天声人语Vol.3 处理旧书
本を手放す
处理旧书
仕事柄、本に埋もれるようにして原稿を書いている。しかし近く社内の引っ越しがあり、書棚が今より小さくなる。本を手放さなければならないが、できれば誰かにもらってほしい。ご自由にお持ち下さいと社内の廊下に並べている。
因为工作的原因,我一直都是在一片书海中写稿。不过近期报社将搬迁,书架比现在缩水了许多。如此一来就不得不处理旧书,当然可以的话我还是希望有人来接手这些旧书。于是,我在公司走廊摆下了书摊,旧书任人自取。
なくなると「おっ、あの本は動いたか」とうれしくなる。一方で最後まで残る本は何だか寂しそうだ。古書店の店主というのはこんな心境だろうか。
当书被人领走后我有种找到好归宿的喜悦。另一方面到最后也没人要的书看起来多少有些寂寞。或许旧书店店主的心情便是如此。
ライターの橋本倫史(ともふみ)さんが書いた『東京の古本屋』に店主たちの様々な声がある。「歌舞伎の見得(みえ)切りじゃないけど、本が見得を切るんだよ」。自分を見てくれと本が訴えてくる。そう感じる店主は、今日はどれを手に取ってもらえるかと常に思い巡らしているのだろう。
作家桥本伦史的著作《东京旧书店》中记录了旧书店店主们的各种心声。“虽然不似歌舞伎登场般华丽,但书也是有着自己的展示方式的。”有店主觉得,书会散发出魅力让人来阅读自己。我想,或许他经常会陷入幻想,今天将有哪本书会被顾客拿走呢。
本を触っているだけで楽しい、という店主もいる。畑に親しむ人が「土を触っているとすっきりする」と言うのと同じだと。自分の本を預けたくなるような店がある。
也有店主说,自己光摸到书就觉得高兴。他说,这种心情与农民“碰到土地就畅快”的感受相似。还有的旧书店富有温情,让顾客自然有种托付旧书的冲动。
昨年の春に亡くなったジャーナリスト立花隆さんの本の話が、少し前の共同通信の記事にあった。膨大な蔵書で知られる人だが、その5万冊が本人の遺志により古書店に譲渡されたという。自分の名を冠した「文庫や記念館などの設立は絶対にしてほしくない」と周囲に語っていたそうだ。読みたい人の手に渡るのが一番と考えていたのだろう。
不久前,共同通信社发布了一篇文章,讲述了去年春天去世的记者立花隆的藏书轶事。立华隆以庞大的藏书量而闻名,根据他本人的遗愿,他的5万本藏书最后转让给了旧书店。他曾对周围人说,绝不希望有人设立以他名字为名的书库或是纪念馆。也许他觉得,将书交给想要读的人手中才是最好的归宿。
古書店で多くの本を買った立花さんには、自然な選択だったか。お金だけでなく、本も天下の回り物。誰かが読んでくれるありがたさを思いつつ、親しんだ本とお別れする。
对于从旧书店购入众多图书的立华来说这是非常自然的选择。不止金钱,其实书也是在世界中不断流转的。我一边幻想着别人阅读我的书给我带来的喜悦,一边与陪伴自己的爱书作最后的告别。