【中日对译】辺城(三)/边城(三)


边城/辺城(へんじょう)
沈従文 作 /李 耀 訳
● 『辺城』は沈従文のものであるだけでなく、それ以上に我々のものであり、この時代のものである、という人がいる。
● 有人说:《边城》,不仅属于沈从文,更属于我们,属于这个时代。
三
風が清々しく日がうららかな天気にして、渡しを渡る人もいなく、終日長閑のどかな時には、祖父と翠翠は門前の大岩の上に座って、日向ぼっこをしていた。或いは、一切れの木を高い所から水中へ放り投げ、そばの赤犬を嗾けしかけて岩の高い所から飛び下りさせ、木切れを銜えて戻って来させることがあった。或いは、翠翠も赤犬も耳をそば立てて、祖父が城内での多年前の戦争などの話をするのを聞くことがあった。また或いは、祖父は翠翠とともに二人で各々、小竹で作った縦笛をちょこんと口に当てて、親迎・娘嫁やりの曲を吹いていることもあった。
风日清和的天气,无人过渡,镇日长闲,祖父同翠翠便坐在门前大岩石上晒太阳。或把一段木头从高处向水中抛去,嗾使身边黄狗自岩石高处跃下,把木头衔回来。或翠翠与黄狗皆张着耳朵,听祖父说些城中多年以前的战争故事。或祖父同翠翠两人,各把小竹作成的竖笛,逗在嘴边吹着迎亲送女的曲子。
渡しを渡る人がやって来ると、老船頭は竹管を置いて、独りで後からついて舟のところまで歩いて行って、渓川を横切って人を渡し、そして、岩の上に残っている一人は、舟が動き出したのを見た時に、そこで鋭い声で叫び出した。
「じいちゃん、じいちゃん、聴いてね、吹いてやるかわりに――歌ってくれてよ」
过渡人来了,老船夫放下了竹管,独自跟到船边去,横溪渡人,在岩上的一个,见船开动时,于是锐声喊着:
“爷爷,爷爷,你听我吹――你唱!”
じいちゃんは渓川の中央にさしかかると、いかにも楽しそうに高らかに歌い出した。かれがれな声と澄んだ竹管の音が、静寂な空気の中で振動しており、渓川の中流もどうやら多少賑やかになってきたようだ。だが、実のところは歌声の行き来が、かえって一切の更なる静寂を多少強めてしまったのだ。
爷爷到溪中央便很快乐的唱起来,哑哑的声音同竹管声,振荡在寂静空气里,溪中仿佛也热闹了一些。实则歌声的来复,反而使一切更寂静一些了。
ある時は、渡しを渡るのが四川東部から茶峒行きの小牛や、羊群だったり、あるいは新婦の花籠ハナカゴだったりすると、翠翠は必ず争って渡し守になり、舟の舳先に立って行って、懶ものうげに綱をたぐりたぐり、舟をゆるゆると対岸へ渡した。牛や羊あるいは花籠の上陸した後も、翠翠はまた必ずその後について歩いて行きながら、隊列が山を上るのを見送り、そして、小山の頂上にも登って立ったまま、それらのものがかなり遠くに行ってしまうのを見届けてから、始めて舟の上に後戻りし、渡し舟を引っぱって家にすぐ接近した岸壁に着けた。その上、戻る途中でまた独りで低い声で小羊の鳴き声を真似たり、母牛の鳴き声を真似たり、或いは、一束分の野花を摘み頭に縛り付けて、独りで自らを新婦に扮装したりすることもあった。
有时过渡的是从川东过茶峒的小牛,是羊群,是新娘子的花轿,翠翠必争着作渡船夫,站在船头,懒懒的攀引缆索,让船缓缓的过去。牛羊花轿上岸后,翠翠必跟着走,送队列上山,站到小山头,目送这些东西走去很远了,方回转船上,把船牵靠近家的岸边。且独自低低的学小羊叫着,学母牛叫着,或采一把野花缚在头上,独自装扮新娘子。
茶峒という山城は渡し場からもわずかに0.5キロ隔たっているだけで、油を買ったり塩を求めたりする時や、新年・節句になる毎に祖父がお祝いに一杯飲まなくてはならない時には、祖父はもし城に出なくても、翠翠をして赤犬に伴われて城中へ品物を買い整えに行かせるのだった。雑貨を売る店舗にやって来てみると、大束のバーミセリがあり、大甕入りの白糖があり、爆竹があり、赤蝋燭があって……、どれ一つとして翠翠に深い印象を与えないものはなく、そして、祖父のもとに帰って来ると、きまってそれらの品物のことをかなり長いこと話したのだ。
茶峒山城只隔渡头一里路,买油买盐时,逢年过节祖父得喝一杯酒时,祖父不上城,黄狗就伴同翠翠入城里去备办东西。到了卖杂货的铺子里,有大把的粉条,大缸的白糖,有炮仗,有红蜡烛,莫不给翠翠很深的印象,回到祖父身边,总把这些东西说个半天。
その上、そこの河岸にはまた停泊している上り船も沢山あって、いつも忙しく百貨の荷揚げに追われている百人そこそこの水夫がいる。この種の船は、渡し舟に比べると、すべて皆ずっと大きく、ずっと趣があり味わいがあって、翠翠には容易に忘れるはずもないのだった。
那里河边还有许多上行船,百十船夫忙着起卸百货。这种船只比起渡船来全大得多,有趣味得多,翠翠也不容易忘记。
(つづく)

END