双语读书摘抄:芥川龙之介逝世95周年纪念
1927,九十五年前的今天,芥川逝世。
生于明治,成于大正,逝于昭和,年仅三十五岁。
“僕の将来に対する唯ぼんやりした不安。”
(中文:我对未来只有迷茫的不安。)
于茫然不安之中突围,于司空见惯之中觉醒,沿最深邃的思路,纵身走向生之尽头。
在最灿烂的时候坠落,未始不是一种轰轰烈烈的活法。
“人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。”
(中文:不应忘记,人生始终是战斗,直至死亡。)
在最灿烂的时候坠落,未始不是一种轰轰烈烈的活法。
(以上两句日文出自芥川遗书)
竹林之中人心难测,玄鹤山房半生如烟;地狱变前惨烈历尽;罗生门下炎凉看遍。
良秀于地狱变相图作成的第二天悬梁自尽,而芥川,亦于此作写完的十年内自杀身亡。
令人瑟缩的文字,追根溯源的洞彻。机警戏谑的语气,冰冷入骨的剖析。痛彻心扉的领悟,入木三分的揭露。
欠一分轻灵潇洒,多一世沉郁悲凉。
他清楚,他深知自已的病源:
对他自己感到羞愧,同时又害怕他们——害怕他所蔑视的社会。
(原文:しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社会を!)
热爱日常琐事,苦于日常琐事。于琐事之中看尽世间,于细微之处体悟落入地狱的痛苦。
在生与死的抉择之间,在希望与绝望的交汇之处,在历史与未来的转折点,四顾苍茫,灯火阑珊,他背影决然,纵身离去。
九十五年,谨以一句话献上祭奠:
“于浩歌狂热之际中寒;于天上看见深渊。于一切眼中看见无所有;于无所希望中得救。”
——鲁迅《墓碣文》

《羅生門》
1.雨は、羅生門をつっんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した荒(いらか)の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
大雨笼罩着罗生门。雨声“哗哗”地由远及近,令人心烦。晚霞渐渐压低了天空。仰面望去,罗生门斜刺里探出的屋檐,支撑着沉重、黯淡的阴云。
2.この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
无可置疑,在这样一个风雨之夜,来罗生门城楼点燃烛光的,定非等闲之辈。
3.しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪(しらが)を倒(さかさま)にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。
过了一会儿,像死人似的赤裸老妪从死骸堆中爬起身,口中发出呻吟般的嘟囔。火光仍未熄灭。老妪在火光中爬至梯口。她的白色短发倒悬梯旁,窥测着罗生门下一片黑洞洞的夜幕。
《地獄變》
1.地獄変の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで来るやうな気が致します。
提起地狱变屏风,那恐怖的画面顿时历历在目。
2.同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、外の絵師のに比べますと、第一図取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷けん属ぞくたちの姿を描いて、あとは一面に紅ぐ れ蓮ん大紅蓮の猛火が剣山刀樹も爛ただれるかと思ふ程渦を巻いて居りました。でございますから、唐からめいため冥う く官わんたちの衣裳が、点々と黄や藍を綴つて居ります外は、 どこを見ても烈れつれ々つとした火焔の色で、その中をまるでま卍んじのやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞ひ狂つて居るのでございます。
同样的地狱图,良秀笔下的地狱图在构图上,与其他的画师截然不同。在一帖屏风的角落里,人物、景象都是微观的,中间是十殿阎王,周边则是众僚属。另外一面则是猛烈的火焰,燃烧中的剑山刀树仿佛置于烂的漩涡之中。冥官们像是身着唐装,衣裳上点缀着黄色和蓝色。近前则是一片红色的烈焰,黑烟和金粉漫天飞舞,仿佛描画出一个“卍”字的图像。
3. が、その中でも殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獣の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢 ス にも、多くの亡者がるゐ々と、五体を貫か なデられて居りましたが中空から落ちて来る 一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾の中には、 女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びや かに装つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白い頸を反らせながら、悶 え苦しんで居りますが、その女房の姿と 申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせな いものはございません。云はゞ広い画面の恐ろしさが、この一人の人物に輳つて ゐるとでも申しませうか。これを見るも のゝ耳の底には、自然と物凄い叫喚の声が伝はつて来るかと疑ふ程、入神の出来映えでございました。
其中最最令人惊恐的,是悬浮半空的一辆牛车。背景是野兽牙齿一般的刀树,刀树的树梢上串着许多亡者的尸体。牛车的挂帘被地狱的阴风吹起,分不清是女御还是更衣的一个侍女绫罗披身,黑色的长发飘拂于烈焰之中。我看见,侍女白皙的颈项向后弯曲着副痛苦不堪的模样。那姿态,和熊熊燃烧的牛车,皆令人联想到炎热地狱的痛苦煎熬。不妨说,宽幅画面中的恐怖景象,统统凝聚在了这人物身上。画作的确出神入化,观赏者似乎自然而然地感觉到,耳际传人了凄惨的呼叫之声。
4.あゝ、これでございます、これを描く 為めに、あの恐ろしい出来事が起つたの でございます。又さもなければ如何に良 秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱が画かれませう。あの男はこの屏風の絵を仕上げた代りに、命さへも捨てる やうな、無惨な目に出遇ひました。云 はゞこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良 秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつ たのでございます。
啊!多么恐怖。为了实现那般描写,就须体验那样的恐怖情景。否则,即便是良秀这样的画师,也无法生动地描画出地狱之中的那般苦难。在完成这幅屏风绘画的过程中,良秀也经历了生生死死的惨烈遭际。不妨说,画中的这个地狱,正是当朝第一画师良秀自己将要堕入的境地。
5. が、その晩のあの女は、まるで人間 が違つたやうに、生々と私の眼に映りま した。眼は大きくかゞやいて居ります。 頬も赤く燃えて居りましたらう。そこへ しどけなく乱れた袴や袿が、何時もの幼 さとは打つて変つた艶しささへも添へ てをります。
.....可是这天晚上,良秀之女仿佛完全変了一个人。她活生生地映入我的眼帘,眼睛闪闪发光,面短也烧得通红。凌乱不堪的内外衣饰,也与往日的稚嫩截然不同,相反地却増添了几分妖艳之美......
6.火は見る見る中に、車蓋やかたをつゝみました。庇ひさしについた紫の流蘇ふさが、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々と夜目にも白い煙が渦を巻いて、或は簾すだれ、或は袖、或は棟むねの金物かなものが、一時に砕けて飛んだかと思ふ程、火の粉が雨のやうに舞ひ上る――その凄じさと云つたらございません。いや、それよりもめらめらと舌を吐いて袖格子そでがうしに搦からみながら、半空なかぞらまでも立ち昇る烈々とした炎の色は、まるで日輪が地に落ちて、天火てんくわが迸ほとばしつたやうだとでも申しませうか。
大火眼见得包围了车篷。车篷边沿的紫色流苏,被风吹得向上飘拂。下面则是夜幕之中的蒙蒙白烟,漩涡似的翻卷着。挂帘,袖裾,梁上的金饰,一时间粉碎飞扬。漫天飞舞的火星像似细雨,一派恐怖的景象。更为可怖的则是两侧窗棂的火舌,熊熊升腾于半空之中。烈焰的色调像是日轮落地,天火进发。
7. 鳥でさへさうでございます。まして私たちは仕丁までも、皆息をひそめなが ら、身の内も震へるばかり、異様な随喜 の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏でも 見るやうに、眼も離さず、良秀を見つ めました。空一面に鳴り渡る車の火と、 それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる 良秀と一一何と云ふ荘厳、何と云ふ歓喜 でございませう。が、その中でたつ た、御縁の上の大殿様だけは、まるで別 人かと思はれる程、御顔の色も青ざめ て、口元に泡を御ためになりながら、紫 の指貫の膝を両手にしつかり御つかみに なつて、丁度喉の渇いた獣のやうに喘ぎつゞけていらつしやいました。
鸟儿亦如是。何况我等与众多杂役。所有的人都屏住了气息,身心震颤,心中充满了随喜。且目不转晴地盯视着良秀,仿佛瞻仰着开眼之佛。空中呼啦作响的车子烈焰和惊魂失魄、呆然伫立的良秀,——体现了何等的庄严、何等的欢喜呀。然而唯有落座廊下的大公,脸色铁青,嘴角翻沫,面目全非。他双手紧紧抓住自己的紫色外罩膝部,像干渴的野兽一般呼哧直喘……
8.屍骸は今でもあの男の家の跡に埋ま つて居ります。尤も小さな標の石は、そ の後何十年かの雨風に曝されて、とうの 昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸して ゐるにちがひございません。
良秀的遗骸如今埋在了他家的坟茔中,前方是一块小小的墓碑。想必经过数十年风风兩雨之后,碑上也将生出苔藓,人们将无从知晓墓碑的主人。
《或阿呆の一生》
1.僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない
我目前生活在最不幸的幸福当中。但奇怪的是我并不懊悔。
2.隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸ぼろのやうに憂欝だつた。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。
隅田川阴沉沉的。他从行驶中的小汽船窗口眺望向岛的樱树。在他眼里,盛开的樱花恍若一片败絮般令人忧郁。可是他在那些樱树中——江户时代以来的向岛的樱树中发现了他自己。
3.二十三歳の彼の心の中には耳を切つた和蘭人が一人、長いパイプを啣へたまま、この憂欝な風景画の上へぢつと鋭い目を注いでゐた。
……二十三岁的他,心目中浮现出一个割去了耳朵的荷兰人,叼着长烟斗,锐利的目光注视着这幅忧郁的风景。
4.架空線は不相変鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。
架空线依然放出耀眼的火花。他展望人生,并没有特别留恋的东西。但是只有这紫色的火花一只有这可怕的空中的火花,哪怕用生命来换取,他也想把它抓住。
5.「誰も彼も死んでしまへば善い。」彼は焼け跡に仔んだまま、しみじみかう思はずにはみられなかつた。
他站在灰烬中,不由的深深地想到:人人都死掉才好呢。
6.彼はいつ死んでも悔いないやうに烈しい生活をするつもりだつた。
他打算过一种激烈到不论何时死去也不会后悔的生活。
7.彼はふと七八年前の彼の情熱を思ひ出した。同時に又彼の七八年前には色彩を知らなかつたのを発見した。
他忽然想起了七八年前的激情。同时发现他在七八年前是不懂得色彩的。
8.しかし彼は彼自身彼の病源を承知してゐた。それは彼自身を恥ぢると共に彼等を恐れる心もちだつた。彼等を、――彼の軽蔑してゐた社会を!
可是他知道自已的病源。那就是对他自己感到羞愧,同时又害怕他们的心情。害怕他们——害怕他所蔑视的社会!
9.彼はひとり藤椅子に坐り、椎の若葉を眺めながら、度々死の彼に与へる平和を考へずにはるられなかつた。
他独自坐在藤椅上,看着柯树的新叶,不由的反复思索死亡将给予他的和平。
10.「神々は不幸にも我々のやうに自殺出来ない」
“我最同情的是神不能自杀。”
11.……彼の作品の訴へるものは彼に近い生涯を送つた彼に近い人々の外にある箸はない……
……只有那些与他生涯相近并且和他相似的人才会为他的作品所感动……
彼は「或阿呆の一生」を書き上げた後、偶然或古道具屋の店に剥製の白鳥のあるのを見つけた。それは頸を挙げて立つてみたものの、黄ばんだ羽根さへ虫に食はれてみた。彼は彼の一生を思ひ、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮の往来をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心した。
他写完《某傻子的一生》后,偶然在某家旧家具店看见了剥制的天鹅。它伸长了颈立着,连发黄的羽毛也被蛀蚀了。他回想自己的一生,不禁热泪盈眶,发出冷笑。他的前途不是发疯就是自杀。他独自在日落的街上走着,决心等待慢慢把他毁灭的命运的到来。
12.しかし神を信ずることは――神の愛を信ずることは到底彼には出来なかつた。あのコクトオさへ信じた神を!
可是他终究不可能信神——信仰神的爱。连柯克托都是信神的啊!
13.彼はペンを執る手も震へ出した。のみならず涎さへ流れ出した。彼の頭は。·八のヴエロナアルを用ひて覚めた後の外は一度もはつきりしたことはなかつた。しかもはつきりしてみるのはやつと半時間か一時間だった。
他执笔的手颤抖起来了,甚至还流了口水。除非服用0.8毫克的佛罗纳,他的头脑没有一次清醒过。而且不过清醒半个小时或一个小时。
彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしてみた。言はば刃のこぼれてしまつた、細い剣を杖にしながら。
他只有在黑暗中捱着时光,直到好像是一把崩了刃的细剑当拐杖拄着。
(昭和二年六月、遺稿)
《侏儒の言葉》
1.道徳は便宜の発名である。「左側通行」と似たものである。
道德の与えたる思車は時間と労力との館約であ。道德の与えろ損害は完全なる良心の麻陣である。
妄にの道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。
妄に道徳に屈するものは臆病ものか怠けものである。
我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道
徳である。我我は殆ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
道徳は常に古着である。
良心は我我の口髭のように年齢と共に生ずるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するのである。
一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。
我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を捉え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。 我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
良心とは厳粛なる趣味である。
良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未だ甞て、良心の良の字も造ったことはない。
道德是权宜的别名,大约如“左侧通行”之类。
道德赐予的恩惠是时间与力气的节省,而带来的损害则是良心的彻底麻痹。
肆意违反道德者乃经济意识匮乏之人; - -味屈从道德者乃懦夫或懒汉。
支配我们的道德是被资本主义毒化了的封建时代的道德。除受害以外,我们几乎没得到任何好处。
不妨说,强者蹂躏道德,弱者则又受道德的爱抚。遭受道德迫害的,通常是介于强弱之间者。
道德经常身着古装出场。
良心并非如我辈的胡须随年龄的增长而增长。即使为了获取良心,我们也须进行若干训练。
一国民众, 九成以上为无良心者。
由于年少,或由于训练的不充分,我们在获取良心之前被指责为寡廉鲜耻,这是我们的悲剧。
而我们的喜剧则在于在被指责为寡廉鲜耻者之后终于获取了良心一-由于训练的不充分,或由于年少。
良心乃严肃的趣味。
良心也许制造道德。而道德至今仍未造出良心的“良”字。
如同所有趣味,良心也拥有近乎病态的嗜好者。其中十之八九若非聪明的贵族即乃睿智的富豪。
5.武器それ自身は恐れるに足りない。恐れるのは武人の技倆である。正義それ自身も恐れるに足りない。恐れるのは煽動家の雄弁である。
武器本身不足为惧,恐惧的是武将的武艺。正义本身不足为惧,恐惧的是煽动家的雄辩。
6. 人生类似一 盒火柴。视为珍宝未免小题大做,反之则不无危险。
人生近乎严重缺页的书。很难称其为一部,却仅此一部。
人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。
人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。
7.古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。
我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでいることである。 或一群の芸術家は幻滅の世界に住している。彼等は愛を信じない。良心なるものをも信じない。唯昔の苦行者のように無何有の砂漠を家としている。その点は成程気の毒かも知れない。しかし美しい蜃気楼は砂漠の天にのみ生ずるものである。百般の人事に幻滅した彼等も大抵芸術には幻滅していない。いや、芸術と云いさえすれば、常人の知らない金色の夢は忽ち空中に出現す
古典的作者是幸福的,因为反正都已死去。
我们——或者诸君一 是幸福的, 因为反正古典的作者都已死去。
一群艺术家居住在幻灭的世界里。 他们不相信爱,不相信所谓良心,只是像古之苦行僧那样以虚无的沙漠为家。这点固然有些悲哀。然而美丽的海市蜃楼却是仅仅出现在沙漠上空的。对一切人事感到幻灭的他们对艺术则仍心驰神往。只要一提起艺术,他们眼前便出现常人所不知晓的金色梦幻。其实他们也并非不拥有幸福的瞬间。
8.もし游泳を学ばないものに泳げと命ずるものがあれば、何人も無理だと思うであろう。もし又ランニングを学ばないものに駈けろと命ずるものがあれば、やはり理不尽だと思わざるを得まい。しかし我我は生まれた時から、こう云う莫迦げた命令を負わされているのも同じことである。
......
人生は狂人の主催に成ったオリムピック大会に似たものである。我我は人生と闘いながら、人生と闘うことを学ばねばならぬ。こう云うゲエムの莫迦莫迦しさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去る
如果有人命令没学过游泳的人游泳,想必任何人都认为是胡闹。同样,如果有人命令没学过赛跑的人快跑,人们也不能不觉得荒唐。可是无独有偶,我们自一降生便背负这种滑稽的命令。
人生类似由狂人主办的奧林匹克运动会。我们必须在同人生的抗争中学习对付人生。如果有人对这种荒诞的比赛愤愤不平, 最好尽快退出场去。自杀也确乎不失为一条 捷径。但决心留在场内的,便只有奋力拼搏。
9.人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
......
人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
为使人生幸福,必须热爱日常琐事。云的光影,竹的摇曳, 雀群的鸣声,行人的脸孔,一须从所有 日常琐事中体味无上的甘露。
为使人生幸福,我们必须苦于日常琐事。云的光影,竹的 摇曳,雀群的鸣声,行人的脸孔,一必须从所有 日常琐事中体悟堕入地狱的痛苦。
10.神的所有属性中最令人为之同情的,是神不可能自杀。
あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。
5. わたしは不幸にも知っている。時には嘘に依る外は語られぬ真実もあることを。
我不幸懂得:有时只有借助谎言才能诉说真实。
諸君は青年の芸術の為に堕落することを恐れている。しかしまず安心し給え。諸君ほどは容易に堕落しない。
诸君害怕青年为艺术而堕落。但请暂且放心好了,他们并非像诸君那么容易堕落。
諸君は青年の芸術の為に堕落することを恐れている。しかしまず安心し給え。諸君ほどは容易に堕落しない。
诸君害怕艺术毒害国民,但请暂且放心好了,至少艺术绝不可能毒害诸君,绝不可能毒害不理解两千年来艺术魅力的诸君。
11.恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。
恋爱不过是披以诗的外衣的性欲。至少不披以诗的外衣的性欲不值得称之为恋爱。
12.万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない
人皆共通的唯一情感是对死的恐怖。道德上对自杀评价不高,恐并非出于偶然。
13.自殺しないものはしないのではない。自殺することの出来ないのである。
未自杀的人并非不自杀,而是不能自杀。
其他作品选段
1.ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。
只不过我杀人是用腰间佩的大刀,而你们杀人不用刀,单凭权力,凭金钱,往往还仅仅凭了那张伪善的嘴巴就够了。不错,血是不会流的,人还活得好好的——然而还是给杀了。想想有多么罪孽呀!谁知道究竟是你们坏还是我坏呢?
节选自《竹林中》
2.人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこつちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陷れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。
人的心中,自具有两种矛盾的感情。见他人的不幸无人不会不同情。然而,此不幸者,一旦摆脱困境,不知怎的,反让人觉得怅然若失。说得过分点儿,心里巴不得他重陷入不幸中去。虽非有意,不知不觉中竟生出一种敌意来。
节选自《鼻子》
3.「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
唯因虚梦,尤需真活。彼梦会醒,此梦亦终有醒来之时。人生在世,要活得无愧于说:此生却曾活过。
——《黄粱梦》
4. 人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。
不应忘记,人生始终是战斗,直至死亡。
僕の将来に対する唯ぼんやりした不安。
我对未来只有迷茫的不安。
(摘录自芥川龙之介遗书,昭和二年7月24日)