桜 随想 一
過去、私は一度もお花見がなかった。
願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ(山家集)
この2年間、推薦免許試験進学資格を失った後、僕は日本語を夢中にした。特に去年9月から、浪人になった私にとって、日本語は僕と進学の間にただひとつの希望でした。そうはいっても、結局何もかも手に入れなかった、水利水電科学研究院でただ無駄な一年を過ごした。毎日電車に乗ったり、流量データを入力したり、入札参加申込書を書いたり、スライド を作ったり、KFCを食べたり、時間があれば古典文法を勉強した。そんなつれづれなる毎日を贅沢した罪として、僕はいたずらに年を取る、精神力も集中力も少しずつ失われ、学校時代の鋭気が全く見えなかった。
僕の前の記事「邹平差旅记」を載せたように、無常、それが私の大敵かもしれない。先月末、僕が編集した入札参加申込書が落札されました。その結果として、非正規雇用の僕には昇進または奨励させないのうえで、さらに2ヶ月ほど成都に出張に行く予定です。高校卒業後、どうしても成都に行きたかったのですが、そんな風に生きる勇気がありませんでした。今の僕は、大学に入る前も無論、大学を卒業してとは別人になったような気がして、しかし具体的な変化はおぼえていません。
間もなく玉淵潭公園の桜が咲く。桜の名所として知られておりながら、大学四年間、桜のことは全然知らなかった。今はペキンに来て4回目で最後の春であり、諸行無常を感じるのは自然です。それゆえに、僕は今年の桜が一番感心して、そして「春死なむ」の理由はわかった。如何にも秋とか悲しみとか不況とかを詠めば、今年はわたしの最後の春、元気に振ってなければなりません。
今日も帰りに電車を降りて、また家で残業しました。せっかく如月の望月のころに、僕は夢の中でしか桜とあわない。そうはいっても、桜にとってペキンの三月初はちょうど寒すぎる。この北国で生まれた桜たちは、1ヶ月早い芽生えて気候も土壌も適した南の同類を問わず、ただ自分自身の花期を待つ。けれど私には、待っていても未来は来ないので、自分の手でしか生み出せないものから。そう考えると、桜はあまり好きじゃないかも。
それにしても、人がさくらに嫉妬するなんてありえない。桜たちはこの北国に帰えなければいかないが、この結末は絶対に受け入れられない。