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不输给麟太郎的力量!强打者内藤鵬的可能性 中国籍父母取的名字:传说的“大鵬”

2022-05-30 21:56 作者:一顆普通的白球  | 我要投稿

不输给佐佐木麟太郎的力量!“100kg的强打者” 内藤鵬(三年级)的可能性中国籍的父母取的名字,希望他“像传说中十分强大的飞鸟(大鹏)一样”

photograph by Fumi Sawai(沢井史)


   转自 Number Web 2022.05.04 

文章作者:沢井史

    180cm、100kg――不输给饱受瞩目的包括花巻東·佐々木麟太郎在内的一众二年级强打者的体格,日本航空石川的内藤鵬。

    高中入学后,虽然由于新冠疫情蔓延无法进行比赛,但是他的本垒打数合计也达到了39支。比这个数字还要引人注目的是,他超乎同龄人的力量。挥棒速度达到惊人的161km。而这个数字,也是与佐々木等人一样,在他二年级时计算的。

 中村隆教练这么说道:

    “(他)低年级的时候挥棒的强度就不输给高年级。进入高年级后,挥棒速度也是队内第一。只是,没有去成为无论在什么情况下都能击中的打者。内藤的优点在于,即使被逼得非常紧也不会迷失自己。他中学时期在软式棒球部打球,我曾担心过转为硬式他会不会觉得不适应,但是在防守的时候,捕球方法等十分灵活,才发现他其实很快就适应了硬式的棒球。“

......

(中间内容比较长,和中国无关就省略了,生肉在文章最后一部分,有条件的朋友可以自己查看)

在家说中文,在学校说日语

    父母是中国国籍,和家人对话时使用中文。平常用日语进行交流,但是现在和家人们的交流也很认真,“中文的听和说都没什么问题,但是不太认识字,给父母发Line消息的时候都会发语音消息。(*Line是和微信差不多的聊天软件。)

    每次大赛期间,父母都会特意从名古屋来到金泽给自己应援,希望能够让他们看到自己的成长。

    “初中时期还觉得职业棒球的世界是梦里的世界。但是进入高中后,渐渐打出一些成绩,得到了各界人士的评价后,就开始觉得不把自己的目标确定为职业棒球运动员是不行的了。”

    中村教练说:“认真以职业棒球选手为目标的话,只和周围的人们做同样的练习是不够的。”一直和别人一样是没有办法成长的,这个道理他自己比谁都要清楚。

    “到目前为止,只是在练习方面下苦功夫也是没问题的。但是除了棒球,生活中的其他方面也很重要。比如看见了垃圾就捡起来、温柔地对待他人等,作为一个人也需要有所成长,需要去成为那种,周围的人们也会很乐意为自己应援的人。”

    去年三月与天理高中进行的练习赛上,看到了他们当时的王牌達孝太(现属日本火腿斗士队)投出的球,真正体感到了全国水平:“打不到这样的球的话是进不了职业棒球的世界的”。吸取去年秋天失败的经验,今后需要研究的课题是如何磨炼自己的适应能力。

    在电视上收看了选拔大会的直播,看到了一直很在意的花巻東·佐々木等人的身影。他敬佩地说:“一年级开始就受到这么广泛的关注,并且还能拿出成果,真是太厉害了。”尽管,他还未像佐々木等人一样有名,但也未来可期。

photograph by Hideki Sugiyama

    另外,他名字里的“鵬”,由来是中国传说中的飞鸟“大鹏”。

    “(父母希望我像)非常厉害的传说中的飞鸟——大鹏一样强大,所以给我取了这个名字。”

    他能否像“传说中的飞鸟”一样,以这个世代最强打者的身份名震全日本呢。这个夏天,希望能看到他击出好几支穿破天空的本垒打。



以下为原文:

麟太郎に負けず劣らずのパワー!“100kgスラッガー”内藤鵬(3年)の可能性中国籍の両親から授かった名前「すごく強い伝説の鳥らしくて」

    180cm、100kg――花巻東·佐々木麟太郎ら注目を浴びる2年生の大型スラッガーたちに負けず劣らずの体格を誇るのが、日本航空石川の内藤鵬(ほう·3年)だ。

 高校入学直後からコロナ禍に置かれているが、内藤が積み上げたホームランは39本。その数字以上に目を引くのは桁外れのパワーだ。スイングスピードは驚異の161キロ。これは佐々木らと同じ2年生時に計測したものだという。

 中村隆監督は言う。

「下級生の時から上級生顔負けのスイングの強さがあって、上級生を入れてもスイングスピードはチームでナンバーワンでした。ただ、どんな状況でも当てにいくバッティングはしたことがありません。内藤の良いところは追い込まれても自分の形を崩さないところです。中学時代は軟式野球部でプレーしていて、硬式に苦労するのではないかと心配していましたが、守備ではハンドリングが柔らかく、実際は硬式にはすぐに対応できるようになりました」

昨秋にキャプテンに就任「練習姿勢も真面目」

1年秋から背番号5をつけ、早くから中軸を打った。比較的ヤンチャ気質の選手が多いチームの中で、能力が抜きん出た内藤を“お山の大将”と見てしまう者もいるかもしれないが、実際は繊細で実直な性格だ。昨秋からはキャプテンに就任し、先頭に立とうという気持ちを前面に出し、練習でも常に大きな声を出している。指揮官は続ける。

「練習姿勢も真面目で、キャプテンらしくチームを何とかしようという姿勢をいつも見せてくれます。自分に対しても厳しくて、自分に足りないものを明確にして、そこに向けて具体的に何をしていけばいいのかをきちんと考えられる選手です」

 その“足りないもの”として、昨冬から取り組んだテーマが、“脚を速くすること”だ。下半身の弱さを課題としていた内藤が俊敏性を高めるためにつけないといけないと目を付けたのは腸腰筋。その理由を内藤はこう明かす。

「脚が上がらないのは脚が遅い人の特徴なんです。脚を上げるための筋肉が腸腰筋というところで、ここを鍛えるために脚を出来るだけ高く上げることを繰り返すとか、20mの塁間ダッシュとか、色んなトレーニングをやってきました。お陰でこの春以降は体にキレが出て少し速くなったような気がします」

 だが、その心意気が、予想外の事態を引き起こしてしまう。

「今年初の対外試合で、内野ゴロで思い切り一塁を駆け抜けたら左足の太ももが肉離れになってしまって……。キャプテンとして全力疾走しないといけないというのもありましたし、思い切り走っていたら、途中であれ?という感じで足が攣ったような感覚でした」

 決して重症ではなかったが、別メニューの練習の時期は1カ月近く続いた。春の県大会には何とか間に合ったが、今度は4月下旬の守備練習中にボールに勢いよく飛び込んでしまい、右肩を負傷。こちらも大事には至らなかったが、「自分の準備不足も原因。アップから見直さないといけないです」と反省しきりだった。

星稜·マーガードから2三振

昨秋は石川県大会の準々決勝で星稜と対戦した。だが、センバツでも活躍したマーガード真偉輝キアン投手のキレのあるストレートに全く対応できず、2打数2三振。チームも27で敗れた。

「星稜さんが自分の特徴を見て徹底的に対策していて、インハイをかなり攻められました。自分もしっかり攻めていけば良かったのですが、自分の攻めが鈍くて仕留めきれませんでした。自信を持って試合に入ったつもりでしたが、打席に立つと冷静さを失ってしまって、打たなきゃという気持ちが空回りしていました。普段は手を出さないような球に手を出していましたし、自分のバッティングができませんでした。マーガード投手はゾーンにどんどん投げ込んでくるイメージがあったのですが、実際はコースにもしっかり投げ分けていました」

 反省の弁しか口から出てこない。それほど屈辱的な敗戦だった。だが、秋の公式戦が終わって以降、内藤はまず“チーム改革”に乗り出した。

「自分を優先するのではなくチームを優先して、それで初めて自分のことを意識できると思っています。自分が2年生の時のチームは、“あぁ、今日もランメニューや”ってどちらかと言うと暗い気持ちのままキツイ練習に入っていったんですけれど、自分たちの代になってからは、ランメニュー前に一度集合して“みんなで今日も頑張っていこうや!”みたいに全員で気合いを入れて始めるんです。実際に1人が走り切る寸前くらいで“頑張ろうや!”ってみんなで声を掛け合っていたんです。

 秋までは“自分さえ打てばいい”みたいな考えの選手が多かったので、冬場はきつい練習を1人で乗り越えるのではなく、みんなで乗り越えるようにしました」

 自分だけが満足するのではなく、みんなで満足する。互いに仲間を優先することが自分の結果にも繋がる。内藤は周囲にそう言い聞かせて、厳しい練習に前向きに取り組んできた。

 日本航空石川は石川県の能登半島中部にあり、冬場のグラウンドが深雪で覆われる。今年の冬も多い時で雪が50cm近く積もった。連日の室内練習場での練習は根気と持久力との戦いだが、全員で乗り越えたからこそ、チームの結束力が固くなったと自負している。

 内藤は名古屋市緑区出身。元々はサッカー少年だった。通っていた小学校では4年生から運動部に入部する決まりがあり、当初はサッカー部に所属していたが、野球のクラブチームのコーチをしていた1年上の先輩のお父さんから、“お願い”をされたという。

「野球部の人数が少なかったことと、自分を見て“野球の才能を感じるから、すぐに入らなくてもいいから体験入部に来てくれないか”と言われたのが始まりでした」

 当時は野球のルールは全く分からなかったが、5年生の夏に体験入部へ。すると投げるボールの力が強く、バットを振れば遠くへ飛ばす内藤を見て周囲から感嘆の声が挙がった。

「“うわー、めっちゃ速い”とか、大飛球を打ったら“めっちゃ飛ばすやん”とか言われるようになって。それが嬉しくて、だんだん野球に興味が湧いてきました」

 当時から体は大きく、食べることが好きな子供だった。あまりにも食いしん坊で、数人のクラスメイトが残した給食を全部食べたこともあるという。だが、そのエネルギーは全て野球に注がれた。中学ではクラブチームに入り、甲子園を意識するようになると「高校は野球に集中できる環境がいい」と親元を離れる決心を固めていた。そんな時に声を掛けられたのが日本航空石川だった。

家では中国語、学校では日本語

両親が中国籍で、家族との会話は中国語。普段は日本語で話すが「中国語は聞くことや話すのは大丈夫なのですが、ちゃんと字が読めないので、親にLINEを送る時はボイスメッセージを使っています」と、現在も家族とのコミュニケーションはマメに行っている。

 大会のたびに名古屋から金沢まで応援に駆けつけてくれる両親へ、今後も成長した姿を見せたいと思っている。

「中学生まではプロ野球の世界は夢の世界だと思ってきました。でも高校に入って結果を出せるようになってからは色んな方に評価してもらって、プロの世界は目指さないといけないところだと思うようになりました」

 中村監督からは「プロを本気で目指すのなら周りと同じ練習をしていてはダメだ」と言われている。人と同じでは成長できないことは誰よりも熟知しているつもりだ。

「今までは練習してうまくなればいいと思っていましたが、野球以外の普段の生活態度だとか人間性も大事だと思います。ゴミを見つけたら拾うとか、人に優しく接するとか、人としても成長して、普段から周りからも応援されるような人間になりたいです」

昨年3月に行われた天理との練習試合で、当時のエースの達孝太(日本ハム)の球を見て「こういうボールを打てるようにならないとプロでは通用しない」と全国レベルを肌で感じた。昨秋の敗戦も糧にし、対応力を磨いていくことも今後の課題だ。

 意識する花巻東·佐々木らの姿は、センバツの映像でも見た。「1年生からあれだけ注目される中、結果を残せるのはすごい」と脱帽。ただ、まだ佐々木らほど全国へ名を馳せている訳ではないが、その素質は十分に秘めている。

ちなみに名前の「鵬」は中国の伝説の鳥からあやかり名付けられたという。

「すごく強い伝説の鳥らしくて、“鵬”のように強くなって欲しいという意味が込められているそうです」

“伝説の鳥”となり、世代最強打者としてその名を馳せることはできるのか。大空を打ち抜く一打を、この夏は何本も見てみたい。

原网址:https://number.bunshun.jp/articles/-/853103

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