#50「能直言不讳表达自己的意见是很棒的。但是呢」
『中元日芽香の「な」』が、9月11日(月)午前7時に更新され、「ちょっぴり長電話」のコーナーで愚痴を言われたときに、でもさぁと言ってしまう。どうすれば相手に共感したことを言えるようになるのかという相談に親身に答えた。
《中元日芽香的“な”》于9月11日(星期一)上午7点更新,在“稍长的电话”环节中说到在被人抱怨的时候,也会说“但是呢”。如何才能说出可以与对方产生共鸣的话呢。
今回の相談は、「人に愚痴を言われたり相談された時に相手が求めているであろうことを言えない。職場での人間関係について愚痴を言われた時にだよねーとかわかると共感をしていることが言えず、「でもさぁ」から入ってしまう。相手が職場の上司や同僚の文句を言ってきても、一方的に感じてしまいフェアな立場で問題を考えてしまう。どうすれば相手に共感したことを言えるようになる?」という相談だ。
这次的谈话是“被人抱怨或者商谈的时候不能给出对方想要的结果。而在职场上从而被抱怨人际关系的时候,若是知道了会是这样的结果的话,就不会说出与之能能产生同感的话了,单单就从“但是呢”切入了。即使对方会埋怨职场的上司和同事,也是会单方面地感受并站在公平的立场上考虑问题。怎样才能说出与对方产生共鸣的话呢?”是有关于这些的谈话。
この相談に中元は、
对这个商谈中元回答道:
「お話を聞いていると、同調圧力というか、思ってもいないけれどわかるって言っちゃう人が多いこの現代において、でもさあと、ご自身の意見をちゃんと言えるって素晴らしいことだなと私は思う。ただそれによって自分が求めてる答えをくれないから話すのやめようみたいに、職場の方たちが離れていったりしまわないかなっていうのは少し心配」と、意志の強さを称賛したうえで、愚痴を言う側の心理についても言及した。
“置身于这个听了你的话,多数人都会谈及同感压力的世代,运用[虽然但是]能好好说出自己的意见是很棒的。只是因为你没有给我自己想要的答案,所以就不再去说了,有点担心职场的同僚会不会就这样疏远了,在称赞意志坚强的基础上,也提到了抱怨一方的心理。
「愚痴を言うことで、仲間かなどうかなってちょっと見極めるとか、そういった話題にもなるし、うまくいったら仲間意識も強くなるしみたいな?他の話題で盛り上がれたらもっとこうポジティブな雰囲気になりそうな気はするけれど、それも一つの処世術という人もいる」
“能让你向对方发谈论不平的话,也会让你看清这人是不是真心的朋友,也会变成这样的话题,顺调的话同伴意识感也会变强。如果能在其他话题上活跃起来的话,会有更积极的气氛,但也不失为一种处世之道。”
その中で、どちらかの肩を持つではなく、相手に共感できる言葉が欲しいという相談者に対して中元が考える「でもさぁ」以外の言葉とは…。
其中,中元对想要不是偏袒某一方,而是能让对方产生共鸣的语言的咨询者所想的“虽然但是”以外的语言是…。
「「そうなんだ」っていう言葉。相手に対してイエスとも言ってないし、あなたはそう思ってるんだねっていう意味でのそうなんだ。相槌にも似たうんうんとかそういうこと。自分もNoとも言ってないし、相手の肩を持つでもないそうなんだ…詳しくみたいな。なので反射的に出てくる言葉を強制するのは簡単じゃないと思うんですけれど、そうなんだって次言われた時にちょっと言ってみようっていうふうに頭の中に入れておくと今までの話の展開とちょっと流れが変わるのかな」
“就是这样啊”这句话。和对方也没有说是YES,你是这么想的。像随声附和一样的嗯嗯之类的。自己也没有说NO,也没有偏袒对方……好像很详细。所以我觉得强制反射性地说出的话并不简单,但是如果下次被说的时候想到说一下,就这样记在脑海里的话,和之前的故事的展开会有点不同吧。“
相談終了後、中元はコミュニケーションの中で、相槌のバリエーションを増やしていくのが大切かもしれないと語る。
商谈结束后,中元谈道在交流中,增加随声附和的变化可能很重要。
「悪口に対して、これ一方的じゃない?っていう目の付け所と言うか、考え方はすごく素敵。それに対して、言いたくないことは言わないぜっていう芯の強さもいいなと思った。そんな中で、相槌のバリエーションを「だよねー」「わかる」「そうなんだ」「でもさー」と増やしていくというか、コミュニケーションをとっていく中でこれも使えるかもって思ったことをスマホのメモ帳とかスマホにストックしておくのはやりすぎ?でも、色々な人とコミュニケーションを取る上で、多くて困ることはなさそうな気がする。「マジか」みたいなのもそうかも」
“对于坏话,这不是单方面的吗?这样的着眼点,这样的想法非常出色。与此相对,不说不想说的话,不断强化自己的内心也好。在这种情况下,随声附和的变化会变得更多“是啊”“明白”“是啊”“但是”在进行交流的过程中,把这些也能使用的东西储存在智能手机的记事本上是不是做得太过了?但是,在和各种各样的人交流方面,也觉得其实并没有太多困扰的事情。“真的吗?”也会有像这样的回应。」