家并不是所有人都「想做演员或者艺人」。今后,想让大家看到我作为心理咨询师努力的身影。
取材・文/尾崎悠子(日経xwoman doors)写真/稲垣純也