日本語文法概説(55)
55. 連用のまとめ 55.1 連用修飾の種類 55.2 連用節どうしのまとまり方 55.3 節を結ぶ接続詞 55.4 同種の連用節の重なり 連用節は種類がたくさんあり、初級の後半のかなりの部分がこの学習に費やされます。一つ一つの意味用法がもちろん大切なわけですが、連用節全体を通じて考えるべきこともあります。 何度も述べたように、日本語の文の基本的骨組みは、「補語+述語」という構造と、「主題-解説」という構造の重なりからできています。それに、連体と連用の修飾が付いて、文の内容を豊かにします。 連体については連体節の最後のところで少し考えます。ここでは連用について考えてみます。連用というのは述語にかかることです。その連用成分の中には、単純なものもあり、複雑な節の形をしたものもあります。「10. 修飾」以下でみた単文の中の修飾語があり、これまで見てきたさまざまな連用節があります。その機能を考えてみると、当然のことながら、単文の中の修飾成分と複文の連用節には対応するものもありますし、対応しないところもあります。 55.1 連用修飾の種類 「連用」(述語にかかる)という点から、連用節と単文のところで取り扱った補語や連用修飾語を比較しながらまとめて振り返ってみます。 まず、「述語にかかる」と言うときの「述語」とは何かという問題があります。基本述語型の三つの述語、動詞・形容詞・名詞述語が基本ですが、そのほかにさまざまな複合述語があります。複合述語は「44.複合述語のまとめ」で見たようにいくつかの階層があり、そのどこに「かかる」のか、ということが問題になります。ムードをひとまとめにしてしまうと、 基本述語型 -(ボイス)-(アスペクト)- テンス - ムード となります。ボイスとアスペクトは動詞述語だけに関係します。 この基本述語型から順に外側へ、それにかかる修飾成分を見ていきます。 55.1.1 副詞(句)と連用節 基本述語型の中で、動詞以外の述語、つまり形容詞述語と名詞述語も修飾できる修飾語は限られています。副詞(句)の例は「11.副詞・副詞句」に出しましたのでもう一度見て下さい。 A.基本述語型にかかるもの [程度] 形容詞述語と一部の名詞述語を修飾できるのが程度の副詞句・連用節です。 とても素晴らしい 涙が出るほど素晴らしい もっと遠くです。 ずーっと、ずーっと、見えないぐらい遠くです。 動詞では、状態・性質を表す動詞や、動き・変化の動詞の程度を表します。 空気が非常に澄んでいる 見るだけで痛そうなほど腫れている 目標からかなりずれる この町は、前と同じ町とは思えないくらい変わった。 また、様子の副詞など、他の副詞を修飾できます。 肉眼ではわからないほどゆっくり動いている。 [様子] 形容詞・名詞述語の修飾には使われず、動詞述語だけを修飾できる要素は数多くあります。まず代表的なのは様子の副詞句・連用節です。副詞句、連用節ともに種類が多く、さまざまな様子を表します。 ゆっくり/低速で 走る スピードを落として/上げずに 走る 強く握る 力を入れて握る 急に家から飛び出した 急いで家から飛び出した 音楽に合わせて体を動かす 相手の目を見て/見ながら 話す 手を振りながら叫ぶ 靴のままいすに乗る 靴下をはいたまま寝る 鳥のように空を飛ぶ 驚いたように振り向く こうして並べてみると、副詞句か連用節かという違いはあまり大きな違いとは感じられません。話し手が、表現したい内容に合わせてどのような形式を選ぶか、そこで複文、言い換えれば従属節を必要とするかどうかは、微妙な違いという感じがします。特に形式名詞を使った場合には、発想のしかたはほとんど同じで、名詞を使うか述語を使うかの違いです。 [頻度] 頻度の副詞と対応する連用節を考えると、様子の連用節と似たものになります。 たびたび/しきりに やってくる 三日とあけずにやってくる 間を置かず、攻撃を繰り返した。 「V-たびに」は頻度とは違いますが、近い意味です。単文では「Nに」、「Nごとに」「Nのたびに」などさまざまな形が使われます。「連用修飾」という機能の点では同じものです。 週に一度来る (名詞+助詞) 三日ごとに来る (名詞+接辞+助詞) 食事ごとにデザートが付く 点検のたびに問題が見つかる (名詞+の+形式名詞+助詞) 調べるたびに問題が見つかる (動詞+形式名詞+助詞) 見るごとによくなっている 「V-ごとに」はあまり使われません。 B.ボイスにかかるもの [態度] 複合述語の中で最も動詞に近いものは、複合動詞などを別にすればボイスでしょう。「11.副詞・副詞句」でも見たように、「態度の副詞」はボイスにかかると考えられます。 子どもはピアノの先生のところへいやいや連れて行かれた。 「いやいや連れていく」のではなくて、「いやいや・・・れる」のです。 子どもに無理に勉強させても、勉強が嫌いになるだけだ。 「無理に・・・させる」です。「がんばって勉強させる」というと、がんばるのは親でしょうか、子どもでしょうか。両方ありそうです。 女は連れの男にわざと足を踏ませ、悲鳴を上げた。 「わざと」は「女」の態度を表します。「男」もわざと踏むのでしょうが。 このようなボイスにかかる連用節は、 気が進まないながら(連れて行かれた) 自ら進んで などが考えられますが、「進んで」はすでに副詞だとも考えられます。 様子を表す連用節も、基本述語型の中に収まるだけでなく、ボイスにかかることがあります。 彼らは理由を知らないまま、警察に連行されていった。 「彼らが・・・連行する」のではないので、この「~まま」は「(連行)される」にかかることになります。様子の副詞との違いが出るのは、連用節では主節と主体が一致しなければならないことによるのでしょう。 C.テンス・アスペクトにかかるもの [時] テンス・アスペクトと関わるのが時の副詞句・連用節であることは言うまでもないでしょう。 単文の中の時の表現は、名詞句と助詞、それに副詞です。その名詞句を使った構造と連用節は、「48.1 概観」で見たように、はっきりと対応しています。もともと、時の連用節は、構造上は「連体節+形式名詞」とも言えるものですから、それらの名詞を「Nの」が修飾するか、連体節が修飾するかの違いしかないわけです。 さっき/一時間ほど前に 会った 入学式の前に会った 入学式が始まる前に会った D.ムードにかかるもの [陳述] ムードに関わるのは陳述の副詞句ですが、それにちょうど対応する連用節はありません。程度や様子の副詞句は、述語の表す内容をよりくわしく描写するためのものですが、陳述の副詞は違います。文末のムードと呼応して話し手の判断・態度を表すものです。逆に言えば、それ自体が述語に付加的な意味を加えるわけではありません。それに対して、連用節は具体的な内容を持って、主節の内容に意味を加えます。 ただ、次の例のような対応は考えられます。 私は決してタバコを吸うまい。 私はどんなことがあってもタバコを吸うまい。 「決して」は否定の述語と呼応して意志表現をを強めています。「どんなことがあっても」は否定とは限りませんが、同じように述語の意志表現を強める役割を果たしています。しかし、「決して」がその具体的内容を欠いているのに対して、総称的ではありますが、何か具体的な障害を想定して、それを乗り越えて禁煙するという意志を表しているという違いがあります。 また、ムードと呼応する、というのとは違いますが、条件の「~なら」が主節に断定以外の働きかけや意志などのムードを要求するということがあります。 来るなら来い。 郵便局に行くなら、このハガキ出してきて。 逆に、「~と」や「~ば」には主節のムードに対する制限があります。条件節はムードと微妙な関わりのある表現です。 陳述の副詞といわれるものの中には、ムードと直接関わらず、連用節と関わるものがあります。 もし~たら/ば/なら/と、 万一~たら/ば、 仮に~するとしたら、 たとえ~ても、 せっかく~のに/のだから/にもかかわらず、 これらの中で「せっかく」だけは、独自の微妙な意味を加えています。 また、量・程度の副詞、評価の副詞にも連用節と呼応するものがあります。 どんなに/いくら~ても、 さすが(に)~だけあって/だけに、 E.補い合うもの [限定] 限定の副詞は、まさに限定の副助詞・連用節と共に使われます。お互いの役割が違っているので、補い合う関係です。この点で、他の副詞と連用節が交替する関係にあるのとは違っています。 ただ、風が吹くばかりでした。 せめて自分の部屋を片付けるくらいやってよ。 「せめて・・・やってよ」というより「せめて・・・くらい」というかかり方です。 上で見た陳述の副詞と条件節の関係に似ています。 F.文全体にかかるもの [文修飾の連用節] さらに、「連用」つまり述語にかかるということを越えて、文全体にかかる「文修飾」の副詞に対応する連用節を見ておきます。 [評価] 「幸い(なこと)に」「あいにく(なことに)」などに対応する節は、 相手チームにとっては幸いなことだったかもしれないが、我々にとってはまった く不幸なことに、急に雨が降り出し、試合は流れてしまった。 あいにくなことだったが、捜し当てた相手はちょうど旅行中だった。 などになるでしょうか。「47.逆接」のところで、「前置き」の「が」として例をあげた形です。 [発言] 「11.8 発言の副詞」で例に出したものも、もともと節に近い形のものでした。「要するに」「実を言えば」「はっきり言うと」など。それをさらに、 この際ですからはっきり言わせていただくと、~ あなたの立場を考えるとあんまり言いたくないことですが、~ のように引きのばすこともできます。 ちょっとお尋ねしますが、駅はどっちでしょうか。 もここに入ります。 節の形としては、条件や「前置き」の「が」などの形になります。 以上、単文の中の副詞句と連用節を比較しながら振り返ってみました。程度や様子の場合は、そのための連用節の形がありましたが、陳述・評価・発言などではそれ自体の連用節の形を持っていません。連用節の機能は、ある面では副詞句より狭いということが言えます。 55.1.2 副詞句と対応しない連用節 この本では「連用節」という用語を使っていますが、他の文法書では「副詞節」と呼ばれることも多いです。副詞の働きをする節、ということですが、その中には対応する副詞句がないものがあります。それらを見ていきます。 [並列・逆接] 「並列」の連用節は、対応する副詞句がありません。「46.並列など」の初めで述べたように、文法的には「従属」節ですが、意味的には主節と対等の関係にあるので、副詞とは違うわけです。構造的にはむしろ名詞句に似ています。 名詞の並列接続と、並列の連用節を比較してみましょう。「NとN」はたんに要素を並べていくもので、「~て、~」に似ています。 食事と買い物をする 食事をして、買い物をする 「NやN(など)」は、その他のメンバーがあるという含みを持っています。 これは「~たり、~たり(する)」に近いと言えます。 食事や買い物をする 食事をしたり、買い物をしたりする 「NもNも」は、初めから頭の中に、あることに該当するメンバーの表があり、それらが皆そうである、ということを意味します。これは「~し、~」に対応します。 食事も買い物もする 食事もするし、買い物もする 逆接にあたる単文の要素はありません。逆接は必ず文相当の表現を必要とするということです。 [前置き] 「前置き」の「~が、~」をここでもう一度見ておきましょう。「前置き」というのは主節との文法的関係が直接的なものではないというだけのことで、実際的な意味はいろいろであり得ます。少し前に、「評価」や「発言」などの連用節もこの「前置き」の形になることを見ました。 その一つの用法で、話の主題を導入するものがあります。 昨日の話だけど、どうなった? 昨日の話はどうなった? ほかでもない君の昇進のことだが、やはり見送りになったよ。(君の昇進は) [条件] 条件表現は、単文に対応する表現のないものです。「N+なら」の一部が条件に近いと言えます。それは、さらに主題の「は」につながります。 この問題は、私でもできる。 これが問題?この問題なら、私でもできる。 次の試験もこの問題なら、私でも満点だ。 この問題くらいやさしければ、私でもできる。 「前置き」にしろ、この「条件」にしろ、主題と近いというのは興味深いことで、主題とは何か、という問題の広がりを示すものです。 [理由・目的] 原因・理由は、補語の「Nで」「Nに」や形式名詞の「N+ために」など、副詞ではない単文の要素と「~から/ので/ために/て」などが対応します。 雨で 雨が降ったので 頭痛のために 頭痛がしたために 目的は「Nに」「Nのために」と「V-ために/のに」などが対応します。 料理に使う パンを焼くために使う 受験のために 大学を受験するために [判断の根拠・状況設定など] 「50.理由」の「~から」で、「判断の根拠」「その他」という用法について述べました。 明かりがついているから、誰かいるよ。 「明かりがついている」ことは「誰か(が)いる」理由にはなりません。「誰かいるから、明かりがついている」のならまだわかりますが。そこを逆に「誰かいる」と判断する根拠が「明かり」なのです。 明かりがついている →[誰かいる]と判断する この「~から」はどこに「かかっている」と考えられるでしょうか。しいて言えば、「ir-u」の「u」が表す「断定」のムードにかかっているのでしょう。 「Nから」にも「根拠」を表す用法がありますが、こちらは述語にかかっています。 この事実から、市長の不正が明らかになった。 次の例はどうでしょうか。 まだ早いから、もう一本飲もう。 酒飲みにはどんなことでも飲む理由になるのでしょうが、「まだ早い」ことは「もう一本飲む」理由には、厳密には、なりません。 まだ早い → 時間がある → 飲める → 飲もう! という論理でしょうか。飲むためには何らかの理由づけが必要で、「時間がある」ことが「飲める」という状況を成り立たせているという判断です。 この「~から」は、形式的には「飲もう」にかかっていると言うしかないでしょうが、その中にある論理を明らかにして学習者に理解させなければなりません。 条件表現の中にも、どこにかかるのか、を考えると面白いものがあります。 新聞を読むなら、ここにありますよ。 「新聞を読む」ことは、「(新聞が)ここにある」ことの「条件」にはならないでしょう。「新聞を読むつもりなら(ここにあるから)読めますよ」ということでしょう。つまり、条件節の事柄を成り立たせるのが、主節で表されている事柄である、という関係になっています。 次の例はまた違います。 このことを別にすれば、計画はだいたいうまく行った。 主節が過去の事柄で、「~ば」が使われていますから、事実に反する仮定としての読み(「もし・・・すれば、うまく行ったのに」)はありえますが、まずふつうに読めば、「このことを別にして考えると、うまく行ったと言える」という意味にとれるでしょう。つまり、意味的には「~すれば」は「行った」にかかっているとは言えません。 次の「~らしく」は、主節が表す事柄の背景となる事情を推測しています。 子どもは私の持っていた虫が欲しいらしく、じっと見つめていた。 外に誰か待たせてあるらしく、話を手短にすませて出ていった。 「欲しい」ことが「見つめる」理由にはなりますが、この「らしい」はどこにかかるのでしょうか。 虫が欲しいから、見つめていた。 ?虫が欲しいらしいから、見つめていた。 むしろ、 虫が欲しいから、見つめていたらしい。 となるところでしょう。もちろん、この「らしい」は「見つめていた」ことを推測するのではなく、理由を推測しています。 以上、対応する副詞句のない連用節を見てきましたが、一つ言えることは、主節とは違ったもう一つの事柄を表しているということでしょう。副詞句とそれに対応する連用節は、単に主節の表す事柄を豊かに表現するための修飾部分です。また、補語の形で表せる原因や目的の表現、例えば「雨」はモノですが、「雨で(電車が遅れた)」というときは、降雨という一つの事象、事柄を表しています。「料理に(使う)」「受験のために」なども同様です。これらは他の補語とは性質が違い、それだけでもう一つの事柄を表す、つまり「節相当」の内容を表しているのです。ここでとりあげた連用節に似ています。 55.1.3 遊離的な節 次に、どこにかかるとも言えない、いわば遊離的な節をとりあげます。 [~か] 一つは、「~か」の形になるものです。 彼女は、風邪を引いているのか、かすれた声で話し始めた。 電車の事故でもあったのか、みな少し遅れてきた。 雨が降り出したのか、ぽつぽつと屋根の音がする。 僕は、夢を見ていたのだろうか、気が付くと電車の中に座っていた。 「~のか」の形で主節の事態の(不確かさを含んだ)事情説明になっています。前に「理由」で扱った「~からか/ためか」に近いものですが、「理由の推測」ではありません。初めの例は「~からか」でも言えそうですが、最後の例は「夢を見ていたからだろうか」とは言えません。 以下の例は不定語・疑問語が使われた例で、「~からか」などでは言えません。主節の事態をもたらした状況について不確かな推測を述べています。 誰か来ているのか、見慣れない靴が玄関にあった。 その子は、どこかで転びでもしたのか、ひざをすりむいていた。 何があったのか、みな興奮した様子だった。 あの写真は、どこへしまったものか、二十年以上見ていない。 彼は、その後どこへ行ったのか、姿を現しませんでした。 彼女は、何が気に入らないのか、怒っているようでした。 そこには、いくらで買ったのか、安物のパソコンが置いてあった。 疑問語の場合、「どこかへ行った」「何かが気に入らない」「いくらかで買った」ということが、主節の事態に対する可能な説明の一つとして提出されています。 以上の例で、「の」を使わず、「か」だけにすることはできません。 × 誰か来ているか、見慣れない靴が玄関にあった。 × 彼女は、何が気に入らないか、怒っているようでした。 次の例では「か」がありませんが、「~だろう」はそもそも不確かさを含んだ表現ですから、上の「~のか」にかなり近い表現です。 子供たちは、いい夢を見ているのでしょう、穏やかな寝顔です。 以下の例は「の」が使われていません。「想起(思い出し)」の「~だった」によって、不確かさを表しています。 小さい頃、どこでだったか、母とはぐれて迷子になったことがある。 彼女と初めて会ったのは、いつのことだったか、雨の降る夜だった。 私が大学を卒業したときだったか、久しぶりに彼が電話をくれた。 [その他] そのほかにも節が現れる位置があります。例えば、連用修飾とは言いがたい次のような例。 こういうことは、成せばなる、何とかなるさ。 この「成せばなる」のところにはもっと長いものを入れることもできます。こういうものは、文の骨組みから遊離したもので、きちんと扱おうとするとやっかいです。この例では、単に挿入されただけではなく、前の「~は」を受けた形になっているので、いっそう扱いに困ります。 [こういうことは、何とかなるさ] に「成せばなる」が挿入されたものと考えられますが、 [こういうことは、成せばなる] で一つのまとまりで、それに「何とかなるさ」をあとから添えたものと考えることもできそうです。 文の途中に成句をはさむ、ということはよくあります。 あの真珠、妹にやったんだけど、豚に真珠、むだだったかな。 次の例では、「~として」とか「~だから」などをおぎなって考えるのがいいようです。 今の僕らにとっては、あの時はあの時のこと、こうせざるを得ない。 以上のような「遊離的」な要素はさまざまなものがありますが、ここまでにしておきます。