夢見ること その一
N1試験直後、自分は成府路を遡って、出身校の東校門にたどり着いた。
夏休み中なので、大勢な人が校門のところで歩きまわっている。生徒たちは広い歩幅で校舎の方へ歩き出したとき、観客たちも小さい歩幅で遠い夕焼け空に目をそらず、広々とした東門を2、3人のグループで通り抜けた。クロスロードの前に残されたのは自分一人だけ。そんな感傷的な雰囲気のなかで沈み込めたくなかったから、自分はバスを乗って、清華大付属高校のところでしばらく休んでいた。
ちょっと7年前、自分は生徒の立場に北京へ初めて来た場所です。

高校一年生でしたのとき、自分は数学オリンピック地区予選に参加しました。夏カンプの主催者は清華大付属高校ですので、全国各地の数学オリンピック伝統校が北京で集まって選手訓練を行ってしました。短い一週間だったけど、両校(北京大学、清華大学)も見学し、各地の数学オリンピック選手も話し合った。彼らとの時間の中で、激しい競争があっても、好意を持つ相手があっても、選手たちは数学以外のことも一見しない、ただ数学にちなむ友達だから。そこに座っていた者たちは、たとえ学年が違っても、地域が違っても、趣味が違っても、国籍さえが違っても、同じ目標に向かって、大学へ広々とした東門に向かって進むことに影響はない(清華西門も同じ)。そのカンプによって、選手にならなかった自分のことをはっきり悟っていた。
北京から長沙に戻った1週間後、自分は数学オリンピックをやめました。あのとき、自分のコーチ(指導先生)担当、王先生、そう言いた。

「君は才能があるが、僕は後悔しかもしれない、去年高校入学のとき、君を推薦しなくじゃよかったか。」
自分は何も言えない。
「数学オリンピックをやめますが、数学のことは諦めないでください。きみ、一次試験(高校知識についての試験)がうまくできるし、微積分など興味深いと思わない?まだ大学入学したら、数学を勉強したほうがいいでしょう?」
その後、中期試験の準備の言いわけで、自分は9月の数学オリンピック地区予選資格をあきらめた。夏休み中に数学オリンピックを諦めた人の中に、予選資格に完全に見切りをつけた唯一の人でした。
これからの話は何度も語られた。数学について、あれから一度も真面目に学ぶことがなかった。