《樱之诗》禀与直哉的草地对话 重译+导读+注释(1)从唯美主义谈起

【导读】“艺术模仿自然”还是“自然模仿艺术”?这是《樱之诗》最开头就提出的问题。这一节以亚里士多德和王尔德(等唯美主义者)为例子,向我们详细介绍这一组对立的主张,为后续的讨论打下基础。
如我们所知,直哉的如下发言道出了整个草地对话讨论的核心问题:我们是在哪里发现“美”的?(1)心,(2)自然,还是(3)某个遥远的地方?(我々は美をどこで発見したのだろうか?心か?それとも自然か?それともどちらでも無い、どこか遠くか?)这首先是一个关于“美(beauty)”的本体论(“在哪里发现”)问题,其次才涉及认识论(“通过什么发现”)问题。(有哲学背景的朋友可以将上述的(1)(2)(3)分别类比于形而上学中的概念论(conceptualism)、内在实在论(immanent realism)与柏拉图主义/超验实在论(platonism/transcendent realism),但这种类比也许会是误导性的,即反而不如素朴的理解。)
在这一问题的统摄下,王尔德与亚里士多德的立场分别属于(1)和(2),这样归类的理由在本节中有详细的论述,尤其是将王尔德归入(1)的理由,因为它构成了禀意义上的“唯美主义”和王尔德的唯美主义的决定性分歧——在后文中我们将会看到,禀的立场实际上属于(3)(顺便说一下,直哉的立场应当说是属于(1)与(2)的某种调和)。正因如此,在阅读本节中禀(以及直哉)的发言时,需要仔细分辨它究竟是说话者本人所赞同的,还是只是在复述唯美主义者的观点。
【禀】「自然は芸術を模倣する……」
「自然模仿艺术……」
【直哉】「ワイルドの芸術論か……」
「王尔德的艺术论吗……」
【禀】「この絵画の意味は美そのものである。
存在することだけが、この絵画の存在理由となるだろう」
「这幅绘画的意义乃是美本身。
它的存在,就是它的存在理由吧」
(译者注:英文原文为:“……and its meaning is beauty; and its reason for being is to be.”转引自《A. C. Swinburne: A Poet's Life》)
【直哉】「ああ、知っている。A.J.ムーアの絵画『アザレア』をイギリスの詩人アルジャーノン・スウィンバーンが評した時の言葉だ」
「嗯,我知道。这是英国诗人阿尔加侬·斯温伯恩(Algernon Swinburne)评论A. J. 摩尔(Albert Joseph Moore)的绘画《杜鹃花(Azaleas)》时说的话」
【禀】「はい、その後、その言葉こそが唯美主義の本質とされます」
「是的,后来,正是这句话被视为唯美主义的本质」
【直哉】「唯美主義……一般的には耽美主義と言われるものだ。19世紀末、その時代背景と共に、美の享受・形成こそが、最高の価値であるとした芸術潮流」
「唯美主义……一般被称为耽美主义。是19世纪末,顺应当时的时代背景,认为美的享受、形成才是最高价值的一股艺术潮流」
【直哉】「お前が、前に俺を評して『幸福な王子』的だと言ったが、まさにその作者であるオスカー・ワイルドこそが、この芸術潮流の象徴的存在だ」
「你之前评价我说我是个《幸福王子》式的人,而它的作者奥斯卡·王尔德正是这股艺术潮流的象征性人物」
【直哉】「親父に聞いたよ。幼い頃に、親父は芸術をお前に教えた。
芸術とは人間的なものが故に、お前に教えなければならなかった」
「我听老爹说过哟。小时候,老爹教过你艺术。
艺术是属人的,所以必须要教你」
【禀】「けど、健一郎さんの思惑通りにはならなかった……」
「不过,没有如健一郎先生的愿……」
【直哉】「そうだな。“この絵画の意味は美そのものだ。存在することだけが、
この絵画の存在理由なのだ”という時に、はたして、そこに人が介在する理由があるだろうか?」
「是呢。当“这幅绘画的意义乃是美本身。它的存在,
就是它的存在理由”之时,当真有人类介身其中的理由吗?」
【注释】大致上来说,王尔德会认为有,禀会认为没有。参见雫线中健一郎的话:「だが、唯美主義も、他人の眼が介在する事を重要視しているから、閉じた天才の世界に住まう稟に教えるには都合が良かった」
【禀】「どうでしょうねぇ。アルジャーノン・スウィンバーンが、あるいは、オスカー・ワイルドが、この言葉を言う時に、どう思っていたか分かりません」
「是怎么样呢。阿尔加侬·斯温伯恩,或是奥斯卡·王尔德,他们说这些话的时候是怎么想的,我并不知道」
【直哉】「だが、稟ははっきりとしている」
「但是,禀你很清楚」
【直哉】「稟の唯美主義は、19世紀末にヨーロッパを席巻した様な思想ではない」
「禀的唯美主义,并不是那个19世纪末席卷欧洲的思想」
【禀】「はい、そうですね」
「是的,是这样呢」
【禀】「でも、やはり、私はオスカー・ワイルドが好きですよ」
「不过,我果然还是很喜欢奥斯卡·王尔德啊」
【禀】「彼の言葉は、どれも私の心を代弁しているかの様です……」
「他的话,每一句都仿佛是在替我道出我的心声……」
【禀】「自然は芸術を模倣する……」
「自然模仿艺术……」
【禀】「草薙くんは好きじゃないだろうね」
「草薙君你应该不喜欢这句话吧」
【直哉】「いや、そんな事はないさ、芸術の本質を言い当ててると思う」
「不,没这回事,我觉得它说中了艺术的本质」
【直哉】「ただし、俺は、やはりその元ネタである“芸術は自然を模倣する”という言葉も好きだ」
「不过,我果然也喜欢它的原句“艺术模仿自然”这句话」
【禀】「アリストテレスの言葉ですね」
「是亚里士多德的话呢」
【直哉】「ああ、そうだ」
「嗯,没错」
【禀】「芸術作品は自然の模倣によって生まれる。非常に明快で、説明の必要がないくらい強固な思想です」
「艺术作品经由对自然的模仿而诞生。是个非常清晰明了,稳固到无需说明的思想」
【禀】「実際、芸術の歴史とは、自然をどう解釈するか、の歴史と言っても差し支えありません」
「实际上,所谓艺术的历史,也可以说就是一部“如何解释自然”的历史」
【直哉】「ただし、こう言い換えたら、それも怪しくなる」
「然而,这样换个说法的话,它也会变得奇怪起来——」
【直哉】「芸術の歴史とは、自然が自分からどう見えるのか、を解釈する歴史である」
「所谓艺术的历史,就是一部解释“自然从自己的角度看起来如何”的历史」
【直哉】「こう言い換えた時に、アリストテレスの言葉に亀裂が走る」
「这样换个说法之时,亚里士多德的话就会出现裂缝」
【直哉】「その亀裂こそが、唯美主義なのだと思う」
「我觉得那条裂缝正是唯美主义」
【注释】这里直哉实际上是在向我们呈现“艺术模仿自然”和“艺术解释自然”这两个陈述之间的(貌似)矛盾,并指出唯美主义正是试图解决这一矛盾的一种尝试:当我们将“艺术模仿自然”颠倒为“自然模仿艺术”时,艺术(更准确地说,艺术家的心灵)对自然就有了解释上的优先地位。
【直哉】「長らく、人間は、網膜に映った物が、自分が見ている世界だと思っていた」
「长久以来,人类一直认为,映在视网膜上的东西,就是自己所看着的世界」
【直哉】「人は網膜を通して、自然を見ていると信じていた」
「人们相信,自己通过视网膜看着自然」
【直哉】「だけど、見るという行為は、世界の表象を作りだすことではない」
「然而,“看”这一行为,并非就是制出一幅世界的表象(representation)」
【禀】「そうですね。人間の眼球は、それこそ100万画素程度の神経細胞しかありません。にも関わらず、人はそれ以上の高解像度のカメラを欲しがります」
「是呢。人类的眼球,只有区区100万像素程度的神经细胞。尽管如此,人们却还是想要更高分辨率的照相机」
【禀】「網膜にうつっただけの世界だったら、私達の世界はもっと、もっと貧相なものとなるでしょう」
「要是世界就只是映在视网膜上的这些,那我们的世界会变得更加、更加贫乏的吧」
【直哉】「らしいな」
「好像是呢」
【禀】「見るという行為は、必ずそこに意味や価値が入り込む」
「“看”这一行为,必定有意义和价值进入其中」
【禀】「ワイルドは言います」
「王尔德说」
【禀】「どんなものでも、その美しさを認めるまでは、それを真に見た事にはならない」
「无论什么事物,直到你看到它的美之后,你才真正地看见了它」
【禀】「そのものの美しさを認めたとき、初めて“もの”は実在するのである」
「当你看到那个事物的美之时,“事物”才开始实际存在」
(译者注:出自王尔德的《谎言的衰落(The Decay of Lying)》。英文原文为:“One does not see anything until one sees its beauty. Then, and then only, does it come into existence.”)
【注释】请注意,王尔德的原话中并无“真正地”和“实际”(“実在する”即“実際に存在する”)二词,它们都是禀自己添加的。这一改动旨在消除这两句话字面上的不合理性,澄清其真实含义。
【禀】「湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワース」
「英国诗人威廉·华兹华斯(William Wordsworth)对湖区(Lake District)特别喜爱,写下了很多既纯朴又暗藏激情的赞美自然的诗歌」
【禀】「彼は、自然から詩的霊感を受けて詩作したと言われている」
「据说,他通过从自然中获得诗的灵感而作诗」
【禀】「けど、ワイルドに言わせればその様な行為は――」
「但是,要是让王尔德来说的话,这样的行为其实是——」
【禀】「ワーズワースはたしかに湖畔に行った。だが、彼は石という自然の中に自分がすでに潜ませていた教訓を読み取ったに過ぎない」
「华兹华斯确实去了湖畔。但是,他只不过是从石头这一自然物之中读出了自己早已潜藏【于心中】的教训」
【直哉】「現在、人が霧を見るのは、霧がそこにあるからでは無い」
「现在,人们之所以会看到雾,并不是因为那里有雾」
【直哉】「詩人と画家、そういった人々によって、霧という神秘的な美しさを多くの人間が教えられたからこそ霧は存在する」
「是因为诗人和画家,这样的人们把雾的神秘的美告诉了很多人,所以雾才存在」
【直哉】「ロンドンには何世紀にもわたって霧があったかもしれない。否、それはたしかにあったはずである」
「在伦敦,“可能”连续几个世纪一直有雾。不,应该是“确实”有」
【直哉】「だが、誰も霧を見なかったし、霧のことなんて考えもしなかった。
芸術によって発見されるまでそんなものは存在しなかったのだ」
「然而,谁都没有看到过雾,也没有思考过什么雾的事情。
在被艺术发现之前,那种东西并不存在」
【直哉】「なんて事もワイルドは書いている」
「——王尔德也写过这样的话」
(译者注:以上内容同样出自《谎言的衰落》,紧接着禀对《谎言的衰落》的引用。英文原文为:“At present, people see fogs, not because there are fogs, but because poets and painters have taught them the mysterious loveliness of such effects. There may have been fogs for centuries in London. I dare say there were. But no one saw them, and so we do not know anything about them. They did not exist till Art had invented them.”)
【直哉】「すごい言い方をするよな。霧は芸術家に発見されるまで、その存在すら無かったというのだからな……」
「真是惊人的说法呢。因为,雾在被艺术家发现之前,连存在都没有呢……」
【注释】请注意王尔德的原文为“被艺术(Art)发现”,而直哉的复述中则变成了“被艺术家发现”。这一细小的变化意在强调唯美主义的实质。贡布里希在《艺术的故事》中写道:“(唯美主义)运动企图证明艺术家的敏感是人世间唯一值得严肃对待的东西。”
【直哉】「でも、それでも、これは正しい指摘とも言える」
「然而,即便如此,这也可以说是正确的指摘」
【禀】「美は発見される。美しく記述されたからこそ、我々の目には、かくも美しき風景が広がるのだ」
「美能被发现。正因为被记述得很美,我们的眼中,才会有如此美丽的风景展现」
【禀】「自然こそが我々を産んだ大いなる母である。と人は考える。
だが事実は逆である。我々が自然を創ったのだ」
「“自然乃是孕育了我们的伟大母亲。”人们是这么想的。
然而事实恰恰相反。是我们创造了自然」
【直哉】「いかにもワイルドらしい言い方だよな……」
「真是个王尔德式的说法呢……」
【直哉】「でも、それは一面で正しいが、一面ではまったく間違っているよ」
「不过,它虽然一方面是正确的,但另一方面却是完全错误的哟」
【禀】「一面では?」
「另一方面?」
【直哉】「ああ、それは一面の真理でしかない」
「嗯,它只是片面的真理」
【直哉】「やはり、アリストテレスはそれなりに偉大だ。
彼の言葉を完全に否定する事は出来ない」
「果然,亚里士多德还是很伟大的。
没法完全否定掉他的话」
【禀】「どういう事でしょうか?」
「是怎么一回事啊?」
【直哉】「ワイルドは、まるで“美”というものが、最初っから自分の頭の中に入っているかの様に発言する」
「王尔德这样说,简直就像“美”这种东西从一开始就已经放在自己的头脑之中了一样」
【直哉】「だけど、それは本当だろうか?」
「但是,这是真的吗?」
【直哉】「美は、はたして自然と接触するそれ以前から、俺達の頭の中に綺麗に収まっているのだろうか?」
「美,当真在我们和自然接触之前,就已经漂漂亮亮地装在我们的头脑之中了吗?」
【注释】我们可以将(1)对应的“美是在心灵中发现的”这一论点分为“极端的”和“温和的”两个版本。极端的版本认为,“美”先天地存在于心灵之中;温和的版本认为,“美”后天地产生于心灵之中。这里直哉将王尔德的观点归属于前者,并准备对其进行反驳。
【禀】「どうでしょうね」
「是怎么样呢」
后期维特根斯坦……写下的众多的作品对于读者来说无疑也构成了一片巨大的丛林,更准确地说,一片茂密的、生机勃勃的热带雨林。我所要做的就是带领读者成功地穿越这片或者根本就无路可走,或者是布满了歧途的热带雨林。……我要提醒读者注意的是:我绝不认为我所开辟出的穿越之路是最好的,更不声称它是唯一的。我所希望的是:某些读者在阅读了我的解读之后能够找到他们认为更好的穿越维特根斯坦哲学丛林之路。
——韩林合《穿越维特根斯坦的哲学丛林》,《维特根斯坦〈哲学研究〉解读》后记