初期『アイカツ!』の魔力と 『シャイニングスター』について

【先发日文原文,再发中文翻译(机翻。另篇)】
网址:https://note.com/cureakarichang/n/n27da18d96927
发布者:どチャカラちゃん
发布时间:2019.8.31

标题:
初期『アイカツ!』の魔力と 『シャイニングスター』について
正文:
みなさん『シャイニングスター』ってご存知ですか?

「TLでたまに見る…」「韓国版アイカツ的な…」「あのCGの…」
そう、それです。
今回は韓国アニメ『シャイニングスター』と『アイカツ!』の関係について、「物語」の観点からお話させて下さい。

はじめに
『シャイニングスター(샤이닝스타)』は中韓合作の児童向けアイドルアニメです。2017年10月から韓国で全52話がTV放映された後、2019年1月から中国で『菲梦少女』としてTV放映、配信が開始されました。日本ではYoutubeで1〜26話までが無料配信中です。ありがたいことに有志の方の日本語字幕付きで視聴できます。27話以降も9月6日から配信される予定です。
(ここから見れます→シャイニングスター公式Youtube動画リスト)
また『劇場版シャイニングスター:新ルナクイーンの誕生!』が2019年7月8月に韓国、ベトナムで公開され、TVシリーズの続編も予定されています。
ご覧になってない方も何となくお気付きだと思いますが、『シャイニングスター』は日本のアイカツシリーズやプリティシリーズの影響を強く受けています。
筆者はもう長いことアイカツのオタクをやっておりまして、『シャイニングスター』の前身企画『Magic Idol』を知った時からずっと見たいと思っていました。
今年になってYoutubeで視聴可能になったので視聴を開始したところ、最初の数話で「これはもしや…?」となり、話数を重ねていく内に、筆者が長年待ち望んでいた、とある確信を得ました。
それはこの作品が初期『アイカツ!』が持っていた「魔力」を受け継いだ作品であるということです。
初期『アイカツ!』の魔力とは何か?それを受け継いだ『シャイニングスター』とはどんな作品なのでしょうか?
本記事を書いている時点で、筆者が視聴したのは第26話までなので、語れるのもその範囲までとなります。しかし、それでも十分すぎるほど語れることがあります。
『アイカツ!』は分かるけど『シャイニングスター』は未見と言う読者を想定して、後者の具体的なネタバレはしない様にしながら、語ってみたいと思います。
1. 韓国から来た妹
まず、筆者が『シャイニングスター』をどう思っているかと言うと、『アイカツスターズ!』『アイカツフレンズ!』『ドリフェス!』と同じく、『アイカツ!』の妹弟の1人だと思っています。
『シャイニングスター』と『アイカツ!』ってどのくらい似ているのでしょうか?日本語Wikipediaのあらすじにはこう書いてあります。
世界有数のアイドル養成学校「シャイニングスタースクール」に通ってレッスンを積み、やがて芸能界へとデビューを果たす主人公チェ・ナラと他のアイドルたちの切磋琢磨し合う姿を描いたアイドルアニメーションである。
このあらすじから『アイカツ!』との違いを見出す方が難しいです。
この「シャイニングスタースクール」ってどんな学校なんでしょうか?

めちゃくちゃスターライト学園っぽいです。
じゃあどんな先生がいるんでしょうか?

この人はジャッキー先生。言動はかなりジョニー先生的で、ジャッキーって名前もジャッキー・チェンから取っているような気がするので、ジョニー・デップから名前を取ったジョニー先生を強く連想させます。(先生は他にもいるんですが)
各エピソードの展開も似ています。主人公達が課題が与えられて、それをクリアしようと努力して、紆余曲折があって、最後にはドレスを着てライブシーンがあります。物語の中盤にはみんなジャージ姿でレッスンしています。
しかも毎回必ずドレスの紹介があります。なんとこの紹介に毎話20秒は割いています!しかもライブシーンまでやっている!何故こんなに驚いているかって『シャイニングスター』は2019年8月現在、ドレスをモチーフにした玩具を何一つ販売していないのです。販促アニメとしての要請からこれらシーンに時間を割いているわけではなく、アイカツシリーズやプリティシリーズなどの先行作品のテンプレートに従ってこう言うシーンが挿入されるのです。
しかし、これらの要素は上辺だけのものに過ぎません(と言うとジャッキー先生が可哀想ですが)。
『シャイニングスター』が『アイカツ!』の後継者たる由縁は、彼女が『アイカツ!』の生み出した「最大の武器」を継承している点にあります。
その武器は斧よりも強く、崖登りより気高い精神性を備えています。
それは「主人公達が課題に挑戦する中で、間違いや試練から重要なことに気付き、新しい一歩を踏み出す」と言う物語構造です。
2. 「教訓型」エピソードの分析
『アイカツ!』を視聴した方なら、上記のあらすじからいくつかエピソードを思い出すかも知れません。
この物語構造を持つ『アイカツ!』のエピソードは下記になります。
・第5話「ラン! ランウェイ!」
・第6話「サインに夢中!」
・第7話「つぶやきにご用心」
・第13話「カロリーの悲劇!」
・第16話「ドッキドキ!! スペシャルライブ PART1」
・第17話「ドッキドキ!! スペシャルライブ PART2」
・第19話「月夜のあの娘は秘密の香り」
・第27話「開幕☆フレッシュガールズカップ」
・第32話「いちごパニック」
また、第35話「涙の星」、第36話「トライスター テイク オフ☆」、第37話「太陽に向かって」の連作も3本まとめると同様の構造を持っています。
『アイカツ!』1期を彩った名エピソードばかりですね。
この物語構造をここでは「教訓型」と呼ぶことにします。本章ではこの構造について解説します。
「教訓型」エピソードは「三幕構成」で綺麗に説明出来ます。「三幕構成」とはハリウッド名作などの多くの映画に共通する構成で、1つの物語が3つのパートに分かれていると言うものです。

引用:シド・フィールド著『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック シド・フィールドの脚本術2』より抜粋
典型的な「教訓型」構造を持つ『アイカツ!』第6話「サインに夢中!」を例に分析していきます。
万が一、未見の方がいたら見て下さい。この回は単体でも見れると思います→あにてれ、dアニメストア、バンダイチャンネル、Hulu

・第一幕「状況設定」
第一幕は状況設定の場面です。主人公達に何らかの課題が与えられます。こうした課題を「セントラル・クエスチョン」と言い、ドラマ上の目的になります。
例:「サインに夢中!」では「サインを考える」と言うジョニー先生からの宿題があたえられるシーンです。
ここで留意すべきは、「セントラル・クエスチョン」は物語を推進するものであって「テーマ」ではないと言うことです。クエスチョンは実は可換な問題であって「サインを考える」でも「オーディション合格」でも「PRドレス」でも良いのです。重要なのは、クエスチョンを解決する過程で得られる「教訓」と「成長」になります。これが「テーマ」です。
第一幕の最後は「プロットポイントⅠ」になります。ここでは、第二幕に向けてアクションが起こります。「教訓型」ではクエスチョンを受けて主人公達が行動を開始します。
例:蘭にサインの作り方を教えて貰おうとするとするシーン。
・第二幕「葛藤」
第二幕は主人公が「葛藤」する場面です。「教訓型」における「葛藤」とは大抵の場合「課題をクリアするためのレッスンや試行錯誤」です。
第二幕は三幕構成の中で最も長く、「ミッドポイント(MP)」を中心に前半と後半に分かれています。前半と後半で主人公達の目的や行動が変わるのです。順番に見ていきましょう。

引用:シド・フィールド著『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック シド・フィールドの脚本術2』より抜粋
第二幕前半では、主人公たちが課題や試練に取り組み始めます。ここではメンター(指導者)が主人公を導く役割を果たすことが多いです。
例:サインの作り方を実践するパートになります。メンターは蘭です。
そして「ミッドポイント」が訪れます。ここでは主人公達がより大きな課題に直面したり、トラブルに見舞われます。
例:「サインを考えたのは良いが、書くのに時間がかかりすぎる」と言うジョニー先生との会話シーンです。
「ミッドポイント」では物語が大きく動き、主人公達の目的や行動が変化します。この変化は物語を「プロットポイントII」に導くためのものです。
例:前半は「サインを考えること」が目的でしたが、後半は「サインを速く書くこと」に変わります。
そして「教訓型」ではこの辺りで物語の「テーマ」が示唆されます。
例:ジョニー先生の「ちんたら書いてたらファンの心は離れちまうぜベイビー」と言う台詞です。これが元でいちごは「速く書くこと」に気を取られていく訳ですが、同時に「全てはファンのため」と言う「テーマ」が顔を出しています。
第二幕の後半では、主人公達が「ドラマ的に降下」します。言い換えると、主人公達の状況がどんどん悪くなっていくシーンです。
例:「サインに夢中!」ではこれがトリックになっているので解りにくいのですが、「いちごがサインを速く書くことに気を取られていること」が「ドラマ的降下」です。

そして「プロットポイントⅡ」が訪れます。多くのハリウッド映画では、主人公達が「死」に直面するパートです。『アイカツ!』の「教訓型」では「自分の間違いに気付き、痛みを伴う教訓を得る」シーンになります。特に「テーマ」がはっきりと台詞となって語られることが特徴です。
例:「星宮家で開かれたサイン会で、いちごはサインを書くことに気を取られて、ファンをがっかりさせてしまう」→「蘭に諭され、ファンと向き合う事こそが真に大事なことだと気付く」と言う一連のシーンです。
・第三幕「解決」
第三幕は物語が解決するクライマックスです。「教訓型」では「プロットポイントⅡ」を経て変化した主人公達を試す、テストが行われます。すなわち「間違いや試練から重要なことに気付き、新しい一歩を踏み出す」シーンになります。
例:ジョニー先生の前でサインを書いてみせるシーンです。いちごは「プロットポイントⅡ」で得た教訓を生かして、ジョニー先生と目を合わせて会話しながらサインを書いて見せ、このテストをクリアします。
以上が「教訓型」の構造になります。お気付きかもしれませんが、殆どのアイカツシリーズのエピソードは第二幕の途中まではこの展開を取ります。「教訓型」が他のエピソードと異なるのは、第二幕後半で主人公達が「ドラマ的に降下」し、「プロットポイントⅡ」において「自分の間違いに気付き、痛みを伴う教訓を得る」ことにあります。
「サインに夢中!」では、いちごはがっかりさせてしまったファンへの罪悪感を伴いながら、自分の間違いを改めることになります。この主人公の一連の感情の変化こそが「教訓型」エピソードの「魔力」の源泉になっていきます。
3. 『アイカツ!』の魔力に迫る
筆者は「教訓型」エピソードこそ『アイカツ!』最大の武器だと述べました。
そもそも物語は何故人を惹きつけるのでしょうか。驚くべきトリック、燃え上がるような恋愛、別世界に誘う旅情、抱腹絶倒のコメディ、難病になって悲しい、そういった感情を動かす要素に惹かれるのかも知れません。もしくは、開拓時代のガンマンや冷戦のスパイ、戦争、ファンタジー、ミュージカル、宇宙、ヒーロー、怪獣、魔法少女、アイドルのようなジャンル的要素も魅力でしょう。物語にはそうした「具体」の魅力もあります。
ここで取り上げたいのは物語の「抽象」の力です。ここで言う「抽象」とは物語が持つ「根源的な力」のことです。
物語の「根源的な力」を知る上で重要なのは神話です。「主人公達が課題に挑戦する中で、間違いや試練から重要なことに気付き、新しい一歩を踏み出す」と言う、先にも述べた「教訓型」のプロットは、世界中の神話に共通して見られる「英雄の旅」と言う構造に似ています。
「英雄の旅」とは「英雄が別世界を旅し、イニシエーションを経て、元の世界に還る」と言うもので、1949年に比較神話学者のジョーゼフ・キャンベルによって提唱されました。イニシエーションとは子供から大人になる通過儀礼のことで、平たく言えば成長のことです。キャンベルの神話論はハリウッド映画などに多大な影響を与え、「英雄の旅」は『スター・ウォーズ』の直接の元ネタにもなっています(ただしアカデミックな神話学からするとキャンベルの神話学は亜流です)。
脚本家のブレイク・スナイダーは同様の物語構造を「金の羊毛」と呼んでいます。これは「主人公が何かを求めて旅に出るが、最終的に得るのは別のもの=自分自身である」と言うものです。これはギリシャ神話の英雄イアーソーンが金の羊毛を持つ羊を手に入れる冒険譚に由来します。

現存する神話は、古代から人々を魅了してきたからこそ、語り継がれてきました。つまり神話と同じ構造を持つ現代の物語にも、語り継がれるべき魅力があるのです。『スターウォーズ』や『ロッキー』などの「英雄の旅」or「金の羊毛」構造を持つ名作映画達は、三幕構成の第二幕における「葛藤」や「対立」を通じて、主人公達がどう変化するのかを描き、「人間とは心理的にも道徳的にも、より良い自分に変われるものである」と言うことを表現してきたのです。『アイカツ!』の「教訓型」もそうした定型の1つなのです。
しかしながら『アイカツ!』の「教訓型」エピソードが悪魔的なのはそれだけが理由ではありません。「教訓型」エピソードは、ハマる人間にとっては、抗いがたい力を持って見る者の人生観すら変えてくるのです。
この魔力には、『アイカツ!』特有の脚本術における2つのテクニカルな問題が関わっていると考えられます。
1つ目は「Save the Cat」のテクニックが功を奏していること。
2つ目は『アイカツ!』が児童向けであるが故に「テーマ」を台詞にしていることです。
まず「Save the Cat」と言う作劇テクニックについて解説します。
これは脚本家のブレイク・スナイダーが2005年の著書『Save the Cat! The Last Book on Screenwriting You'll Ever Need』の中で提唱したテクニックです。(訳本は『SAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術』(フィルムアート社 2010年))
簡単に言えば「観客の心を動かすには、主人公に共感して貰う必要がある。共感して貰うためには、好感を持って貰う必要がある。だから主人公に好感を持つようなシーンが必要である」と言うものです。スナイダーはこれを「主人公が、木から降りられなくなった猫を助ける(Save the Cat)ことで観客に好感を持って貰う」と言う例で説明しています。
『アイカツ!』における「Save the Cat」は色々考えられますが、特に「教訓型」については、筆者はこう考えます。『アイカツ!』は基本コメディなので、アイドルたちは楽しげにアイカツしています。しかし、そこには常に職業としてのアイドル、すなわちプロフェッショナルとしての意識が水面下に流れていて、ふとした瞬間にそれが顔を出すと言う緩やかな緊張感があります。この緊張感は我々大人にこそ、身近な現実として感じられます。この緊張感の中にあって、星宮いちごは持ち前の明るさや、前向きな物の見方で行動を起こし、我々に好感を持たせます。そんな星宮いちごが「教訓型」エピソードにおいて「ドラマ的に降下」して、失敗したり、ナーバスになったり、涙を流す姿を見て、我々は彼女の置かれた立場に共感していきます。キャラクターを可哀想と感じるのは共感の第一歩だからです。
この共感は第二幕の「プロットポイントⅡ」で絶頂に達します。星宮いちごが「ドラマ的に降下」した後、自分の間違いに気付くシーンです。
ここで2つ目のポイント、「テーマ」を台詞で語ると言うテクニカルな問題が作用してきます。
「テーマ」をそのまま台詞で語ってしまうのは、普通なら上等なものとはされません。しかし『アイカツ!』は児童向けアニメなので、伝えたいことをわかりやすく台詞にすると言うのは適切なアプローチだと言えます。
そして、この児童向けであるが故に「テーマ」を台詞にすると言うアプローチが、「Save the Cat」と相まって強烈に感情を動かすのです。
もしあなたが現実に会社の上司から同じことを言われても「知るかボケ」となっているかもしれない言葉でも、あなたが共感してしまっている星宮いちごがその言葉をかけられ、自分の間違いに気付いて「ハッ」となる瞬間を物語として描かれると、あなたも「ハッ」となるのです。これはもはや人間の生理に根差した作用としてあなたの感情に迫ってきます。
共感させておいて、言葉を投げかける。この術中にハマってしまった人は抗い難い力で感情を動かされることになるのです。
これこそが初期『アイカツ!』が生み出した最大の武器「教訓型」エピソードの魔力なのです。
4. 「Story is King」
「物語がしっかりしていれば、観客は映像のほつれが気にならなくなる」と言うセオリーがあります。
これを唱えたのは他でもないCGアニメの先駆者ピクサースタジオです。現在では「ピクサー作品の映像にほつれなんてあるの?」と思ってしまいますが、『トイ・ストーリー』を成功させる以前のピクサーには、当然ながら試行錯誤の時代がありました。
CGアニメーション技術の黎明期にあった1984年、ピクサーは『アンドレとウォーリーB.の冒険』と言う2分間の短編をCG学会で上映し、称賛を浴びます。しかし、その日の上映は映像のレンダリング時間を見誤り、画面が途中で白黒のワイヤーフレームになってしまうラフ状態での上映を余儀なくされたのです。にもかかわらず、学会に出席していたCGの専門家達の殆どがその荒らに気付かなかったと言うのです。「アンドレと言うキャラクターがハチのウォーリーB.に追われる」と言うシンプルながら緊張感を持続させる物語が、観客の目を映像の荒らではなく、物語に集中させることを可能にしたのです。

ピクサーはこの後数本の短編を経て、長編第一作目『トイ・ストーリー』を制作します。しかし『トイ・ストーリー』の当初の脚本はひどいものであり、大改修を経て現在の『トイ・ストーリー』が完成します。その結果はみなさん御存知の通り、おもちゃの世界の冒険譚と言う子供騙しにも成りかねないアイデアを使って、子供にも大人にも響く名作を作り上げました。
この時から「物語が一番偉い(Story is King)」と言う大原則がピクサーを支え続けています。
『シャイニングスター』を制作したMAROスタジオも、CGアニメスタジオとしてこの原則を踏襲していると思われます。もちろん踏襲するだけならどこのスタジオだって同じことをしているでしょう。しかし、こと『シャイニングスター』においては「物語が映像のほつれをカバーする」と言うセオリーが大成功を収めているのです。
ピクサーやドリームワークス、日本のアニメCGを見慣れた観客なら、『シャイニングスター』のCGを微妙と感じるのも致し方ないところだと思います。筆者も最初は「キービジュアルの通り作画アニメならよかったのになぁ」と思いました。

しかし、これが26話まで見終えると「いやあのCG以外考えられないでしょ。逆にキービジュのこれ誰だよ!」くらいの感じになりました。要は愛着が湧いてしまったのです。これは魅力十二分な声優陣、軽妙なキャラ芝居、豪華なライブ演出など、各セクションの尽力も確かにありますが、やはり圧倒的に優れた物語に起因するものだと感じます。
では『シャイニングスター』の作り手達は、どのようにして優れた物語を作り上げたのでしょうか?
まず、彼らは『アイカツ!』を参考にする過程で、その物語についても研究したはずです。その過程で、いくつかのエピソードに共通した構造が見られること、そしてその構造が強力な「魔力」を持っていることに気付いたと思われます。
彼らは「教訓型」エピソードを『シャイニングスター』に組み込み、その「魔力」を借りたのです。
『シャイニングスター』では1話、3話、6話、8話、11話、12話、13話、14話、16話、25話で「教訓型」構造を用いています。26話中10話にもなります。
「教訓型」を受け継いだ妹は『シャイニングスター』唯一人です。アイカツシリーズの後継作品である『アイカツスターズ!』『アイカツフレンズ!』はおろか、『アイカツ!』でも後期になると「教訓型」は姿を消してしまいます(*1)。
少々ステレオタイプな見方になるかも知れませんが、儒教の国である韓国から訓話性の高い「教訓型」を継承した妹がやってくるのは合点の行くところです。(こう書くと「説教臭い話なの?」と思われるかも知れませんが、『シャイニングスター』も基本はコメディです。MAROスタジオは元々スラップスティック・コメディを得意としていたスタジオであり、そっちが本領な部分もあります)
『シャイニングスター』の「教訓型」エピソードがどんな仕上がりになっているのかは、みなさんの目で確かめて下さい。姉に似て、優れた物語になっていることだけは確かです。
姉のかつての魔力を受け継いだ妹『シャイニングスター』。ピクサーの原則「Story is King」に言葉を借りるなら、物語と言う王冠を受け継いだのが彼女なのです。
*1 厳密には『アイカツフレンズ!』には1話だけ「教訓型」があります。第29話「あいねのハロウィンパニック」です。この回の脚本は『アイカツ!』時代に制作を務めていた守護このみ氏です。
5. 構造とチェ・ナラ
しかし、『シャイニングスター』の物語作りは『アイカツ!』を参考にしたものばかりではありません。『シャイニングスター』にはアイカツとは真逆の部分もあります。
それは「対立」を描いている点です。
物語における「対立」とは、すなわち「テーマ的な対立」です。例えば「宇宙の生命を半分に減らすべきだ」と言う「テーマ」に対してYesの立場とNoの立場のキャラクターが登場することが「対立」になります。「葛藤」と並んで、多くの映画やドラマで物語を動かす軸になります。
アイカツシリーズでは「対立」はほぼ描かれません。スターライト学園のライバルとして登場したドリアカも「テーマ的に対立」することはありませんでした。『アイカツスターズ!』の諸星学園長は、解釈にもよりますが、「不思議な力を使うか否か」をテーマとするなら、対立者ではなくメンターだったと言うことになります。エルザ・フォルテが初めて「みんなで輝く」と言うテーマにおいて虹野ゆめ達と相反し、「対立者」として描かれました。
このように、アイカツは「悪役のいないコメディ」が基本原則なのです。
しかし『シャイニングスター』はまるで真逆です。「対立」も「悪役」もわんさか出てきます。アイドル同士の悪口、罵詈雑言、足の引っ張り合いは日常茶飯事、明確な妨害工作も珍しくありません。それらは主人公のチェ・ナラが体現する「弛まぬ努力の大切さ」と言うテーマに対する、「才能や出自で全てが決まる」や「他人の足を引っ張って勝つ」と言ったアンチテーゼの象徴になっています(抽象化して言うとなんとも無機質ですが、この悪口と足の引っ張り合いも普通に笑えるコメディ要素です)。
『シャイニングスター』にはこの「対立」を軸にしたエピソードが多数存在し、共通した物語構造が見られます。
すなわち「主人公達が何者かと対立し、苦境に陥るが、努力やアイデア、ひたむきさで人々の心を打ち、勝利する(もしくは対立者を改心させる)」と言う構造です。書いていて気恥ずかしくなるくらいの王道です。この構造を「対立型」とします。
「対立型」の構造を持つエピソードは、2話、5話、7話、10話、15話、17話、18話、20話、21話、26話です。「教訓型」と同じく10話あります。
つまり「教訓型」と「対立型」を1対1の比率で用いているのです。これは単なる偶然ではなく、脚本家達が物語の構造を理解し、意図して使い分けた結果だと筆者は考えます。
『アイカツ!』が「対立」を描いていないと言う点については、『シャイニングスター』の作り手達も勿論気付いているでしょう。その上で「葛藤」を描く「教訓型」エピソードと、「対立」を描く「対立型」エピソードの両方を均等に盛り込み、物語の「根源的な力」を最大限に利用することを選んだのだと思います。
では「Save the Cat」はどうでしょうか?『シャイニングスター』の主人公のチェ・ナラは、どの様にして観客に好感を抱かせるのでしょうか?
先述の通り、チェ・ナラは「弛まぬ努力の大切さ」と言う王道中の王道テーマを担っていますが、もう1つのサブテーマとして「自己犠牲」と言うモチーフが幾つかのエピソードに登場します。このモチーフが大きくクローズアップされる序盤のエピソードに第4話「サプライズ☆私にもファンが!?」があります。

あらすじをざっくり説明すると「ナラのファンである闘病中の少女をナラが自己犠牲によって救う」と言うお話です。「野球選手と病気の病気の少年」型とでも言うべき典型なこのエピソードは『シャイニングスター』全体の中でも異質な存在感があります。しかし、あらすじを見てもらえば分かる通り、このエピソードはチェ・ナラにとっての「Save the Cat(猫を救え)」になっています。『シャイニングスター』のスタッフ達は、このテクニックもしっかりと押さえているのです。
また、内容のネタバレになってしまうので深く言及しませんが、各エピソード間にはモチーフの対比と反復が随所に見られ、これについても非常に上手く出来ています。視聴を進めながら、各エピソードに登場するモチーフがどの様な対応関係にあるのか考えていくと面白いと思います。
以上のように『シャイニングスター』には、物語の力を使った戦略が幾重にも織り込まれています。作り手達が「Story is King」を実践し、映像のほつれなど気にさせない強力な物語を作り上げた作品が『シャイニングスター』なのです。
最後に
以上が「初期『アイカツ!』の魔力とは何か?」「それを受け継いだ『シャイニングスター』とはどんな作品なのか?」についての解説になります。
アイカツシリーズ新作『アイカツオンパレード!』が発表され、『シャイニングスター』も配信が再開する丁度いいタイミングだったので、2作品の関係性について書いてみました。
最後に、『シャイニングスター』の作り手達の主張をメタ的に感じさせてくるエピソードがあるので、それについて言及させて下さい。そのエピソードとは第10話「ドレミファソ☆耳元をぐるぐる回るメロディ〜!」です。内容についてはもう見てくださいとしか言えませんが、スタッフ達の生の声が聴こえてくるようなエピソードです。筆者が述べてきた、作り手達の戦略の数々を知った上で彼らの声に耳を傾ければ、その言葉にきっと「共感」出来るはずです。
長くなりしたが、要はこう言うことです。
『シャイニングスター』を見ましょう。
以上