名城大・小林成美がかなえたかった夢 5度失った切符、それでも…

待ちに待った舞台、のはずだった。
7月11日、成田空港。陸上女子1万メートルの世界選手権代表だった名城大の小林成美(4年)は、米・オレゴン州に向けた出発便に向かっていた。
出国前、選手は新型コロナウイルスの検査を受けなくてはならない。ここで、思わぬ事態が起きた。
直前まで熱はなかった。なのに、結果は陽性。規定により、代表選手としての派遣が見送られた。オレゴンへの道も閉ざされた。
「やるせないような、しょうがないような。でも、まだ世界大会に出る実力も資格もないっていう、神のお告げなのかな」
五輪と世界選手権では、女子長距離の強豪名城大で初めての日本代表だった。
5度の壁
コロナ下で大学生活を送ってきた小林の前には、何度も壁が立ちはだかってきた。
長野東高出身。高校卒業後に実業団へ進む道もあるなか、名城大を選んだ。
かなえたい夢があったからだ。
「昔から海外に興味があったんです。外の世界に出て、外国の文化に触れてみたくて。外国語学部がある名城大を選びました」
だが、2020年の春。新型コロナの感染拡大が始まった。海外へ渡航できなくなり、大会も次々と中止になった。
大学1年の3月に予定されていたクロスカントリーの国際大会は派遣中止。大学のプログラムで2年生の4~7月に行くはずだったカナダ留学もなくなった。
代表に選ばれた大学3年のワールドユニバーシティゲームズ(中国・成都)も延期。延期された今年の大会の代表権をもう一度つかんだが、またも来年への延期が決まった。
海外を志して大学へ進んだのに、たどりつけない。
「いつも残念と思うんですけど、もうがっかり慣れしてしまいました」
つかんだ代表
1万メートルで世界選手権の参加標準記録を突破した昨年から一転、今季はなかなか調子が上がらなかった。
4月から血液の状態が悪く、体に力が入らない。
選考会を兼ねた5月7日の日本選手権は15位に終わった。それでも条件が重なり、代表にはなんとか3枠目で滑り込んだ。
5月から世界選手権までの間、右ひざの痛みにも苦しんだ。でも気持ちを切らさずにトレーニングに励んだのは、やっとたどりついた世界大会にかけていたからだ。
「人生をかけなきゃいけない。壊れてもいい」
走れなくても、水泳やバイク、ウェートトレーニングを必死にこなした。
なのに――。新型コロナに、またも行く手をさえぎられた。
世界選手権のレースは、テレビやSNSの動画で見た。日本選手では、広中璃梨佳(日本郵政グループ)が30分39秒71の日本歴代2位の好タイム。順位は12位だった。小林の自己ベストは、31分22秒34だ。
「自分が出たとしても太刀打ちできない。まだまだ力不足だと感じました。でもその分、あの舞台に立ってみたい気持ちは強くなりました」
名城大の主将として
落ち込んだ気持ちは、時間をかけて取り戻した。9月には日本学生対校選手権(日本インカレ)、10月には、史上初の6連覇をめざす全日本大学女子駅伝が迫っていた。小林はチームの主将でもある。
「もう一度自分が挑戦する姿を見せることでチームに還元したい。結果がどうこうではなく、その過程でしっかり準備すれば今後にもつながる」
名城大の米田勝朗監督は、小林のことを「ストイックすぎる性格」と話す。練習前でも、合宿の昼寝の時間でも、補強やストレッチを欠かさずずっと動く。その努力は誰もが認めている。
まだ22歳。何度壁にぶつかってもあきらめなかった小林なら、世界へ羽ばたくチャンスはこれからもある。
大学最後の半年。今は、目の前の目標を全力で追いかける。