下関国際、草をむしり芽吹いた雑草魂 「厳しさばかり」見直した監督
とても野球ができる環境ではなかった。
グラウンドには草が生え、部室は落書きだらけだった。バットやボールなどの道具も十分にそろっていなかった。
部員は11人。
2005年8月。坂原秀尚監督(45)が就任した当初の下関国際は、そんな野球部だった。

「すごいところに来たと、驚いた」
不祥事のため監督はおらず、校長自らが指導をしていた。
草むしりと石拾いからチームづくりは始まった。
やめようとする部員がいれば、朝、家まで起こしにいき、車で連れてきた。練習に姿を現した部員が1人だけの日もあった。
練習試合を含めて就任後の初勝利を挙げるのに、3年かかった。
中学時代に野球で実績があるような選手は集まってこない。
学校近くのアパート2棟を借りて、2人一部屋で住まわせた。隣のアパートに家族で住んだ。
坂原監督は社会人野球の出身。練習法や作戦の引き出しは豊富だった。
「できないままでその日の練習を終えない。できるようになるまで」。じっくりと時間をかけた練習で自信をつけさせ、少しずつ成長させていった。
2017年、山口大会を制し、春夏通じて初めて甲子園の土を踏んだ。
初戦の2回戦で三本松(香川)に4―9で敗れた後、山口県の野球関係者に頼んだ。
「日本一の監督を紹介してほしい」
2度の全国制覇を経験している日大三(西東京)の小倉全由(まさよし)監督(65)を紹介された。
翌18年1月。東京都町田市にある日大三グラウンドを訪ねた。
「どうしたら強いチームをつくれるのか教えてほしい、と。熱くてパワーのある監督さんだなと思った」
小倉監督はそう振り返る。
小倉監督は日大三を指導する前、「やんちゃな子が多かった」という関東第一(東東京)も強豪に育てた。
そんな経験を踏まえ、「技術面より気持ちの部分の大切さ」を熱心な年下の監督に説いたという。
その夏の第100回全国選手権大会。2年連続の出場を果たした下関国際は準々決勝まで勝ち進み、日大三と対戦した。
終盤に逆転され、敗れたが、小倉監督は下関国際のチーム力の高さに驚かされたという。
20年、普通科に「アスリートコース」ができた。いまの3年生部員29人はその1期生にあたる。寮も整備され、坂原監督は一緒に住む。
今春の選抜につながる昨秋の中国大会準々決勝で広陵(広島)に0-3で敗れた。
「このままではいけない」
期待していた代だけに、何かを変える必要性を感じた。
厳しさばかりの練習を見直した。
午前5時からの早朝練習をやめて、起床を午前7時にした。消灯は午後11時。8時間の睡眠を確保するようにした。
遊撃手兼投手の仲井慎は「睡眠時間が長くなったことで、体重が増えて、球速も速くなりました」。
生活時間に余裕ができたことで、選手たちだけでミーティングを開くようになり、互いの会話も増えたという。
それが一体感につながった。
今大会、打者はバットを短く持ち、どんな球にも食らいついた。本塁打こそゼロだが、野手の間に打球を転がし、野手のいないところに打球を落とした。
アウトになった打者は、すぐに次打者席やベンチにいる仲間に、相手投手の特徴や球筋などを伝えた。
束になり、大阪桐蔭の前田悠伍や近江(滋賀)の山田陽翔ら好投手から点を奪い、勝ち上がってきた。
いまもなお、全国区の強豪校のように、「野球エリート」が集まってくるわけではない。
準々決勝で大阪桐蔭を破った後、エース左腕の古賀康誠は言った。
「実力的には大阪桐蔭がずっと上だけど、自分たちも練習をやってきた」
坂原監督が理想とするのは、雑草のような強さ。
「抜いても、抜いても生えてくる。そういったしつこさを大切に」
グラウンドの草むしりから17年。頂点には一歩、届かなかったが、下関国際は強かった。(山口裕起)