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【熟肉渣翻】「山根綺のほんとのところ。」#7 家族のこと

2023-07-30 22:02 作者:山根绮  | 我要投稿

【前言】大家好,首先请让我道歉,鸽这么久请原谅我我什么都会做的(土下座)。时隔二十天,这次带来的是第七篇,ややさん和她的家人的故事。在上周的我儘なまま中我向ややさん的礼物箱中放入了我手写的感想信,其中主要的感想便来源于这一篇。在读罢此文后,或许各位也不难发现ややさん能有今天的成就是与这个充满温暖的家庭密不可分的。同时本文也是23篇随笔中篇幅最长的一篇,由此也得以可见家人在ややさん心中的地位之重。


我做了一个梦。

梦见与家人出门购物时我和母亲两人在一个似乎是百元店的地方逛着的梦。

或许是因为久违地能和我说上话,

母亲显得比以往更加高兴。

 

 

结账时,母亲被店员这么称赞道:

“您的美甲真可爱啊”

“谢谢”

母亲开心地回道,

并似乎是在对待无价之宝一样

抚摸着前段时间我给她应该是我给她涂的华艳的指甲油。

仔细一看右手的已经几乎全剥落下来了,

而乍一看似乎很好看的左手部分

也仿佛是一触即落一般勉强沾在指甲上。

我对她说明明直接取下来就行了,像这样的什么时候都可以给她涂。

母亲只说了:“不用了,这样就可以了。”

 

 

走出店门,母亲一边愉快地走着一边问了我一连串问题。

“昨天做了什么工作啊?”

“工作还忙吗?”

“偶尔也回回家吧。”

我看向母亲那竭力掩饰自己内心的寂寞的笑容的那一瞬间,

我醒了过来。

因为我已经很多年都没有在哭泣中从床上一跃而起过了,

所以我想着一定是象征着什么的时机。

这一次,关于我的家人,我想说一些什么。

 

 

我的母亲从事医疗工作。

毕业于医学院的母亲是一名理性的现实主义者。

有着良好的头脑,连长大成人之后大多数人都忘掉的数学、理科的学习也信手拈来。

 

 

并且是一个从以前开始就不曾向自己的孩子示弱或者说丧气话,

强韧而又阳刚的人。

虽说现在她是最支持我的这份工作的人,我也与她无话不谈,

但在大约三年前,

我几乎不曾与她聊过家常。

母亲对我的学习成绩严格要求,想让我去上大学。

更不用说演艺圈,可以说是十分反对。

18岁时,我不顾她的意向,

生来第一次走上了叛逆的道路。

没有脸见母亲的我

怀着让母亲伤心的同时还得到学费资助的抱歉的心情,

渐渐开始不再回家,

就这样逃也似地离家了。

 

 

不在东京混出个人样我是没有脸见她的。

这么想着,我发现我与母亲之间的距离也在不断拉远。

然而,拼尽全力的我却忘记了

那个不论多忙都回来参加校园开放日的母亲;

那个往运动会的便当里放满了我和姐姐爱吃的东西的母亲;

那个来看轻音部的演出与大专的毕业公演的母亲;

那个总是打来电话担心我有没有好好吃饭的母亲;

那个用小小的身躯竭尽全力抚养两个孩子的母亲。

 

 

虽然绕了许多弯路

但我还是在长大成人之后,才意识到

在这严苛的背后,蕴藏着许多的爱与温柔。

 

 

我的父亲是公务员,兴趣是高尔夫。有着相当的水平。

从以前开始就会参加当地的大赛并拿奖品回来。

即便是现在,他也是一个有时趁我在家时邀请我去挥杆练习场,

有时跟我说:“今天休息?温泉走起!”

的令人暖心的父亲。

 

 

尽管我从以前开始就不曾对他倾诉我的烦恼,

大专一年级结束时,

我开始想要向影像类的演技方向发展

在是否向这一方向升学的问题上,我第一次征求了父亲的意见。

下班回家的父亲把我叫到家中的客厅

跳入我眼帘的是一沓沓现金。

“这里有120万日元的现金(按当时汇率约折合67800人民币)

是爸爸妈妈每天辛苦工作赚来的钱。

这些钱就给你,你自己来考虑如何支配

如果你要报名学校的话我就开车送你去银行,自己汇款。”

父亲这么说道。

 

 

我亲手把一年份的学费120万日元汇了出去。

我想,我一辈子都不会忘记

将那叠钞票拿在手中时的那份与其质量不相匹配的沉甸甸的重量。

 

 

某一天,

在察觉到我对他一大早就开车把我送到车站似乎感到不好意思时,

父亲这么说道:“正是因为不求回报才是爱啊

在向某人寻求回报时那就已经不能被称之为爱了

老爸我啊,不管是对姐姐还是对小不点(我的小名)

没想过索求什么回报。这就是父母之爱哟。”

 

 

留下这么一句话之后,

他目送我踏上前往东京的旅途。

 

 

姐姐比我大一岁,

是给予我踏入声优这一世界的契机的人。

姐姐喜欢动画、游戏,也最喜欢声优,

我之所以开始看动画也是受到了姐姐的影响。

尽管姐姐最喜欢我(注意措辞)

但以前我是一个粘着姐姐不放,

就像斑嘴鸭一样的孩子。(这下鸭鸭了)

相对的我们也是会因为争抢中元节的秘之缎带就大吵一架。

尽管以前每天从不间断地吵架(真的迷)

但现在我感觉我们是可以在伤心时互相依靠,

也建立起了良好的信任关系。

 

 

并且姐姐从以前开始就十分重视家庭成员间的羁绊。

她会在家人分散各地时提议四人一齐打视频电话;

也会买来VR游戏让大家一起来玩;

她还是在家庭LINE群中比谁都更活跃的积极分子。

我想及时阻止我建立屏障与家人保持距离的同时把我拉回家庭的,

也毫无疑问是姐姐。

 

 

我即便无法成为巨星,

或者是一无所有,

只要能幸福地活着,这样就够了。

这是我的家人们的唯一愿望。

 

 

在分离之时,

有许多只有在分离时才能体会到的东西。

从今往后我要是能好好地报恩就好啦。

我决定偶尔也回老家一趟。

 

 

带着母亲最喜欢的玫瑰花束,

而不是由于工作原因而不能做的美甲。

 

 

夢を見ました。

家族で買い物に来ていて、

母と二人で100円ショップのようなところを回っている夢。

母は私と久々に会って話せたからか、

いつもよりどこか楽しそうにしていました。

 

 

お会計の時、レジの店員さんに

「ネイル、可愛いですね」と褒められると

「ありがとうございます」と嬉しそうに返し、

私がしばらく前に塗ってあげたであろう華やかなマニキュアを

大切に大切に撫でていました。

よく見ると右手はもうほとんど剥がれてしまっていて

一見綺麗そうに見えた左手も

少し触ったら取れてしまうくらい、ギリギリでついていました。

もう取っちゃえばいいのに、そんなのいつでも塗ってあげるよと言うと、

「ううん、これがいいの」って言うんです。

 

 

お店を出ると、楽しそうに歩きながらたくさん質問をしてくれました。

「昨日は何のお仕事だったの」

「仕事は忙しいの?」

「たまには、帰ってね」

母の、寂しさを精一杯隠した笑顔を見た瞬間、

目が覚めました。

泣きながら飛び起きるなんてもう何年も無かったので、

きっと何かのタイミングなのだと思います。

今回は、私の家族について。

 

 

私の母は医療関係者です。

大学時代に医学部を卒業した母は、現実主義でとても理性的。

頭が良く、数学や科学、

大人になったらほとんどの人が忘れてしまうような勉強も

お手の物です。

 

 

そして昔から子供達に弱いところを見せず弱音も吐かない、

強く、凛々しい人でした。

今でこそ、何でも話せるほど仲が良く、

この仕事のことを一番に応援してくれているのですが

3年くらい前までは、

他愛もない会話をしたことはほとんどありませんでした。

勉強や成績に厳しく、大学に行って欲しかった母。

ましてや芸能界なんて大反対でした。

18歳の時、その意向を押し切り

私は初めて真逆の道を歩き始めました。

母を悲しませてしまった気持ちと

学費を援助してもらった申し訳なさで

顔を合わせるのが気まずくなった私は、

次第に家にも帰らなくなり、

そのまま逃げるように家を出ました。

 

 

東京で1人で立てるようになければ、合わせる顔が無い。

母との距離もどんどん開いていきました。

けれど、必死だった私は忘れていたんです。

どんなに忙しくても、授業参観は必ず来てくれたこと

運動会のお弁当は、姉と私の好きなものばかりが入っていたこと

軽音のライブや専門の卒業公演を見に来てくれたこと

私がちゃんと食べているのか、いつも心配して連絡してくれたこと

小さな身体で2人の子供を精一杯育てようと、一生懸命だったこと。

 

 

たくさん遠回りしてしまったけど

厳しさの中にたくさんの愛と優しさがあったことを

こんなに大人になってから、気付きました。

 

 

父は公務員で、趣味はゴルフ。なかなかの腕前です。

昔から地域の大会に行ってはよく賞品を持って帰ってきました。

今でも、実家にいるときは打ちっぱなしの練習場に誘ってくれたり

「今日休み?温泉行くぞ!」と声を掛けてくれるような、

あたたかい父です。

 

 

昔からあまり悩みを打ち明けたことが無かったのですが、

専門学校一年生の終わり際、

映像のお芝居へ進みたい気持ちが生まれ

進級するかどうかを悩んだ結果、初めて父に相談をしました。

仕事から帰った父は私をリビングへ呼び出すと

目の前にドカっと現金を置き

「ここに120万ある。

パパさんママさんが毎日一生懸命働いて稼いだお金だ。

これをお前にやるから、自分で使い道を考えなさい。

もし学校に通うなら銀行まで車で送るから、自分で振り込みなさい。」

と言いました。

 

 

私は、一年分の学費120万円を自分の手で振り込みました。

手に持った時の、あの質量だけではないずんとした重みは

きっと一生忘れないと思います。

 

 

ある日には、

私は早朝に駅まで車で送ってもらうのを

申し訳なさそうにしていると

「見返りを求めないのが愛だよ。

誰かに見返りを求めているうちは、愛じゃない。

パパさんは、お姉ちゃんにもチビたん(と呼ばれています)にも、

何も返してほしいと思わない。それが愛情だよ。」

 

 

そんなかっこいい言葉を残して、

東京へ旅立つ私を見送ってくれました。

 

 

姉は年齢が一つ上で、

私がこの世界に踏み込むきっかけをくれた人です。

アニメやゲーム、声優さん大好きで、

私がアニメを見るようになったのも姉の影響でした。

姉は私のことが大好きのですが(言い方)

昔は私の方が、姉にずっとくっ付いて離れない、

カルガモのような子供でした。

その割にはお中元の謎のリボンを取りあって大喧嘩するくらい

毎日喧嘩が絶えませんでしたが(本当に謎)

今では、お互いが辛い時に支え合える、

良い信頼関係が作られてきたような気がします。

 

 

そして姉は、昔から家族の繋がりをとても大切にしていました。

家族が離れている時、4人でビデオ通話をしようと提案してくれたり

VRのゲームを買って、みんなでやろうと言ってくれたり

誰よりも家族のLINEグループを動かしてくれたり。

家族と距離や壁を作っていた私を繋ぎ止めてくれたのは、

間違いなく姉だったと思います。

 

 

私がスターになれなくても

何にも持っていなくても

ただ幸せに生きていてくれたら、それで良い。

それだけが、家族の願いでした。

 

 

離れていても、離れているからこそ

分かったことがたくさんありました。

これからちゃんと恩返しできたらいいな。

たまには、実家に帰ることにしよう。

 

 

仕事で塗れないマニキュアの代わりに

母の大好きな、バラの花束を持って。


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