【笹川杯作文范文】日本との出会い(中日对照版)



日本との出会い
李翌寧
佳禾外語培训学校
笹川杯作文コンクール 2013年度優勝賞
私は2010年に幸運的に日本の広島県にある大学に短期留学したことがある。短い留学生活を過ごしていたが、たくさんの暖かい思い出があり、今でもその時のことが映画のように自分の頭の中で浮かんでいる。
2010年,我有幸来到日本广岛县的一所大学进行了短期留学。留学生活虽然短暂,但给我留下了很多温暖的回忆。时至今日,那些回忆仍如电影一般在我的脑海中回放。
初めて日本に着いた時、一人でとても寂しさを感じた。毎日一人で学校に通っていたが、周りの素晴らしい景色を観賞するどころではなく、楽しさを感じる気持ちでもなかった。退屈だとしか思わなかった。一日中、たくさんの授業を受けないといけなかったし、生活費のためにアルバイトもしなければならなかった。毎日四時間のバイトを終え、寝る時間を削って夜中の2時まで勉強を続けていた。週末にも徹夜しながら勉強したが、日本語のレベルが思ったよりうまく向上させることができなかった。学校でクラスメートとコミュニケーションする機会を避けていた私は誰とも接触しなくて、一人で静かなところにいるのが当時の選択だった。そのまま留学の生活が過ぎ去っていた。
最初到达日本的时候,因为是孤身一人,从而觉得十分寂寞。虽然每天都去学校,但没有心情去欣赏周围的美景,也感受不到快乐。只觉得非常无聊。一天中既得上很多课,又得打工挣生活费。每天四小时的打工结束后,要压缩睡眠时间持续学习到凌晨两点。虽然周末也通宵学习了,但日语水平并没有如预期般地提高。当时在学校,我逃避和同学交流的机会,选择了不和任何人接触,就自己一个人默默呆着。就这么度过了我的留学生活。
ある日、「もしよかったら、授業の後、一緒に食事でもしてくれませんか」と渡辺さんに話かけられ、「おや」と思っていた。渡辺さんと私は同じクラスである。彼女は私と友達になりたいといってくれた。日本語でうまく交流できない私を友達にしてくれるなんて、私はとても感動していた。
有一天,渡边和我搭话:“可以的话,下课了一起去吃饭好吗?”我不由得惊了一下。渡边和我是同班同学。她告诉我想和我做朋友。我甚至无法用日语顺利地交流,她却想和我交朋友,我当时特别感动。
その後、渡辺さんは私を自分の家に招いてくれた。私の悩みを優しく耳を傾けてくれたり、いろいろな励ましい物語を話したりしてくれた。「もし李さんは日本でこまったことがあったらどうするの?」と私に問いかけたことがある。あまり考えずに「だったら、国に帰る。」と私は答えた。渡辺さんはしばらく考えた後、「中国に帰るというのも一つの選択肢だが、でも中国の留学生として誇りを持って日本で勉強していてほしい。もちろん、困ったことがあったら、あきらめることは一番簡単であるが、一番難しいのはあきらめないでそれを乗り越えること、または前向きで挑み続けることである。進路が決まったものもそうでないものも関係なしに春は暦通りに来てくるんだから。」と言ってくれた。初めてこのようなことを言われた。外国人に心を開き、同じ社会の一員として受け入れてくれることがとても嬉しかった。
在那之后,渡边就邀请我去了她家。她体贴地倾听了我的烦恼,还跟我讲了各种励志的故事。她曾问我:“如果你在日本碰到麻烦了怎么办?”我不假思索地回答:“那就回国。”渡边思考了一会儿后,这样说道:“回中国也是一种选择,但我希望你能抱着作为中国留学生的自豪感继续在日本学习。当然,碰到困难的时候,最简单的事情是放弃,最困难的却是永不言败,克服困难,然后继续积极地挑战。这和出路是否确定无关,因为春天总会按照日历上写的日子到来。”这是我第一次听到这样的话。我很高兴她能对我这个外国人敞开心扉,把我看作相同社会的一员接纳我。
たしかに、私のように短期留学あるいは、長年間留学生活を過ごしている留学生はたくさんあると思われる。そして、最初は私みたいに、日本人の学生と交流するのを避けている留学生もたくさんいるかもしれない。なぜならば、歴史などの問題ではなく、日本語が下手で、うまく自分が話したいことを相手に伝えることができなく、もし、話したことが文法と使った単語が間違ったら恥ずかしいと思うからである。でも、現実的に、留学生の言葉違いを見付けた時、あざ笑うのかわりに、まじめに、熱心に、留学生の気持ちを考えながら、間違ったところを正しく直してくれる方がもっと多くいる。
的确,一定有很多像我这样的短期留学生,或者常年在日本留学的留学生。说不定也有很多留学生像我一样,一开始逃避和日本学生交流。这并不是因为历史等问题,而是因为日语说不好,无法将自己想要表达的内容很好地传递给对方,而且万一,说话犯了语法错误或者说错了单词,会觉得很不好意思。但在现实生活中,大多数日本人在留学生说错了话时并不会嘲笑他们,而是会注意照顾到留学生的心情,认真且热心地给他们纠正。
今、日本と中国の関係は変わっていない。歴史は歴史として忘れることもないが、それは現在の中日友好を妨げにはならない。重要なのは現在と未来であると思う。もし、中国人と日本人がともに私のように、お互いに暖かさを感じることができたら、お互いに対する理解も深まっていくのではないかと思われる。
如今,日本和中国的关系并无改变。历史不该被遗忘,但也不能让历史妨碍现在的中日友好。我认为重要的是现在和未来。如果中国人和日本人都能像我一样,能够感受到互相之间的温暖,那互相之间的理解也就更能加深了吧。
中日関係に欠けているのは、中日両国住民の暖かさではなくて、欠けているのは暖かさを感じる心だと思う。
中日关系中缺乏的不是中日两国人民的温暖,而是感受那份温暖的心意吧。

創作のインスピレーション
创作灵感
初めて日本に来た時、いろいろ々な困難があった。日本の友人の助けがあってこそ今日の私があるのです。その後、いろいろな試練が待ち受けていた。しかし、私はやけくそになったことは一度もなかった。日本にいた時のことを思うと、自信が湧いてくるのです。人は誰でも困難なことに避けがちですが、「困難はそれを乗り越える人にしか与えられない」という言葉のように、いかなる困難でも、乗り越えられないものはないということです。
初到日本的时候,遭遇很多困难。因为有了日本朋友的帮助才有了今天的我。在那之后,我经历了各种各样的困难和历练,但是我从未自暴自弃过。每当回想起在日本度过的时光,自信就会油然而生。谁都有想逃避困难的想法,但是,俗话说“世上无难事,只怕有心人”,不管什么困难,只要努力都能克服。
日本の土地を踏んでから今日まで、日本での一日一日は、桜の花のように、短く、貴重な青春時代を飾ってくれた。日本に深い感情を抱えた中国人として、中国と日本が仲良くしていくのをいつも願っていました。その思いを込め、この文章を書き上げました。
从踏上日本的土地直到今日,在日本的每日每夜,都像灿烂的樱花,装饰着我一生中最为短暂又最为宝贵的青春。作为一个对日本有着深厚感情的中国人,我衷心的希望日本与中国能一直保持良好的关系。我抱着这种深深的愿望,完成了这篇文章。
*原文与译文均来源于人民中国杂志社授权素材