日本小5课文:守卫百年后的故乡【久我Masahi的日语课堂】#66

百年後の故郷を守る(守卫百年后的故乡)
作者:河田 惠昭(かわた よしあき)
皆さんへ(致各位)
次のページから始まる、「百年後の故郷を守る」は、江戸時代、大地震からの復興に携わった人物について書いた伝記です。(从下一页开始的《守卫百年后的故乡》是关于江户时代参与大地震后复兴的人物的传记。)
本作品は、この人物の伝記であるものの、そこで描かれる津波については科学的な記述も加え、その知識を得た読者が将来、津波の犠牲にならないことも大きな目的としました。本作品を学んだ皆さんが、災害によって命を失わないことを、願ってやみません。(本文虽是此人的传记,但对于所写的海啸加上科学性的记述,让从中获得知识的读者将来不要牺牲于海啸也是很大的目的。希望学习本文的各位不要失命于灾害。)
河田 惠昭
1
「これは、ただ事でない。」と呟きながら、五兵衛(ごへえ)は家から出てきた。今の地震は、別に激しいと言う程のものではなかった。しかし、長いゆったりとした揺れ方と、唸る様な地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。(“大事不妙。”五兵卫嘟哝着,从屋内出来。目前的地震虽说不上强烈。然而慢悠悠的晃动以及轰鸣般的地声,令年老的五兵卫感到从未有过的不快。)
五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では、豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向気が付かないもののようである。(五兵卫在自家的院子里,担心地俯视着下面的村子。村民着迷于庆祝丰年的前夕庙会准备,似乎完全没有注意到方才的地震。)
村から海へ移した五兵衛の目は、忽ちそこに吸い付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。(五兵卫的目光从村子移到了海上,马上便被海面吸住了视线。浪涛与风相反地朝海面打去,转眼间,海岸就露出了宽阔的沙滩和黑色的岩底。)
「大変だ。津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら、四百の命が、村諸(もろ)共一呑みにやられてしまう。もう一刻も猶予は出来ない。(“大事不好了。一定是海啸要来了。”五兵卫想道,就这样放任不管的话,四百条命和整个村子将要被一口吞噬。已经刻不容缓了。)
「よし。」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには、取り入れるばかりになっている沢山の稲束(いなたば)が積んである。(“好。”五兵卫叫着冲进了屋子,然后拿着大火把飞奔出来。那里堆放着刚收割下来的众多的稻捆。)
「勿体無いが、これで村中の命が救えるのだ。」と、五兵衛は、いきなりその稲叢(いなむら)の一つに火を移した。風に煽られて、火の手がぱっと上がった。一つまた一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田の全ての稲叢に火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。(“虽然很浪费,但是这可以救下整村的命。”五兵卫突然点燃了其中的一个稻堆。被风吹动,火势一下子变大了。五兵卫忘我地跑着,点燃了一个又一个稻堆。就这样,把自己田里所有的稻堆都点上火后,扔下了火把。仿佛神志不清一样,他呆立在原地,眺望着海面。)
これは、一九三七年(昭和十二年)から約十年間、小学校の教科書に載っていた「稲むらの火」の始まりの部分である。この後、物語は、燃え上がる稲叢の火に驚いた人々が、高台にある五兵衛の家に集まり、津波の難を逃れると言う結末に続いていく。(这是1937年(昭和12年)迄今约十年间,登载在小学教科书上的《稻堆之火》的开头部分。这故事之后,惊讶于稻堆燃起火的人们,到处在高地的五兵卫的家集中起来,最终逃过了海啸之难。)
五兵衛の優れた決断と行動は、読み手の心に大きな感動を呼び起こしたが、同時に、津波の怖さや、素早く高い所へ逃げることの必要性を教えることにもなった。(五兵卫优秀的決断与行动,使读者深受感动,然而同时,也告诉了读者海啸的恐怖之处以及要快速逃往高处的必要性。)
2
実は、この物語に登場する五兵衛には、現実のモデルがいる。浜口儀兵衛(はまぐちぎへえ)と言う人物である。(其实在这则故事中登场的五兵卫有现实的原型,名为浜口义兵卫。)
浜口儀兵衛は、一八二〇年、江戸時代の終わりに近い頃、紀州藩広村(きしゅうはんひろむら)(今の和歌山県広川町)に生まれた。当時の広村は、人口千三百人余り、農民や漁民が暮らす静かな村であった。儀兵衛の家は、江戸と銚子(ちょうし)(今の東京都と千葉県銚子市)で大きな醤油屋を営んでいた。そのため、長閑な海辺の村ではあったが、江戸の活気を十分に浴びて、儀兵衛は、よく遊びよく学ぶ子供時代を過ごす。成人した儀兵衛は、家業を手伝うようになる。やがて店主となり、その後も、毎年半分を関東で、半分を故郷の広村で過ごす生活をしていた。(浜口义兵卫于1820年,江户时代快要结束的时候,出生在纪州藩广村(如今的和歌山县广川町)。当时广村的人口有一千三百多人,是个农民和渔民平静生活的村子。义兵卫的家在江户和铫子(如今的东京都和千叶县铫子市)经营着大酱油店。因此,虽是悠闲的临海村,义兵卫也充分接受着江户的活力,度过了劳逸结合的孩提时代。成年后的义兵卫帮忙打理家业,不久,当上了店主,这之后也过着半年在关东,半年在故乡广村的生活。)

三十四歳になった儀兵衛が、ちょうど広村にいた時のことである。安政(あんせい)元年(一八五四年)十一月五日、夕方四時頃、マグニチュード八.四の大地震が発生した。震源地は和歌山県潮岬(しおのみさき)の沖合い。広村は、震度六強の揺れに襲われた。(34岁的义兵卫正好在广村的时候。安政元年(1854年)11月5日,傍晚4点左右,发生了震级8.4的大地震。震源地在和歌山县潮岬的海边。广村遭到了六级震度的地震。)
この地震について、当時の人が書き残したものがある。広川町養源寺(ようげんじ)に伝わる「安政聞録(もんろく)」である。その中には、地震の様子が詳しく書かれ、続いて、村を何度も襲った大津波の様子が記されている。「安政聞録」の筆者は、この時の儀兵衛の行動を、次のように書いている。(关于这次地震,有遗留下当时的人所写的记载——广川町养源寺所流传的《安政闻录》。其中详细描写了地震的样子,接着,记载了数次席卷村子的大海啸的样子。《安政闻录》的笔者将此时义兵卫的行动如此写道:)
「村中を巡回し、人々を逃がし、二番波にも恐れず、寄せ来る波を東西南北へ避け免れ、尚も遅れ走る人々に過ち有らんことを恐れ、見回り候ところ、黄昏に及び、道分明ならず、これによりて、知略を発し、野にあり合わせし積みし藁へ火を放ち、多くの人々を助けしなり。」(“义兵卫在整个村中巡回,让人们逃跑,不畏惧第二波海啸,往四方避开袭来的海浪,害怕还在晚逃的人们负伤,巡视的时候到了黄昏,看不清道路,因此开动智慧,往田野中堆放着的稻草堆上放火,救助了众多的人们。”)
儀兵衛は、積み藁に火を付けることで、薄暗がりで逃げ道を見つけられずにいた村人達に方向を指し示し、その命を救った。ここに描かれた儀兵衛の知恵と決断力が、「稲むらの火」の主人公五兵衛のモデルとなったのである。(义兵卫在稻草堆上放火,给微暗下找不到逃路的村民们指示了方向,救下了他们的性命。此处描写的义兵卫的智慧与决断力,成为了《稻堆之火》的主人公五兵卫的原型。)
しかし、浜口儀兵衛の本当の物語は、実は、この後始まる。(然而,浜口义兵卫真正的故事其实在这之后开始。)

3
大地震の後、田畑には海水に運ばれた材木などが散らばり、家屋の殆どが倒されるか、五、六波続いた津波で押し流されるかしていた。その上、大きな余震が度々起こった。打ちひしがれた人々を見て、儀兵衛は紀州藩に手紙を出し、援助を求めることにした。ところが、幾日待っても返事が来ない。村人の中には、希望を失い、村を捨てようとする者まで現れ始めた。(大地震之后,田地上散乱着海水冲来的木材等物,大部分房屋要么倒了,要么被持续了五、六波的海啸冲走了。并且,时不时地发生大余震。看着深受打击的人们,义兵卫给纪州藩写信,寻求援助。然而,等待了数日也没有回信。村民当中甚至开始出现了失去希望,准备抛弃村子的人。)
「このままでは、村が潰れる。」そう思った儀兵衛は、住む家も、食べるものも、着るものもない村人の為に、自分のお金を出して、米を買い、衣服を買い、仮小屋を建てた。それでも、村人の流出は止まらない。何しろ、漁船は津波で流されたり壊されたり使えず、田畑も塩分が入ってすぐには作付けが出来ないのである。このまま何もしなければ生きていけないのは、誰の目にも明らかだった。「どうすれば、村人達に希望と気力を取り戻してもらえるのか。どうすれば、村人達は村に留まってくれるのか。」(“再这样下去的话,村子就要毁了。”如此考虑的义兵卫为了无家住、无食吃、无衣穿的村民,掏出了自己的钱,买米买衣服,搭建临时小屋。然而,还是无法阻止村民的外流。毕竟,渔船被海啸冲走毁坏无法使用,田地也进了盐分,无法耕种。谁都清楚就这样什么都不做的话无法生存。“要怎么才能让村民们找回希望鼓起勇气呢?要怎么才能把村民们留在村子呢?”)
考えに考えた儀兵衛は、一つの計画を思い付く。村人自らの手で堤防を造ることを紀州藩に願い出ようというのである。材料費も、人々の賃金も、全部自分と店が出そうと決めた。藩から許しが出た。(义兵卫考虑着考虑着,想到了一个计划。他准备向纪州藩提出由村民自己建造堤坝的申请。材料费和人们的报酬全部都由自己和店来出。藩批准了。)
儀兵衛は、村人に向かって熱心に語りかけた。「五十年後、いや、百年後に大津波が来ても、村を守れる大堤防を造ろう。工事には、出来るだけ多くの村人に参加してもらう。賃金は、毎日手に出来るようにする。自分達の手で、子孫達まで安心して暮らせる村をつくるんだ。」(义兵卫向村民们热心地诉说道:“来建造五十年后,不,一百年后就算大海啸来了也能守卫村子的大堤坝吧。能来参加工程的村民越多越好。每天都能拿到当天的报酬。用自己的手来建造子孙们也能安心生活的村子吧。”)
儀兵衛の熱意は、外を向こうとしていた村人達の足を止めた。そして、賃金を得られる仕事があり、それが村の為になるという案は、村人達を振り返らせた。殆どの村人が、堤防造りに参加することを決めた。(义兵卫的热情拖住了准备离开村子的村民们。并且,还有能拿到报酬的工作,这工作又是为了村子,这个计划让村民们回来了。大部分的村民决定参加堤坝建造。)
安政二年(一八五五年)二月、儀兵衛と村人達は工事に着手した。儀兵衛が設計した堤防は、全長九百メートル、高さ四·五メートルという大掛かりなものだった。九百メートルという長さは、海に流れ込む二つの川の間の距離である。高さは、押し寄せた最大の津波の高さに合わせたという。そして、流れの速い津波に持ち去られないように、土台を石垣積みで守り、その上に盛り土をするというものだ。毎日四、五百人の村人が仕事に励む。子供も含めて、誰もが自分の力に合わせて出来るだけのことをした。村は活気に溢れ、出て行く人もいなくなった。儀兵衛の故郷を思う気持ちが人々を動かし、またしても救ったのである。(安政2年(1855年)2月,义兵卫和村民们开始了工程。义兵卫设计的堤坝是全长900M,高4.5M的大规模工程。900M的长度是海水流入两条川的间距。高与冲来的最大海啸的高度保持一致。并且,为了不被快速冲来的海啸冲走,用石墙来守卫地基,还在上面堆土。每天有四、五百个村民辛勤工作,其中也包括了孩子,谁都协力起来做了自己能做的事。村子充满活力,也不再有人外出了。义兵卫为故乡着想的心打动了人们,也拯救了人们。)

ところが、安政二年十月、今度は江戸を大地震が襲った。連絡を受けて、立て直しの為に江戸に着いた儀兵衛に、番頭が切り出した。「このままでは、再開するどころか店が潰れます。どうか、堤防建設にお金を出すことを中止してください。」(然而,安政2年10月,这次江户发生了大地震。掌柜对收到联络后,为了重订计划而来到江户的义兵卫说道:“再这样下去的话,别说是再开了,店要倒了。请中止给堤坝建设提供资金。”)
儀兵衛は決断を迫られたが、その心は、なかなか決まらなかった。(义兵卫被迫作出决断,然而迟迟没有作出决定。)
そのうちに、江戸の店は再建の目処が立たず、遂に閉じることになる。残るは銚子の店だけになってしまった。事業を守るため、銚子の店で必死に働く儀兵衛のもとに、ある日、広村からの手紙が届く。儀兵衛を気遣いながら、信じて待つという内容のものだった。「なんとしても、堤防を完成させる。」儀兵衛が最後に下した決断であった。(不久,再建江户的店没有眉目,终于闭店了。只剩下铫子的店了。为了守住事业,义兵卫在铫子的店拼命工作,某日,他收到了来自广村寄来的信。信里写道了担心义兵卫,并相信等待他。义兵卫最后下定决心:“无论如何,都要完成堤坝建设。”)
銚子の店に新たな気運が生まれていった。村と村人を思う儀兵衛の固い決意に、働く者達が動かされたのである。特に、広村出身の者達は、故郷の為に身を粉にして働いた。その勢いに、店中が一丸となった。この年、店は創業以来最高の生産高を上げた。(铫子的店迎来了新的气运。为村子、村民考虑的义兵卫的坚定决意打动了劳动者们。特别是广村出身的人们,为了故乡拼命劳动。凭借这势头,整个店成为了一个整体。是年,店达到了创业以来最高的产量。)
そして二年、暫くぶりに、儀兵衛は広村に戻った。村人達は、儀兵衛がいない間も、弛まず堤防工事を進めていた。儀兵衛がそこに見たのは、自らの手で村を再興しようとしている村人達の姿であった。儀兵衛は最後の仕上げに取り掛かった。松の木を堤防に沿って植えるように指示した。その数、数千本。松が根を張ることで、津波や長年の風雨にもびくともしない、強固な堤防にしようとしたのである。松林の効用はそれだけではない。たとえ堤防を超える津波が来ても、松林は津波の勢いを弱くする。また、流された人が林で止められ、助かることもある。これだけ大きな石垣形式の盛り土堤防は、世界でも初めてのものであった。(然后时隔两年,义兵卫回到了广村。村民们在义兵卫不在的时候也不断进展着堤坝工程。义兵卫在那里目睹了用自己的手复兴村子的村民们的身影。义兵卫着手起最后的完工阶段。指示村民沿着堤坝种植数千棵松树。松树的树根伸展,在海啸和长年的风雨下也纹丝不动,可使堤坝坚固。松林的作用不只是加强堤坝牢固。就算海啸超出了堤坝,松林可以削弱海啸的势头。并且,能够让被冲走的人停在林间,得到救助。如此大的石墙堆土堤坝,在世界上也是第一个。)
約四年に渡る工事は終わった。全長は予定より少し短くなったが、約六百メートルの広村堤防の完成である。(约四年的工程结束了。虽然全长比预定短了一点,约600M的广村堤坝完成了。)
その後、儀兵衛は、傾きかけた家業を盛り返すことに力を集中する。その仕事も立派に果たして、一八八五年(明治十八年)、その一生を終えた。六十五歳であった。(这之后,义兵卫致力于重振衰落的家业。这项工作也完美地完成后,义兵卫于1885年(明治18年)结束了一生。享年65岁。)
4
堤防完成から八十八年後の一九四六年(昭和二十一年)、再び和歌山沖でマグニチュード八·〇の大地震が発生した。この時、広村には、高さ四メートルの津波が押し寄せた。ところが、安政の大地震では、村の中心集落の全てが浸水したのに対して、この昭和の地震では、堤防によって村の大部分が浸水の害を受けることはなかった。「百年後に大津波が来ても村を守れる堤防を」と言う儀兵衛の切なる願いは、この時、実を結んだのである。(堤坝完成的88年后的1946年(昭和21年),和歌山海面再次发生了震级8.0的大地震。这时,高4M的海啸涌向广村。然而,相比安政大地震全村浸水,这次的昭和地震,因为堤坝,村子大部分并未遭受浸水之灾。“建造就算百年后大海啸来了也能守卫村子的堤坝”义兵卫所说的悲痛的愿望在这一时候实现了。)
儀兵衛は、設計や土木工事の専門家ではない。そんな儀兵衛が、百年後にも役立つ堤防を造ったことは、まさに、驚くべきことであり、偉大な功績である。そのうえ、災害後の対応と防災という観点から見ても、儀兵衛の堤防造りには大きな意義が含まれている。その一つは、物質的な援助だけでなく、防災事業と住民の生活援助を合わせて行ったことである。また、住民同士が、互いに助け合いながら、自分達が住む所を守るのだという意識を持つように促したことも大きい。他のものに頼るのではない、自助の意識と共助の意識である。(义兵卫不是设计和土木工程的专家。这样的义兵卫建造出了百年后也能派上用场的堤坝,确实是令人震惊的伟大功绩。并且,从灾害后的对应与防灾的观点来看,义兵卫的堤坝建造也包含着巨大的意义。首先不只是物质的援助,还要进行防灾以及对居民们的生活援助。此外,促使居民们互帮互助,持有守卫自己的住处的意识也意义巨大。不要依靠他人,而是要有自助与互助的意识。)
歴史的に見て、津波による災害が繰り返し起こっている地域は、他にもある。その一つが、東日本大震災が起こった、東北地方の三陸(さんりく)沿岸だ。二〇一一年(平成二十三年)三月十一日午後三時前に大地震が起こり、一分以上続く強い揺れが、沿岸各地を襲った。その後やって来た津波は想像を超えていたため、堤防では守ることが出来ず、犠牲になった人も多くいた。(翻看历史,还有其它反复发生海啸灾害的地域。其中一个是发生了东日本大地震的东北地方的三陆沿岸。2011年(平成23年)3月11日午后3点前发生了大地震,沿岸各地都产生了一分钟以上的强烈摇晃。这之后袭来的海啸超乎想象,因此堤坝没能防住,众多的人牺牲了。)
しかし、津波のことを学び、避難訓練を繰り返していた児童や生徒、そして住民は、直ぐに避難した。その途中、幼児や高齢者の避難を助けながら、まだ避難していなかった人達にも声をかけたことで、多くの人が助かった。ここでも、儀兵衛の行動にも見られた自助と共助の意識がとても役立ったのだ。その後始まった被災地の町造りにおいては、二度と津波によって被災しないことを目標として、復興が続けられている。そこでは、自助と共助だけでなく、政府や自治体による公助も加わり、協同作業が進められている。(然而,学习海啸的知识,反复进行避难训练的儿童、学生以及居民立刻避难了。途中,一边帮助幼儿和高龄者避难,一边让还没避难的人们避难,很多人得救了。义兵卫行动的自助与互助意识在这里也非常有用。这之后开始的灾区重建,以不再受到海啸的灾害为目标,持续进行着复兴。不只是自助与互助,还加上了政府和自治团体的公助,推进着协同作业。)
地震の多いこの国に生きる私達は、百年後の故郷を守る為に浜口儀兵衛が行ったことから、多くのことを学ぶことが出来る。また、学ばなければならないだろう。広川町では、毎年十一月に、津波祭を開催している。子供達は、儀兵衛によって造られた堤防に一握りの砂を置く。故郷が生んだ偉人への感謝の気持ちと、故郷の安全を願いながら。(在这个地震多发国生活着的我们,从为了守护百年后的故乡的浜口义兵卫的所作所为中,可以学到很多东西。并且,不得不学吧。在广川町,每年11月,举办海啸祭。孩子们在义兵卫建造的堤坝上放上一把沙,对故乡的伟人表示感谢,以及祈祷故乡的安全。)


词汇
携わる(たずさわる):参与、参加;从事;有关系
ゆったり:宽松、宽敞;舒畅、舒适;悠闲
老いる(おいる):年老、衰老、上年纪
宵祭り(よいまつり):节日前夕举行的小型庙会
松明(たいまつ):多油脂可燃烧照明的松明、火把、火炬
長閑(のどか):悠闲、宁静;晴朗、舒适
散らばる(ちらばる):分散、分布;散乱、零乱
押し流す(おしながす):冲走、冲跑、冲垮、冲刷;(感情等)冲击
打ちひしがれる:受到强大的打击导致的失落
願い出る(ねがいでる):(提出)申请、请求、呈请
身を粉にする(みをこにする):粉身碎骨、不辞劳苦、拼命
一丸(いちがん):一团、一个整体、集中在一起
生産高(せいさんだか):产量、产值

作业
1.读课文
2.思考课文相关内容:
