【日本文学新译】川端康成《秋雨》:别被错误的翻译坑了!

(按:今年年初,八省联考语文试卷选用了川端康成的《秋雨》作为现代文阅读材料,然而试卷上的译文错误多如牛毛、不堪卒读,有的甚至严重影响了考生对文意的理解。虽然此种质量的译文并不是什么罕见情况,但仍发人深省。因此,现将这篇文章重新译出,力图保留原文文风和细节,并附上日语原文,以供对照参考。原译文的错误,不再一一另行指出,唯有文中加粗之处,是对原译文几个十分严重的错译的纠正。)
秋雨
【日】川端康成 著
真紅様 译
紅葉した山に火の降るまぼろしが、私の目の奥に見えていた。
红叶尽染的山上,有火焰降下——这幻梦正在我眼底映现。
山というより谷というのがいいほど、その谷は深く、山は谷川の両岸に迫って、きっ立っていた。真上の天を見上げるように上向かないと、山の上の空は見えなかった。その空はまだ青いが、夕の来る色があった。
与其说是山,不如说是谷才合适;这谷很深,山从谷底溪流的两岸拔起,高高地耸立着。若不向正上方抬头仰望,便看不到山顶上的天空。此时的天空仍是一片蔚蓝,但已有几分暮色。
谷川の白い石にも、おなじけはいの色があった。高くから私をつつんで、身にしみこむ紅葉の静まりが、早く夕を感じさせるのか。谷川の流れは深い紺色で、紅葉が流れにうつらぬ紺色なのを、私の目があやしんだ時、その紺の水に火の降るのが見えたのだった。
溪流中的白石上,也显出同样的颜色。从高处将我笼罩、沁入我身的红叶的那份寂静,兴许是要让我早早地感受到黄昏吧?溪水是颇深的绀蓝色,而红叶并未倒映在绀蓝色之中。正当我对此起疑之时,我看到那绀蓝的水上有火焰降下。
火の雨や火の粉が降るようではなく、ただ、水の上に小さい火の群れがきらめくのであった。しかし、降っているのにはちがいなくて、その小さい火の一つ一つは紺の水に落ちて消えた。山のあいだを落ちるまは、紅葉で火の色が見えないのだ。それなら、山の上はと見上げると、空を思いがけない早さで小さい火の群れが落ちていた。火の群れが動くためか、両方の山のいただきを岸として、狭い空は川のように流れていると見えて来た。
不像火雨或火星降下,只是小小的火焰们在水面上闪闪烁烁。但是,它们无疑是从天上降下的;那一团团小火焰落到绀蓝的水面上便消逝了。火焰落到山腰处之际,因为红叶而看不出它的颜色来。那么,山顶上呢?——抬头一看,小小的火焰们正以意想不到的快速从空中落下。兴许是它们在移动的缘故吧,若把两旁山的峰顶当作是岸,那窄窄的天空看起来便如溪流一般流淌着。
京都へ行く急行列車のなかで、夜になって、居眠りしかけた私のまぼろしである。
这是我在开往京都的特快列车上,入夜后、刚要入眠之时所生的幻梦。
十五六年前、私が胆石の手術で病院にいた時、私の記憶に宿った二人の女の子の一人を、私は京都のホテルで見るために行くのであった。
十五六年前,我因胆结石手术住院时,有两个女孩留在了我的记忆中。这次我便是为了到京都的酒店看其中一个女孩而动身前行的。
その一人は赤んぼ、胆汁を送る胆管がなく生まれついて、そういう子は一年ほどしか生きられないので、人造の管を入れて肝臓と胆嚢とをつないでみる手術を受けた。母親がその子を抱いて廊下に立っているのに私は近づいて、赤んぼを見ながら言った。
另一个是个婴儿,天生没有输送胆汁的胆管,这样的孩子【不治疗的话】最多只能活一年左右,所以便接受了植入人造管、将肝脏和胆囊连接起来的手术。母亲抱着那孩子站在走廊上,我走上前去,看着婴儿说道:
「よかったですね。可愛いお子さんですね。」
“真好。真是个可爱的孩子。”
「ありがとうございます。もう、今日か明日かのうちに、いけませんそうで、うちから迎えが来るのを待っております。」と母親は静かに答えた。
“谢谢您。唉,说是今明两天里就要不行了,正在等家里人来接呢。”母亲平静地答道。
赤んぼは安らかなように眠って、つばきの花模様のきものの胸が、手術のあとの綳帯のためか、ゆるやかにふくらんでいた。
婴儿睡得很安稳。她那身山茶花图案和服的胸口处,兴许是手术后绷带的缘故,松松垮垮地鼓胀着。
私が母親にうかつな見舞いを言ったのも、入院患者のあいだに通う心のゆるみ[1]からであったが、この外科病院には、心臓手術の子どもが多く来ていて、手術の前は廊下をはしゃいで歩きまわるやら、エレベエタアに乗って上りおりの遊びやらで、私もその子たちについ声をかけたりした。五つから七つ八つの子だった。心臓の生れつきの障害を治す手術は、幼いうちがよく、それをしておかなければ、若くて死ぬおそれのある子どもたちだった。
我之所以会对这位母亲说出这番粗疏的问候,也有住院患者之间【相处时】的放松感的原因。这家外科医院里,来了很多做心脏手术的孩子,手术之前又是在走廊上喧闹着跑来跑去,又是乘电梯上下嬉戏,我不知不觉也跟他们搭起话来。这是群五岁到七八岁的孩子。治疗他们的先天性心脏病的手术,要小时候做才好,不然的话,可能有夭折的危险。
その子らのうちの一人が、ことに私の注意をひいた。私がエレベエタアに乗るたびに、必ずと言っていいほど、その子はエレベエタアに乗っていた。エレベエタアの隅にひとりしゃがみこんで、立った大人たちの足の陰に、その五つぐらいの女の子は、いつもむっつりしていた。きつい[2]目をはげしく光らせ、負けん気の口をきゅっと閉じていた。私の附添看護婦に聞くと、その女の子は毎日のように、二時間も三時間も、ひとりでそうしてエレベエタアに乗りつづけているのだという。廊下の長いすにかけていても、その女の子はおなじ顔でむっとしていた。私が話しかけてみるのに、目色も動かさなかった。「末たのもしい子だね。」と私の看護婦に私は言った。
那些孩子们中的一个,格外地引起我的注意。每次我乘电梯时,可以说必定能看见那个孩子也在乘电梯。在电梯的角落一个人蹲着、躲在站着的大人们的腿后面,这个五岁左右的女孩,始终沉默不语。她那要强的眼中激烈地闪着光,一张不服输的嘴紧紧地闭着。我向照料我的护士打听,她说那女孩几乎每天都会这样,连着两三个小时,一个人一直一直地乘电梯。即使是坐在走廊的长椅上,她也同样是一副绷着脸的表情。我试着向她搭话,可她连眼神都动也不动。“这孩子,未来可期啊。”我对我的护士说。
その女の子が見えなくなった。
【后来】那个女孩不见了。
「あの子も手術したんだね。あとはいいの?」と看護婦にたずねると、「手術しないで帰ってしまいました。隣のベッドの子が死ぬのを見て、いやだ、帰る、いやだ、帰ると、言い張って聞かなかったんです。」
“那个孩子也做完手术了吧。之后情况好吗?”我向护士打听。她说:“她没做手术就回去了。看到临床的孩子死了,就坚持说‘我不做,我要回家,我不做,我要回家’,根本不听劝。”
「ふうん。……しかし、若死にしないかしら。」
“唔。……但是,【这样】她不会夭折吗?”
今は娘ざかりになった、その女の子を、私は京都へ見に行くのだった。
那个女孩,如今已长成了妙龄少女,这回我正是要去京都看她。
客車の窓ガラスを打つ雨の音に、私は夢うつつから目をあけた。まぼろしは消えた。雨が窓にあたるのを私は居眠りをしかけながら知っていたが、やがて吹き降りが窓に音を立てるほど激しくなっていたものとみえる。窓にあたった雨のしずくはしずくの形のまま、窓ガラスをななめに流れた。窓の端から端までゆくのもあった。そして、流れてゆきながら、つかのま止まっては動き、止まっては動いた。私はそれがリズムに見えて来た。[3]しずくの露の群れは、あとのが先のを追い越したり、上のが下のより下へ落ちたり、入り組んだ線を描き合って流れるリズムに、音楽が聞こえて来た。
打在车窗玻璃上的雨的声音,令我从半梦半醒中睁开双眼。幻梦消逝了。有雨敲在窗上,是我【刚才】刚要入眠的同时就已知晓的;而【现在】看来,似乎【在那】不久后风雨便激烈了起来、以至在窗上奏出了响声。敲在窗上的雨滴始终维持着水滴的形状,在窗玻璃上斜斜地流淌。也有的从窗的一端流到另一端。而且,流着流着,转眼间又停停流流,停停流流。我从中能看出节奏来。一滴滴雨点们,一会儿后面的超过前面的,一会儿上面的比下面的落得更下,画出一道道交相错杂的线条——在这流淌的节奏中,能听出音乐来。
紅葉の山に火の降るまぼろしはしいんとして音がなかったけれども、窓ガラスを打って流れる露の群れの音楽が、あんな火の降るまぼろしとなっていたのだと、私は思われた。
“火焰降在红叶尽染的山上”的幻梦,是寂然无声的。然而我却总觉得,正是打在窗玻璃上流淌的雨点们所奏出的音乐,化作了那火焰降下的幻梦。
あさって、京都のホテルの広間で、正月のきものを見せる催しに、私は呉服屋から招かれたのだが、そのモデルの一人に別府りつ子の名があった。私はあの女の子の名を忘れなかった。しかし、ファッション·モデルになっているとは知らなかった。私は京都のもみじを見るよりも、りつ子を見に来た。
后天,在京都的酒店的大厅里,将举行新年的和服展览会,我受绸缎庄的邀请前去观看;那群模特中的一个名叫别府律子。那个女孩的名字我没有忘记。但是,我不知道她成了服装模特。我比起看京都的红叶,更是为了看律子而来的。
次の日も雨つづきで、午後、私は四階のロビイでテレビを見ていた。ここは宴会場の待合室らしく、二三組の結婚披露の客がたてこみ、着つけをした花嫁も通った。順番の早い新郎新婦が式場を出て来て、私のうしろで記念撮影するのを、私はちょっと振りかえってみたりした。
第二天依然是阴雨绵绵;下午,我在四楼的门厅里看电视。这里好像是宴会场的等候室,有两三场婚礼的客人挤在一起,装扮好了的新娘也从这儿经过。我偶然回头看见,婚礼顺序靠前的新婚夫妇从会场里走出来,在我身后拍纪念照。
呉服屋の主人にそこであいさつされた。私は別府りつ子が来ているかとたずねた。主人はすぐそばを目で指した。雨に煙る窓の前に立って、新郎新婦の記念撮影をきつい目で見ているのが、りつ子だった。唇をきゅっと結んでいた。まだ生きていて、背高く立った、美しい娘に、私をおぼえているか、思い出せるかと、私は声をかけにゆきたくて、ぐっとためらった。
绸缎庄的老板站在那儿向我打招呼。我问道:别府律子来了吗?老板立马用眼睛指了指旁边。站在烟雨朦胧的窗前、用要强的眼神看着新婚夫妇拍纪念照的,便是律子。那双唇紧紧地闭着。她仍然活在世上,【而且已长成了】亭亭玉立的、美丽的姑娘。“还记得我吗?想得起来吗?”我真想这样向她搭话去,却又踌躇不前。
「あの人に、明日は会で、花嫁衣裳を着てもらうものですから……。」と呉服屋が私の耳もとにささやいた。
“那个人啊,明天的展览会上,我们会请她穿上新娘礼服,所以……。”绸缎庄的老板在我耳边悄声说道。
[1] 心のゆるみ:心のくつろぐこと。気のやすまること。心ゆり。英译作“the easy familiarity that runs between hospital in-patients”
[2] きつい:気性が激しい。気が強い。「―・いところのある子」「目つきが―・い」
[3] 似应为“私はそれにリズムが見えて来た。”之误。