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闲话休题1

2023-02-10 11:13 作者:ProjektRed  | 我要投稿

※版权说明:译者本人仅对本书进行汉化翻译,汉化内容中的所有被译话语,仅代表译者本人的立场。原书一切版权均归佐々木寿人所有。未经授权允许,严禁转载。

闲话休题1

 

被说过度自信

 

我也快40岁了,就算被问到“你还记得多少年前的事?”我现在的情况是,我甚至不记得三天前的事情了。

我不记得我在幼儿园时的任何事情,只记得我不能吃午餐盒里的菠菜,于是被逼着吃到接我的时间。以及除了在「できるかな」节目Noppo(注1)的事以外,其他的我什么都不记得了。

那我上小学的时候呢?那是我三年级的时候,在我的成绩单上,我曾经被写成"过于自信"。我不知道是什么意思,记得曾经问过母亲。

我不记得当时我说了什么或做了什么,然而,我的班主任一定是一个非常自信的人,因为她在我的成绩单上写了这一点。

正好在那个时期,我所在的城市开了一家足球俱乐部,这在我的人生中,那无疑是一个转机。我每天都努力练习运球,托他的福,我再也不传球了。在中心圈接到球后,我会一个劲儿地向对方球门带球。不管怎么说,运球越过对手是我最大的乐趣。

这种情况一直持续到了中学,被对方抢断球的情况很少。“我永远不会忘记学长的超级运球!”在学弟们发来的祝贺毕业的彩纸上,稀稀落落地写着这样的话。我想我的后辈们早就忘记了,曾经有一段时间是这样的。

但有一天,我突然意识到,"我确定球不会被带走,但我做了什么有用的事情吗?"运球结束后,我气喘吁吁,而且也不一定能创造出机会。也就是说,90%的比赛都是无用功。那当然,不送那么多传球就会比别人累一倍,而运球的话谁也不会输!这完全无视团队合作,只是自以为是。所谓的过于自信,原来就是这样,东海林老师没有看错。

然后我注意到了重要的事情,我不适合团体比赛,要做就做个人比赛。当然,这是小学时代从未想过的事,但迷上麻将或许也是必然的。

 

 

译者注

1:「できるかな」直译为《你能做到吗?》Noppo先生这里指のっぽ,艺名为高見のっぽ,本名高見 嘉明,曾在日本儿童节目「できるかな」中出演。



閑話休題

 

自信過剰と言われて

 

私も間もなく 40を迎える。

仮に、「何年前までなら思い出せますか?」と問われても、3日前すら危うい状況になりつつある。

幼稚園時代は、弁当のほうれん草を食べられなくて、迎えの時間まで食べさせられたことと、「できるかな」ののっぽさんが来たこと以外は何も記憶に残っていない。

小学時代はどうか。

確か3年生の頃だった。

通知表に、「自信過剰」と書かれたことがあった。

私は意味も分からず、母に問うた記憶がある。

当時の言動など思い出せない。

しかし、担任の先生が通知表に書くくらいだから、よっぽどの自信家だったのだろう。

ちょうどその時期、 私の町にサッカークラブができた。

私の人生において、それは間違いなく一つの転機となった。

私は日々、 ドリブルの練習に勤しんだ。

おかげで一切パスは出さなくなった。

センターサークルでボールを受けたら、ただひたすら相手ゴールに向かってドリブル。

とにかく相手をドリブルでかわすことが、無上の喜びだった。

それは、中学に入っても続いた。

相手にボールを奪われることは稀だった。

「先輩のスーパードリブルは一生忘れません!」

後輩からの卒業祝いの色紙には、こんな言葉がちらほらと見受けられた。

その後輩もとっくに忘れたとは思うが、そういう時代もあったのだ。

だが、あるときふと気付いた。

「確かにボールは奪われないが、オレは何かの役に立っているのか」

ドリブルが終わると、物凄い息切れ。

加えて、必ずしもチャンスを生み出しているわけでもない。

つまりは、9割方ムダなプレーの連続だったということである。

そりゃあ、あれだけパスも出さなきゃ人の倍は疲れる。

ドリブルなら誰にも負けん!

これはチームプレーを全く無視した、ただの一人よがりだったのである。

自信過剰というのは、こういうことだったのか。

東海林先生の目に間違いはなかった。

そして私は大切なことに気付く。

私に団体競技は向かない。

やるなら個人競技だ、と。

もちろん小学時代には思いも付かないことだったが、 麻雀にのめり込んだのも、もしかしたら必然だったのかもしれない。

 


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