【GPT机翻】战国小町苦劳谭 (戦国小町苦労譚)- 133 [千五百七十五年 十一月中旬]
书名 战国小町苦劳谭
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作者: 夹竹桃
原作:http://ncode.syosetu.com/n8406bm/
翻译工具:ChatGPT
*机器输出的翻译结果UP未做任何修正,仅供试阅。标题章节号为原翻译版的顺延。*
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千五百七十五年 十一月中旬(*原文网页序列号 - 150)
東国征伐の戦後処理が一段落した十一月中旬、静子は軍を率いて京を目指していた。
东国征讨的战后处理在十一月中旬基本完成,静子带领军队朝着京都进发。
信長から申し渡された蟄居中だが、例外的に外出が認められる芸事保護の一環として法隆寺に向かうためだ。
受到信长的传达而被囚禁,但因为艺术保护计划的例外规定,被允许前往法隆寺。
直接大和(現在の奈良)へ向かわずに京を経由するのは、法隆寺(ほうりゅうじ)が誇る金堂(こんどう)壁画(へきが)を閲覧するためにほうぼう手を尽くしてくれた義父の近衛前久に礼を兼ねて挨拶をするためであった。
直接前往大和(现在的奈良)并不经过京都,是为了向岳父近卫前久表示感谢,他曾经尽最大努力帮助我们参观法隆寺的金堂壁画。
金堂壁画とは法隆寺の金堂(本尊を安置する建物)内を二つに区分する内陣(仏様を祀る場所)、外陣(参拝する空間)に配置された土壁の壁面に描かれた仏教絵画である。歴史的な資料が存在しないため作者不詳であり、7世紀末頃に描かれたとされる。
金堂壁画是法隆寺金堂(安置本尊的建筑)内分为内陣(祀仏之处)和外陣(朝拜场所)的土墙壁面上的佛教绘画。因为没有历史资料可查,所以作者不详,据说是在7世纪末绘制的。
史実に於いては第二次世界大戦後の1949年に不審火で外陣が焼失してしまい、修復の為に取り外されていた内陣小壁の壁画20面のみが難を逃れて現存している。
史实上,二战后的1949年,由于一起可疑的火灾,外殿被烧毁,修复期间被拆下的内殿壁画小墙中只有20幅幸免于难,并保存至今。
そうした経緯を知っている静子は、少しでも保存状態の良いうちに写真に撮って資料を残そうと考えた。ようやく実用試験に漕ぎつけた写真がものになるかをはかる試金石となる事業でもあった。
知道了这种经历的静子,考虑拍照留下资料,以便尽可能保存好状态。拍摄最终成功的照片成为了测试其实用性的试金石,也是一项重要的业务。
静子が生まれた時代には既に永久に失われてしまった存在を、模写ではなく写真として後世に伝える機会を得られたことに静子は東国征伐よりも高揚していた。
静子出生的时代已经永远失去了一些存在,而她有机会以照片的形式将它们传递给后世,这比东国征伐还要让她兴奋。
「一般公開されない芸術品を目にできる! これこそ芸事保護の役得だよね!」
"可以看到一般不公开展示的艺术品!这正是艺术保护的好处啊!"
端緒こそ朝廷からの依頼を受け、信長から命じられた芸事保護の役目だが、今では名実ともに静子のライフワークとなっていた。
所谓端绪,是指从朝廷接到的请求,并受到信长命令的艺术保护任务,但现在已经成为静子的实际工作和事业。
仮に信長が任を離れるよう命じたとしても、頑としてしがみつく心づもりですらあった。現代にいたころの静子はいわゆる歴女、悠久の歴史を振り返って当時の風物へと思いを馳せる女だ。
即使信长命令离开,也有顽固地坚持不放的心态。静子在现代是所谓的历史迷,回顾那悠久的历史,沉浸在当时的景象中。
現代ならば国宝級に相当するような代物を直接見たり触れたりできる特権を誰かに譲り渡すつもりなどさらさらなかった。
现代的话,绝不会将能够直接观看或触摸到类似国宝级别的物品的特权转让给任何人。
普段は押しの弱い静子が、芸事保護や刀剣蒐集に関しては鬼気迫る執着を見せることが判り、その懸命な様子には信長も苦笑するしかなかった。
平时温顺的静子,对于艺术品保护和收藏刀剑之类的事情却表现出了令人胆寒的执着,信长只能苦笑着看着她的努力。
「さあ皆、この遠征の結果如何(いかん)でカメラの価値が決まるんだ。気合を入れていこう!」
"现在大家,这次远征的结果将决定相机的价值。全力以赴吧!"
静子は隊の中ほどで周囲を見回しながら、恐らく京と思われる方角を指さして号令した。いつになく高揚している静子の様子に、周囲は苦笑しつつも粛々と進んでいった。
静子在队伍中间环顾四周,可能是指向京城方向,然后发出指令。尽管静子情绪异常高昂,周围人也微笑着继续前行。
「俺には静子がやる気を出すツボが判らん」
“我不知道如何唤起静子的积极性。”
「某には少し判る気がする。静子様肝煎(きもい)りの『かめら』のお披露目だ、長い修練の成果を見せるようなものと思えば理解できよう?」
「我觉得某个人会略有所悟。如果把静子女士的名为『镜子』的成果当作长时间修炼的成果来展示的话,就可以理解为展现出了成果。」
「俺はそれだけとは思わんがね。誰が認めなくとも『かめら』の価値は、既に静っちと上様が認めているから揺らぎようがない。まあ、そうは言っても寺の落書きを見るためだけに、大和くんだりまで出かけるのは酔狂だと思うがね」
“虽然我不只是这么认为。但无论谁不承认,“Kamera”的价值已经被静静和上様认可,不会动摇。虽然这么说,单为了看寺庙的涂鸦,就连大和君也出门可太疯狂了。”
長可の呟きを聞きつけた才蔵の言葉を慶次が引き継いで総評を下した。当の静子は鼻歌でも歌いださんばかりの上機嫌で、彼らの内緒話など耳に入っていなかった。
慶次听到长可的低语后,引用了才藏的话做出总结。而静子则高高兴兴地哼着小调,完全没有听到他们的私密谈话。
今回の大和行きの隊列は、いつにない大所帯となっていた。
这次大和行的队伍规模是前所未有的庞大。
長可、才蔵、慶次の3人は当然として、静子軍の中でも精鋭が選抜され五千名もが従軍している。彼らが守るのは主君たる静子は勿論、今回の目玉である写真技師及び撮影機材一式。
长可、才藏、庆次三人自然是当然的,静子军中的精锐也选出了5000人随军。他们要保护的是除了静子主公之外,这次的焦点摄影师及摄影器材一系列。
道中で京を経由するため、義父である前久(さきひさ)と顔合わせをさせるべく四六に器、教育係に収まった森可成も同道している。
为了经过京都而在路上与義父前久(さきひさ)会面,森可成也跟着四六大小,担任教育係以同行。
更には新たに雇い入れた家人として、虎太郎(こたろう)、弥一(やいち)、瑠璃(るり)、紅葉(もみじ)のユダヤ人四名も前久に紹介するつもりだ。
此外,作为新雇用的家仆,我计划介绍四位犹太人 - 虎太郎,弥一,璐璃和枫叶 - 给前久.
彼らはそれぞれに一芸に秀でた才の持ち主であり、前久とよしみを結ぶことは決して損にはならない。
他们各自都是有才华的人,擅长于一种艺术领域,与前久和和善相处绝不会有损失。
それにこういう機会でも無ければ、彼らは仕事に掛かり切りになってしまい、ろくに休みを取ろうとしないのだ。
而且,如果没有这样的机会,他们会沉迷于工作,不会好好休息。
そこで静子は一計を案じ、こうして顔見せと言う名目で物見遊山に連れてきている。物理的に仕事しようがない環境に置けば、彼らも気分転換になるだろうと言う思惑だ。
于是静子就想出了一个计策,以拜访景点为名带他们去游玩。在物理上无法工作的环境下,让他们换换心情会乐于接受这个想法。
因みに静子自身がワーカホリックに陥っており、関係者をやきもきさせているという事には無自覚であった。
顺便提一下,静子自己已经陷入工作狂中了,对此毫不知觉地使相关人员感到不安。
(上様が朱印状を発してくださったお陰か、道中が快適だなあ)
(多亏上方发了红印状,旅途非常愉快啊)
静子の大和行きに際して、事前に経路上の国人に対して信長から朱印状が届けられていた。
在静子前往大和之前,信长已经事先发放了红印状给路上的国人。
当然静子自身も黒印状を出して便宜を図って貰うよう依頼していたが、信長からの朱印状にはそれ以上の内容が記されていた。
当然静子自身也请求出具黑印状以方便办理,但信长颁发的朱印状上记载着更为重要的内容。
即ち、『静子の大和行きに対して最大限の便宜を図り、万が一にも不埒ものが現れようものなら武力を以て鎮圧する』という信長からの脅迫に近い命令であった。
这是信长下达的近乎威胁的命令,即“为了给静子前往大和提供最大限度的便利,如果有不良分子出现,就动用武力镇压”。
朱印状を見た国人たちは血相を変えて領内の順路を確認に赴き、道や橋などが傷んでいれば急いで普請を施し、付近の山々に対しても山狩りを行い野盗の一掃に血道を上げた。
看到朱印状的国民们神色狂变,前去确认领内顺路,如有路途或桥梁受损,便急忙进行修缮工程。他们还在附近山区进行狩猎,秉持清剿野盗的决心。
前(さき)の東国征伐では、一敗地に塗(まみ)れたとは言え、殆ど損害も出さずに武田・北条連合軍を散々に追い散らしたという武勇が鳴り響いている。
在前往东国的征讨中,虽然有一次被打败的经历,但据说大多数情况下并没有造成损失,反而表现出了勇武之姿,将武田·北条联合军打散。
静子の不興を買うだけでも恐ろしいと言うのに、更に信長からも念を押された形になり、僅かな粗相(そそう)もあってはならぬと、国主自らが関所まで出迎える領地すらあった。
即使招惹了静子的不满已经很可怕了,国主们也进一步得到了信长的重视,在没有任何闪失的情况下,甚至有领土要求国主亲自出门迎接。
更には静子軍に対する噂も、彼らの抱く恐怖を煽り立てるのに一役買っていた。
"而且对于静子军的谣言也起到了煽动他们恐惧的作用。"
話によれば、静子軍を構成する人間の出自はバラバラであり、生粋の武人だけでなく、食い詰めた百姓や職人の倅(せがれ)や、浪人はおろか野盗上がりの元ならず者すら抱えていると言う。
据说,静子军成员的出身背景五花八门,不仅有纯正的武士,还有贫苦农民、手艺人的儿子、甚至是流浪汉和从野盗转行的痞子。
通常であれば愚連隊(ぐれんたい)になるのが関の山という烏合の衆を、静子を頂点とする鋼の結束を誇る組織に纏め上げている。
通常情况下,将群众中的混乱无序之气,统合为静子为首的钢铁般的团结组织,而不是成为愚气的黑帮。
口さがない者は、彼らを指して静子を崇める狂信者と言う程には皆が心酔しており、内部から静子軍を切り崩そうと企んだ者たちは逆に手駒を取り込まれて臍(ほぞ)を噛んだ。
那些没话说的人被称为崇拜静子的狂热信徒,大家都很崇拜她,曾试图从内部瓦解静子军的人反而被收编成了棋子,非常后悔。
そうした経緯から、静子軍の内情は外部に殆ど伝わらず、調略に失敗した者たちが悔し紛れに流布させた悪評のみが誇張されて伝わっていた。
因此,静子军的内部情况几乎没有传到外面,只有那些失败的调查者无奈传播的恶评被夸大地传开了。
そうした情報を鵜呑みにした訳ではないが、『火のない所に煙は立たぬ』の諺もあり、国人たちは彼ら一行を移動する天災と捉え、万難を排して通過させることに尽力することとなった。
虽然他们没有轻信这些信息,但也有谚语说“无风不起浪”,国民认为他们是天灾,竭尽全力通过。
「今回の順路には入ってないけれど、日程に余裕が出来たら春日大社にも寄りたいなあ……宝庫に『アレ』があるかもしれないし」
“虽然这个行程没有包括,但如果时间充裕的话,我也想去春日大社看看……那里可能有‘那个东西’的宝库。”
静子の言う『アレ』とは、1939年(昭和14年)に宝庫天井裏から発見された平安時代から鎌倉にかけての名刀12口(ふり)を指す。
静子所说的“那个”,是指1939年(昭和14年)在宝库天花板上发现的平安时代至镰仓时代的12口名刀。
いつ頃に隠されたのかは定かではないが、少なくとも第二次世界大戦終結前に発見されているため、戦後にGHQが実施した刀狩りを避けるためという説は否定出来る。
虽然不确定藏起来是在什么时期,但至少在二战结束前就已经被发现了,因此否定了为了避免战后由GHQ实施的刀剿而藏匿的说法。
とは言え、真正面から捜索を願い出れば、先に発見された挙句に隠匿される可能性もあるため、宝庫閲覧の許可のみを得られるよう手回しを整えていた。
然而,如果直接请求搜索,可能会先被发现并隐藏,因此已经做好了安排,只获得浏览权限。
元々立ち寄る予定はない上に、許可が得られない可能性もあると言うのに、静子は一行に宮大工をはじめとした建物を解体し、再構築できるだけの職人を同行させていた。
尽管原本没有计划停留,甚至可能无法获得许可,静子还是让一行人带着宫大工和足够重建建筑物的工匠一起前往拆除并重新建造。
(恐らく現時点でも隠されていると思うけど、確証はないからなあ……)
(也许现在仍然被隐藏着,但我没有确切的证实……)
史実に於いては刀身が錆びついた状態で発見されたが、現時点であればもっと保存状態の良い状態で発見できる。まだ見ぬ国宝級とされる名刀に思いを馳せ、静子は心を躍らせた。
历史记录显示,这把刀曾被发现时刀身已生锈,但现在应该可以在更好的保存状态下被发现。静子想起还未见过的被认为是国宝级别的名刀,内心兴奋不已。
静子一行は大所帯であるため、京へと至る経路に陸路を選ばざるを得なかった。
静子一行因为人数众多,被迫选择陆路前往京都。
如何に湖上水運が整備されているとは言え、小型から中型船舶が主流であるため、大規模人員輸送には適さなかった。
尽管湖上水运得到了改善,但由于小型到中型船舶仍是主流,因此不适合大规模人员运输。
そこで前久への土産等は一行に先んじて琵琶湖経由で京へと届けられ、静子一行は安土で一泊することとなった。
因此,旅行团的礼物等事先通过琵琶湖送到前久的家,静子一行决定在安土住宿一晚。
信長の御座所でもある安土では、如何なる身分の人物であろうとも一泊することが義務付けられている。
在信长的宝座所在地安土,无论是什么身份的人都被强制要求住一晚。
静子は信長に拝謁し、挨拶を述べた。
静子向信长拜谒并致意。
その他にも道中の様子などを語って席を辞すと、高虎に近況を聞こうと遣いを出したが、安土城の工事が佳境に差し掛かっており、時間が折り合わなかった。
除此之外,当谈及途中的情况并告别时,便派人想向高虎打听近况,但由于安土城的工程正进入关键期,时间上无法协调。
代わりに総奉行である丹羽が出向いて状況を説明する運びとなった。
反而由总奉行丹羽前往解释情况。
聞けば年明けには天守まで完成する見込みであり、それを待って信長が移り住むことが予定されており、そうなれば信長が日ノ本で初めて高層建築で生活を営んだ人物となる。
据说明年年初天守楼将完工,并计划让信长搬到里面居住。一旦如此,信长就成为日本首位在高层建筑中居住的人物。
安土城築城に携わる関係者が忙殺される中、静子が居ては相手をしない訳にもいかず彼らの邪魔をすることになる。最低限の挨拶だけを済ませた静子は、翌日安土を発ち一路京を目指した。
在参与建造安土城的人都忙得不可开交时,静子不能不应付他们的干扰。她只做了最基本的问候后,第二天便离开安土,走上京都的路程。
流石に安土−京間の街道は良く整備をされており、程なくして静子一行は京へと入る。
不愧是安土至京的街道,修建得非常好。不久之后,静子一行就进入了京城。
「よくぞ参られた。長旅の疲れもあろう、しばし寛いでは如何(いかが)かな?」
欢迎光临。长途旅行一定很累了吧,稍作休息如何?
静子は京へ入ると京屋敷へ身を落ち着け、早速前久へと先触れを遣わせた。
静子一进京城就到了京屋,安顿好自己,迅速派人先去见了前久。
そこで返ってきたがのが前述の言葉であり、頃合いを見て前久から迎えを寄越すとあった。
因此回来了,前面提到的话,说要在合适的时候从前久那里过来接。
静子は前久の好意に甘えることにし、旅装を解いて湯浴みをして身支度を整えた。
静子决定借助前久的好意,放下旅行行装,泡个热水澡来整理一下形象。
まるで静子の支度が整うのを待っていたかのようなタイミングで前久の遣いが訪れ、静子を伴って近衛家の屋敷へと向かう。
就像是在等待着静子准备好一样,前久的使者在此时到访,伴着静子前往近卫家的住宅。
前久の居室へと通された静子は、珍しく衣冠(いかん)(宮中等の勤務服)姿の前久自ら手厚く迎えてくれた。
被引领到前久的起居室的静子,被罕见地身穿衣冠(皇宫等工作服)的前久热情地迎接。
京へと入る前から到着の先触れは出していたが、もしかすると内裏(だいり)から急いで戻ってきてくれたのかも知れない。
从进入京城之前起,就已经能感觉到到达的先兆了,但也有可能是因为内宫急忙让我们返回吧。
前久と猶子(ゆうし)を結ぶ前から余り貴族らしい振る舞いを見てこなかった静子は、彼の姿を見て改めて摂政という宮中の頂点に君臨する存在だと自覚した。
静子之前从未见过久和猶子表现出太多贵族气息,但看到他时,她意识到他作为摄政,是宫廷的顶点存在。
前久は相好を崩し好意的に静子に接するが、近衛家の家人達が浮かべる表情は硬い。それもそのはず、前久は静子の為人(ひととなり)を知悉(ちしつ)しているが、彼らはそうではない。
前久曾放松相处并友善地对待静子,但是近卫家的家人们面露紧张。这很正常,因为前久了解静子的为人,但他们却不了解。
多くの公家達が困窮する中、近衛家の財政は隆々たるものがあった。
在许多公家陷入困境之际,近卫家的财政状况十分繁荣。
元より五摂家筆頭である近衛家の身代はそう易々とやつれるものではなかったが、静子を猶子に迎えて以降劇的に盛り返した。
自 从 迎接 静 子 爲 养 女 之后,以 元為 五 谏 家 首府 的 近 卫 家 身 代战 并 非 那 么 容 易 老化,但 它 在 猶子 中 得到 了 戏剧 性 的 复 兴。
尾張から発信される様々な文物を京へ伝える流行の担い手にして、静子の手ほどきを受けて荘園運営改革を推し進めた結果、かつて『望月の歌』を詠んだ藤原卿程ではないにせよ、名実共に公家の頂点へと駆けあがった。
尾張传来的各种文物被传到京都,成为时尚的推手,并在静子的指导下推动了庄园管理改革,结果不仅在名义上,而且实际上攀上了官僚的巅峰,虽然不是藤原卿程,曾经吟唱过“月望之歌”。
今日の賓客はそれらの原動力となった人物であり、万が一にも不興を買えば我が身の破滅程度では済まないと言う切迫した思いが家人を萎縮させていた。
今天的贵宾是那些推动力的人,如果无意中激怒他们,可能会让全家陷入破灭的境地,这种紧迫感让家人感到畏缩。
「さて、久々の顔合わせだと言うのにこうも堅苦しくては気も休まるまい。離れに一席用意させたので、そちらで土産話でも聞かせてはもらえまいか?」
“哎呀,这么久没见面了,却这么拘束,怎么能让人放松心情呢。我为你们准备了一张桌子,我们可以一边聊天一边享用点心,你们有什么趣事能与我们分享吗?”
「お気遣い痛み入ります」
「非常感谢您的关心」
静子の応諾を待って前久が席を立ち、彼自らが先導する形で離れへと席を移した。
静子等待着前久的同意,前久站起身来,自己带头离开座位,走向别处。
前久自慢の離れには、湯気を立てる煎茶と軽食が二膳用意され、義父と義理の娘が向かい合う形で席へ着いた。
前面隔了一段时间的别墅里,摆放着两份煎茶和点心,義父和义理的女儿面对面地坐在座位上。
(流石は京だね。食事一つとっても尾張や美濃……いや、武家様式とは異なるんだね)
"京都真不一样啊。就是用餐一个环节也不同于尾張或美濃……总之,不同于武家式样呢。"
軽食とは言え、料理の盛り付けやあしらいにまで気を配り、膳や器、小物に至るまで贅を凝らした実に雅な懐石(かいせき)となっていた。
虽然是小吃,但它的摆盘、处理都精心呈现,从餐具、器皿、小物件每个细节都展现出极致的精致,成为了极具雅致的懐石料理。
対する尾張や美濃では、良く言えば実利主義であり虚飾を排し、料理の味と量で勝負するという豪胆さがあった。
在对于尾张和美濃,他们以实利主义为主,摒弃虚饰,凭借料理的味道和量来竞争,表现出了大胆的精神。
どちらが優れていると言うものではないが、これも文化の違いと受け入れた。
这不是说哪个更出色,而是接受这也是文化差异。
「此度の大和行きは、芸事保護を行う上で試金石となると小耳に挟んだのだが?」
“听说此次前往大和是为了保护艺术,起到试金石的作用?”
「随分と良いお耳をお持ちですね。そうです、かねがね研究を続けて参りました『カメラ』がようやく形になりまして」
“你的耳朵非常好啊。没错,经过不断的研究,我的『相机』终于变成了现实。”
「ほう! それは、一瞬にして世界を写し取ると噂の?」
“哦!那是传说中能够一瞬间映现整个世界的东西吗?”
「本当にお耳が早いですね。今回の大和行きで実用に耐えるか評価し、その結果を以て京でも広めていこうと考えております」
"您的耳朵真是灵敏啊。我们将在前往大和的这次旅行中评估其实用性,并根据结果在京都进行推广。"
「なるほど。そうなると前のいくさで多くの文物が失われたのが口惜しい」
“原来如此。这样一来,前一场战争中许多文物的流失实在令人惋惜。"
前のいくさとは応仁の乱を指し、奈良時代から平安にかけて栄耀栄華を極めた朝廷文化は灰燼(かいじん)に帰している。
前一场战争指的是応仁之乱,自奈良时代至平安时代繁荣发达的朝廷文化已化为灰烬。
11年にも亘って続いた戦乱によって京は荒廃し、京の市街などは北部一帯が焼け落ちた。
由于持续了11年的战乱,京城遭受了荒废,京城市区以及北部地区的许多地方都被烧毁了。
治安の悪化から夜盗が横行し、他にも度々いくさに巻き込まれ、歴史的価値の高い書物や金品、芸術品などは軒並み失われてしまった。
由于治安恶化,夜盗猖獗,也经常被卷入战乱中,历史价值高的书籍、贵金属、艺术品等相继失落。
現在は信長の庇護下、治安も回復し日ノ本有数の都市として復興していた。
现在在信长的保护下,治安得到恢复,成为日本颇具规模的城市。
京に平穏が戻ると、帝を中心とした朝廷文化と、大衆を中心として庶民文化が相互に影響し合い、独特の文化を形成しつつあった。
随着京城的平静回归,以皇帝为中心的朝廷文化和以大众为中心的庶民文化相互影响,正在形成独特的文化。
「既に失われてしまったものはどうしようもないが、『カメラ』があれば物の在り様を永く留め置けるのであろう?」
“既然失去的东西已经无法挽回,但如果有『相机』,或许可以永久留住物事的存在之态呢?”
「芸事保護のお役目を頂戴して以降、京でも失われたと思われていた資料を見つけたことも御座います。『カメラ』が資料を複写する時間を大幅に削減してくれます。芸事保護にも弾みがつこうというものです」
“自从担任艺事保护职责以来,我还发现了在京城已经认为失踪的资料。『相机』帮助我们大幅缩减复制这些资料的时间,这也促进了艺事保护的进展。”
「それは重畳(ちょうじょう)。いずれ『カメラ』とやらを見たいものよ」
“那叫重叠。迟早会想看看所谓的『相机』。”
静子の芸事保護が有名になるにつれ、日本中に散逸した文芸品や資料等が続々と集まるようになってきていた。
随着静子的艺术保护变得出名,日本各地不断聚集了大量的文艺作品和资料。
群書類従(ぐんしょるいじゅう)に近い資料を編纂する中で、盗難被害に遭ったとされる古書が発見されたり、戦災を避ける為に持ち出されていた資料が持ち寄られたりしている。
在编纂类似《群书类编》的资料时,发现曾经遭盗窃的古籍,或者因躲避战争而被带走的资料被携带回来了。
これらの古書や資料などは再び紛失しないよう、静子の手により複製が作られ近衛派の公家達にも一部が託され、朝廷文化の保管を担っていた。
这些古书和资料再次不会丢失,静子复制了它们,并将其中一部分托付给近卫派的公家们,负责保管朝廷文化。
歴史や格式を重んじる公家達の中で、貴重な資料を管理している近衛派の公家達は一目置かれるようになり、いつしか一大派閥を形成するまでになっていた。
在重视历史和仪式的公家中,管理宝贵资料的近卫派公家开始受到尊重,逐渐成为一个大的派系。
「誹(そし)るつもりはないが、得てして武家の人間は芸事を軽んじる向きがある。中には理解を示す御仁も居られるが、多くは金になるかならぬかが評を分ける。無論、金銭的価値も重要な指標だとは思うのだが、随筆なども後世に残すべき美があると知って貰いたいものだ」
“并非有诋毁之意,但常有武士们轻视艺术之风。虽然也有人能理解,但大多数人评价艺术作品是以能否带来经济利益为标准。当然,我也认为金钱价值是重要的指标,但同时也希望更多人能够认识到随笔等作品中的美才是留给后世的。”
「そればかりは個人の性向ですゆえ、難しい面もあるでしょう。武家の方々は生き急ぐ方も多く、比較的身近であるはずの刀剣蒐集などにも理解を示されないこともしばしば……」
“这仅仅是个人性向的问题,所以难度相对较大。武士们中有很多急于求成的人,对于诸如收集刀剑等比较常见的爱好也时常缺乏理解......”
「多様な価値観の共存とは斯(か)くも難しい、せめて棲み分けが出来るよう力を尽くさねばならぬ」
“不同观念的共存是如此的困难,我们必须尽力使居住区域分隔开。”
「微力ながらお手伝い致します」
「微力但愿能帮到您」
そんな会話を交わしつつ、静子は近衛邸で一夜を過ごした。昨夜は前久が自分の派閥の公家を招き、宴席を設けたため盛大な会食となった。
在交谈中,静子在近卫宅邸度过了一夜。昨晚前久邀请了他的公家派系,设宴款待,所以宴会非常盛大。
静子が持ち寄った珍しい食材や、静子が連れてきた料理人の振る舞う料理が並び、前久も面目躍如といったところだろう。
静子带来了珍奇的食材,还有她带来的厨师所制作的美食,这些菜肴摆放在那里,前久也会感到自豪。
前久が自派の公家達を入れ替わり立ち替わり紹介するのだが、静子の頭にはまったくと言って良い程入ってこなかった。
前久介绍自己的官员们,不断地更换,但对于静子来说,几乎毫不入耳。
取りあえず顔を繋ぎさえすれば良いと割り切り、にこやかに応対していたが内心辟易していた。
暂且只要接通面部并尽力应对,虽然表面上微笑着,但内心却感到十分疲倦。
翌朝、朝靄(あさもや)が立ち込める中、静子一行は近衛邸を後にした。四六と器、教育係の可成は近衛家に残り、大和より戻る静子一行を待つことになる。
第二天早上,当晨雾笼罩着时,静子一行离开了近卫馆。四六和教育主管可成留在近卫家中,等待从大和返回的静子一行。
ここで四六と器は、公家の子女として最低限心得ておかねばならないことを学ぶこととなる。
在这里,我们将学习作为公家子女最基本的必须心知的事情。
彼らの教育については前久が請け負ってくれたこともあり、可成も同道しているため悪いようにはしないだろうと判断している。
他们的教育由前久负责,可成也一同参与,因此我认为不会出现不好的情况。
こうして一路法隆寺を目指す静子一行は、事前に法隆寺と交渉役を担っていた足満と合流すると、法隆寺の周辺に陣を張った。
这样,一行人前往法隆寺的途中,与担任交涉人的足满会合后,在法隆寺周围扎营。
かつて信長が東大寺でそうしたように、静子も付近の治安を安堵するよう兵に命じると、法隆寺側へと到着を伝えた。
曾经像信长在东大寺那样,静子命令士兵维持附近治安,并通知法隆寺方面她已经到达。
事前に交渉が済んでいることもあり、境内へ立ち入る人間を制限された以外は注文を付けられることもなかった。
事先已经进行了谈判,除了受到进入境内的限制,人们也没有被指示下订单。
静子としても武装した兵士を大勢連れ歩くつもりはなく、最低限の人員のみを随行させることで了承した。
静子并不打算带着手持武器的士兵漫步,而是同意仅随行最低限度的人员。
法隆寺は7世紀ごろに創建された聖徳(しょうとく)太子(たいし)ゆかりの寺院である。
法隆寺是在约7世纪建造的与圣德太子有关的寺庙。
静子が目指す金堂が存在する西院伽藍(がらん)は、現代に於いて世界最古の木造建築物群と呼ばれていた。
静子所追求的西院伽蓝寺金堂,被认为是现今世界上最古老的木造建筑群之一。
写真撮影が順調に済めば、続けて夢殿(ゆめどの)を中心とした東院伽藍の調査も申し入れていた。
如果拍照顺利完成,接下来也将提出关于以梦殿为中心的东院伽蓝的调查申请。
法隆寺側としては無法者の印象が強い武家の介入を極力排除したいが、信長の懐刀であり朝廷から芸事保護を託された人物であるため無下にも出来ず、折衷(せっちゅう)案として僧侶の修行を邪魔とならない間に限って了承した。
法隆寺方面强烈印象是无赖武士的介入,因而力图排除。但信长的亲信兼接受朝廷保护的人,不能轻易拒绝,考虑折衷之后,在不妨碍僧侣修行的前提下同意了。
双方がそれぞれの条件をすり合わせた結果、撮影には法隆寺側の人間が必ず立ち会うこと、撮影が済み次第速やかに撤収すること、撮影機材や現像器具等は高価かつ危険な薬剤も存在するため、決して許可なく触れない事を取り決めた。
经过双方商议,达成以下协议:在拍摄时必须有法隆寺方人员在场,拍摄完成后立即撤离;由于拍摄设备及显影器具等涉及高价值和危险药品,双方约定严禁未经许可触碰。
こうして静子が法隆寺前に陣を張ってから数日後、世界初となる写真撮影が斑鳩(いかるが)の地にて執り行われることとなった。
在静子在法隆寺前待了几天之后,世界上第一次摄影在斑鸠之地成功举行。
持ち込まれたカメラは二台。フィルムカメラで言うところのネガに相当するガラス乾板(以降、乾板と呼ぶ)は数百枚が用意され、印画紙に相当する鶏卵紙の素材として高級越前和紙を千枚ほどが持ち込まれた。
带进来的相机有两台。相当于底片相机中的底片的玻璃干板(以下称为干板)准备了数百张,用作印画纸的鸡蛋纸材料的高级越前和纸带了大约1000张。
現像用の機材については大型の物も多く、文字通りの門外漢である法隆寺の僧侶たちは未知の道具を操る技術者を、遠巻きにこわごわと見守っていた。
对于用于显像的设备,许多都是大型的。作为门外汉的法隆寺僧侣们对于这些陌生的工具只能远远地害怕地观望着技术人员操作。
「まず塔(五重塔(ごじゅうのとう)の事)の外観を撮影します」
先拍摄塔(五层塔)的外观。
現代に於いて主流となっている所謂デジカメは、レンズを被写体に向けボタンを押した瞬間に撮影が完了し、デジタル画像が保存される。
现今主流的所谓数码相机,在镜头对准被摄体后按下快门即可完成拍摄,并保存数字图像。
対する静子達の乾板写真は撮影の前後に様々な作業が必要となった。
对于静子们的干板照片,拍摄前后需要进行各种工作。
まずカメラを三脚で固定し、蛇腹を開いてレンズを取り付け、光を遮る黒布を被り、レンズを開いてピントグラスと呼ばれる曇りガラスに映った像をルーペで確認しながらピントを合わせる。
首先将相机固定在三脚上,展开伸缩镜筒并安装镜头,戴上遮光黑布,打开镜头并使用放大镜确认称为对焦镜片的模糊玻璃中的图像并对焦。
次に暗幕に覆われた即席の暗室内で乾板をフィルムホルダーにセットし、シャッターを閉じてシボリを絞る。
接着,在被帷幕覆盖的即席暗室内,将干板置于胶片支架上,关闭快门并收缩光圈。
ピントグラスを閉じてフィルムホルダーをセットし、フィルムホルダーから遮光板を引き抜く。
闭合对焦镜片,安装胶片支架,从胶片支架中取出光屏板。
その状態で機械式のシャッターを一度だけ作動させ、規定時間露光させることにより撮影が完了する。
通过在那种状态下仅一次操作机械式快门并暴露规定时间,拍摄就完成了。
その後、再び遮光板をフィルムホルダーに差し込み、暗室内で乾板を取り出すという一連の作業を写真1枚ごとにすることになる。
然后,需要一步步地拍摄整个过程,将遮光板再次插入胶卷座,然后在暗房中取出干板。
これでも感光基材の改良によって露光時間を短くできた方であり、1枚の写真を撮るのに平均5分程度の時間を要するが、湿板時代の数十分かかる撮影と比較すると格段の進歩を遂げていた。
这是通过感光基材的改良成功缩短曝光时间的方法,拍摄一张照片平均需要5分钟左右,与湿板时代拍摄需要几十分钟相比,取得了显著的进步。
「撮影できました! これより現像致します」
"我们成功拍摄了!现在将开始冲洗照片。"
撮影を終えたフィルムホルダーを持った技術者が暗室へ向かい、現像作業に入ることになる。
持有拍摄完成的胶片的技术人员会前往暗房进行显影工作。
このフィルムに記録された像は明暗が逆転したネガと呼ばれる状態になっており、これを印画紙と呼ばれる感光材料を塗った紙に焼き付けることを現像と呼ぶ。
这部影片所记录的图像处于被称为底片的明暗颠倒的状态,并将其曝光到涂有感光材料的纸张上,这被称为显影。
この現像の仕組みから、一枚のネガから複数の写真を得る事が出来、同じ写真を大量に作ることが可能となる。
通过这种显影机制,可以从一张底片中获得多张照片,并且能够大量制作相同的照片。
今回静子達が選んだ印画紙は鶏卵紙と呼ばれるものを用いる。鶏卵紙の特徴としては安価で大量生産に向き、コントラストの強い鮮やかな像を得られることがある。
这次静子们选择使用称为鸡蛋纸的印画纸。鸡蛋纸的特点是便宜且适合大规模生产,可以获得对比强烈,鲜艳的图像。
暗室にて薄明りの中、硝酸銀水溶液に浸された鶏卵紙を乾板と接着し、暗室から持ち出して露光させることにより乾板の画像を印画紙に焼き付ける。
在暗室里,将鸡蛋纸浸泡在硝酸银水溶液中,然后与干板粘贴在一起,在暗室外曝光,将干板的图像烧印在印画纸上。
この際に、ネガを通して焼き付いた像は明暗及び左右が反転した像となる。充分に露光させた鶏卵紙を乾板から慎重に剥がし、流水で洗うと徐々に映像が浮かび上がってくる。
此时,通过底片烧印的图像会变成明暗和左右反转的图像。将暴光充足的鸡蛋纸从干板上小心地剥离,并在流水中冲洗,渐渐地图像就会浮现出来。
程よく鮮明な像が得られた時点で印画紙を定着液に浸け、それ以上化学反応が進むことを止める。これをしないとどんどん反応が進み、最終的には印画紙全面が真っ黒に染まることになる。
当获得适度清晰的影像时,将感光纸浸入定影液中以停止化学反应。如果不这样做,反应会不断进行,最终导致整张感光纸变成全黑的情况。
ここまでの手順を踏むことによって、ようやく白黒の写真プリントが一枚手に入れることが出来るのだ。
只有按照这些步骤,才能最终拿到一张黑白照片的印刷品。
本来ならば連続でどんどん撮影を続けるべきだが、まずは一枚焼き上がりを確認しないことには先に進めない。皆が固唾を呑んで見守る中、技術者が現像室より出てきた。
本来应该连续不断地拍摄下去,但在确认一张照片的成像效果之前无法继续前进。大家紧张地注视着,技术人员走出了暗房。
「静子様、成功です!! これをご確認下さい!」
请查收,静子小姐,成功了!!
子供のように目を輝かせた技術者が差し出した一枚の鶏卵紙。そこにはセピア調の背景に黒く浮かび上がる五重塔が屹立(きつりつ)していた。
一位技术人员像孩子一样眼睛闪闪发亮地递出了一张鸡蛋纸,上面是棕褐色背景中突兀地立着一座黑色的五层塔楼。
現代ではもっと鮮明にカラーで撮影された画像を何度も見たはずだが、これほどに感動することは無かっただろう。
现代虽然已经多次看过更清晰、彩色的图像,但无法像这样感动。
資料を頼りに、何もない処から始めて一から作り上げた写真がここにある。その感動たるやとても口で語ることなど出来なかった。
依靠资料,从零开始,制作出了这里的照片。那感动之情难以言喻。
静子は矯(た)めつ眇(すが)めつして十分写真を堪能した後、真っ先に法隆寺の僧侶たちに写真を回した。とても絵筆では再現できない繊細かつ鮮明な画像がそこには写し取られていた。
静子欣赏完足够的照片后,立刻将其交给了法隆寺的僧侣们。那里展示的图像非常精致清晰,无法用画笔再现。
僧侶たちは写真と実際に存在する五重塔を見比べ、その再現性の高さに驚嘆する。同様の手順で3枚の写真が現像され、それぞれに回覧された。
僧侣们比对照片和实际存在的五重塔,对其高度再现性惊叹不已。同样的步骤下,开发出了三张照片,分别进行了传阅。
普段は何事にも動じず飄々とした態度を貫いている慶次ですら開いた口が塞がらない様子であり、写真の開発に少なからず尽力した足満も満足げに頷いている。
即使是平常心态波澜不惊的景次都惊讶得张大了嘴巴,足满为照片的开发尽了不小的力,也满意地点了点头。
一方、芸術には然程興味がないため、大した反応を示さない長可、何だか判らないが兎に角凄いと感心する才蔵など反応は様々であった。
一方,长可对艺术并不怎么感兴趣,没有太大的反应;而才蔵不知道为什么,但无论如何都感到非常了不起,反应各不相同。
「良い仕上がりです。これならば上様からお褒めの言葉も賜れましょう」
“做得不错。这样的话,我们就可以得到客户的赞扬了。”
「はっ! これで金食い虫と詰(なじ)られる日々ともお別れです!」
“哈!从今以后,我和那个贪钱的小人再见了!”
長く地道な研究を積み重ねた結果が、こうして多くの人に評価される。その様を見た技術者の一人が涙を流した。これで写真に対する評価は変わる、技術者はそう確信していた。
长期坚持不懈的研究成果得到了许多人的肯定。看到这一场景,一位技术人员留下了眼泪。他深信这将改变人们对照片的评价。
「さて、時間が限られています。現像は後回しにしても良いので、撮れるだけ撮りましょう」
“好了,时间有限。如果需要,现像可以放到后面,现在尽量多拍照吧。”
「ははっ!」
“哈哈!”
静子の号令を受けて、技術者たちが再び撮影に取り掛かった。
在静子的指挥下,技术人员们再次开始了拍摄工作。
しかし、彼らの意気込みに反してカメラは十全には機能しなかった。真っ先にゼンマイ式のシャッターが動作しなくなり、砂時計を片手にシャッターを手で操作する羽目になった。
然而,与他们的热情相反,相机并没有完全发挥其功能。最先出现的问题是发条式快门不再工作,他们不得不拿着沙漏用手操作快门。
他にも撮影作業に慣れてくると、手順が疎かになったのか乾板を光から保護する遮光板を差し込み忘れたり、運搬途中に乾板を落として割ってしまったりとトラブルが続発した。
当他逐渐习惯了拍摄工作后,可能由于流程粗心大意,在保护干板免受光线的遮光板未插入或在运输中掉落并破裂等问题不断发生。
現像作業に於いても、薬剤が高価であるため連続耐用試験をしてこなかったツケがここにきて表面化する。定着液は空気に触れたり、処理をしたりする度にその品質が劣化していく。
在冲印工作中,由于药剂价格昂贵,我们没有进行连续使用测试,现在这个责任正在浮出水面。定影液在接触空气或处理时品质会逐渐劣化。
限界まで定着液を使用したことがなかったため、充分な定着が出来ず感光が進んでしまい真っ黒な写真が出来上がったりもした。
因为以前没有使用过足够固定的定影液,导致无法完全固定,感光过度,出现了全黑的照片。
実地運用に際して多くの失敗もしたが、それでも金堂の壁面全てに加え、五重塔の立面図に相当する写真を撮影でき、金剛力士像『阿形(あぎょう)』と『吽形(うんぎょう)』をも写真に収める事が出来た。
实地运用中虽然发生了许多失败,但仍能够拍摄到金堂所有墙面以及相当于五重塔立面图的照片,还能够将金刚力士像的“阿形”和“吽形”也一并拍摄下来。
また、休暇を取らせる目的で連れて来ていたユダヤ人の弥一だが、撮影された写真を見て閃くものがあったのか、静子に撮影の許可を願い出た。
此外,作为让他休假的借口带来的犹太人弥一,在看到拍摄的照片后似乎有了灵感,请求静子允许拍摄。
技術者の観点とは異なる視点から撮影された写真を欲しいと考えた静子は撮影の許可を出し、弥一は虎太郎を通訳として技術者に撮影するポイントを示した。
静子想要拍摄从技术人员不同的角度拍摄的照片,因此她同意了拍摄许可,弥一则指示虎太郎作为翻译,向技术人员展示拍摄焦点。
「次の写真はこの地点から、下から見上げるような角度を付けてお願いします」
“请在这个位置拍照,并从下面向上拍摄。”
カメラの視点を得るべく、地面にしゃがみこんだ弥一が虎太郎を振り仰ぎ、技術者に内容を伝えて貰う。
为了得到摄像机的视角,弥一蹲在地上,抬头看着虎太郎,让技术人员传达信息。
正射影像を撮りたがる技術者とは対照的に、弥一は投影図のような立体感を感じさせる写真を好んだ。
与喜欢拍正射影像的技术人员不同,弥一喜欢拍摄具有投影图立体感的照片。
こうして法隆寺にて撮影を続けること十日。遂に乾板のストックが底をついた。
在法隆寺持续拍摄了十天。最终,干板的存货用完了。
京の静子邸にいくらか予備の乾板が遺されているのだが、必要な量の撮影は出来たと判断した静子は撮影の終了を宣言した。
京都的静子府存有一些备用的干版,但静子判断已经拍摄了足够的量,宣布拍摄结束。
「これは……」
"这是……"
撮影機材を厳重に梱包される作業が進められる中、静子は撮影に立ち会わなかった法隆寺の高僧達へ、数枚の写真を寄贈した。
在严格包装摄影设备的过程中,静子向法隆寺的高僧们捐赠了几张照片,但并未参加拍摄。
初めて目にする写真の鮮明さは、年老いた高僧の胸をも打つものがあったのか、写真を悪鬼の所業と断じることなく正しく評価してくれたようだった。
第一次看到这张照片的清晰度,似乎在老年高僧的心中也引起了共鸣,看来他正确认真评价这张照片,而没有将它归咎于邪灵之所为。
(本当は人物も撮りたかったんだけどね……)
(其实我也想拍摄人物的,可惜……)
戦国の世に限らず、日ノ本では人の形をしたものには魂が宿ると信じられていた。
不仅在战国时代,在日本,相信那些有人形状的东西都有灵魂。
史実に於いても写真黎明期には、写真に人物を撮ると魂が写真に封じ込められると考え、忌避されることがあったという。
在历史上,甚至在摄影黎明期,人们认为在照片上拍摄人物会将灵魂封印在照片中,因此被避忌。
(まあ、急激な変革は反発を招くし、徐々に普及すれば良いよね。そうだ! 我が家の動物から始めよう!)
(嗯,激烈的变革会引起反弹,慢慢地普及就好了。对了!让我们从家里的动物开始吧!)
「ご主人は随分とご機嫌なご様子だ」
“您的丈夫似乎情绪非常愉快”
虎太郎が呆れ気味に呟いた。
"虎太郎呢呆不住地嘀咕了一声。"
「楽しいよ。こうやって新しい事の成果が出た時は特にね。ま、今回は上出来の部類だけど、大抵何かしら失敗がつきものだよね」
“很有趣的,尤其是在做新事情时取得成果的时候。这次虽然属于做得很好的一类,但通常都会伴随着一些失败。”
「それにしては失敗に対して寛容ですな?」
“对于失败如此宽容?”,简体中文翻译。
「同じ失敗を何度も繰り返すようなら叱責もするよ? 初めて挑んだ結果で失敗したのなら、その失敗さえも貴重な経験だよ。失敗を山と積み上げた先に、誰もが羨む成功があるんだと私は信じている」
“如果重複犯同樣的錯誤,那我也會責備你。但如果你第一次挑戰就失敗了,那即便是這次失敗也是有價值的經驗。我相信在累積了許多失敗之後,每個人都渴望成功。”
静子の言葉を聞いて虎太郎は顎髭を弄(もてあそ)びながら応える。
听完静子的话,虎太郎边摸着下巴胡须,边回答道。
「至言ですな。失敗無き技術など危なっかしくて使えませぬ。失敗を責めて萎縮させるより、失敗から学ばせて成功に繋げる第一歩とすれば良いのですな」
“说得好啊。没有失败的技术是危险的,不能使用。与其责备失败,让它成为成功的第一步,从中学习并取得成功。”
「そうだね。過度に失敗を恐れ、成功を求め続ければ近視眼的になって袋小路に迷い込む。だから失敗を恐れず、裾野を広くとって研究をするんだ。そうすれば一見失敗に見えても、そこから新たな芽が出ることもある。一番大事なのは研究者が、目の前の無駄に心を折らない環境を作ることだよ」
“是的。如果过度害怕失败,不断追求成功,就会变得近视眼,迷失在死路里。因此,不要害怕失败,广泛研究。这样,即使它看起来像失败,也可能从中长出新的芽。最重要的是让研究人员创造一个不会轻易泄气的环境。”
「ははは。それで気前良く設備投資を繰り返されておるのか」
“哈哈哈。那么你就慷慨地重复进行设备投资了吗?”
「優れた研究成果は、優れた環境から生まれやすい。まあ、そのせいで研究費用は天井知らずに増えるから悩みどころ。今の処は、私の利益も右肩上がりだからお釣りがくるけどね」
优秀的研究成果往往源于优秀的研究环境。然而,由此带来的研究费用不断增加,是一个令人困扰的问题。目前为止,我的利润也在不断增长,所以我也不会亏本。
「夢を追いつつ、現実もしっかりと見ておられると?」
"追逐梦想,同时也牢牢把握现实?"
「短期的な成果じゃ意味がないからね。百年、二百年先を見据えて基礎研究を続けられる下地を作っておく必要があるのよ」
“短期内的成果没有意义。需要为看到100年、200年的未来并持续进行基础研究铺好基础。”
「なるほど。現状に満足せず、常にもう一歩先を目指せと言うわけですな」
“原来如此。这意味着不满足现状,时刻追求更高一层。”
「研究だけに限った話じゃないけれど、現状に満足して歩みを止めたら、そこからゆっくりと腐り始めるんだよ」
“不仅限于研究,但是如果满足于现状而停步不前的话,就会从那里慢慢腐烂了。”
静子の言葉に虎太郎は感じるものがあった。そうして停滞してしまった祖国を捨て、新天地を求めた。自分は面白い主人に巡り合えたものだと、一人ほくそ笑んでいた。
静子的话让虎太郎感到了一种情感。他抛弃了停滞不前的祖国,寻找新的归宿。他感到自己遇到了一个有趣的主人,一个人在笑嘻嘻的。