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徒然草 第7段 あだし野の露消ゆる時なく、・吉田兼好 日文念书

2023-01-17 23:06 作者:蜈蚣哥  | 我要投稿

あだし野の露消ゆる時なく :「あだし野」は、京都市右京区嵯峨、小倉山の麓の 地。中古、火葬場があり、東山の鳥辺山(とりべやま)と併称された。名は「無常の野」の意で、人の世のはかなさの象徴としても用いられた(『大字林』)。「露が消える」のは人が死ぬ事を意味する。

鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん:「鳥部山」は「鳥部野」のこと、京都市東山区の清水(きよみず)寺から西大谷に通じるあたりの地名。古く、火葬場があった。(『大字林』)。煙が立ち去る事で人の死を意味する。つまり、人が何時までも死なないのでは、「もののあわれ=無常 観」などというものは無くなってしまう。

世は定めなきこそいみじけれ:世は、無常ゆえによいのだ、というのである。これが、中世の無常観の エッセンスである。

かげろふの夕べを待ち:蜻蛉は朝に生れて夕べには死ぬ(のに、人間は何時までも長生きしている)。また、夏のセミは秋を知らないほどに短命だ。

つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや:しみじみと一年を暮らせば、豊かな時間が過ぎていくのだ。逆に、命を惜しいと思って生きていると千年生きても短いと思うだろう。 

めやすかるべけれ:見た目に感じがよい。見苦しくない。また、無難だろう、などの意。

かたちを恥づる心もなく:歳を取ると、もはや容貌を恥じる心も無くなってしまって。

夕べの陽に子孫を愛して:「夕べの陽」はもはや沈む太陽のように早晩死ぬというのに、子孫のことを気にして、それが栄えるまでの未来を希い、長生きする事ばかり考えるのは、「もののあわれ」の分からない木偶の棒で、あさましいという以外にないというのである。 「朝露にし名利を貪り、夕陽に子孫を愛す」(『白氏文集』)よりの引用。


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