二百十日和二百二十日
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二百十天和二百二十日
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二百十日と二百二十日
“二百十日”是杂节之一。从立春(2月4日左右)数起第210日,每年值9月1日左右。
这时期是稻开花的重要时期,可能是台风多访的时期给与农作物甚大的影响。因此,根据过去的经验,对农家来说不能大意的这日作为厄日来戒备。那不仅是农家,同时对渔师(渔民)来说也是能否出渔,存在生死攸关的问题。
「二百十日」(にひゃくとおか)は雑節のひとつ。立春(2月4日頃)から数えて210日目の日で、毎年9月1日頃にあたります。
この頃は稲|いねが開花する重要な時期ですが、農作物に甚大な影響を与える台風に見舞われることも多い時期です。そこで、過去の経験から、農家にとっては油断のならないこの日を厄日として戒めるようになりました。それは農家だけでなく、漁師|りょうしにとっても出漁できるかどうかとともに、生死に関わる問題でもありました。



農家
[のうか]
DEFINITION
農業を営んで生計をたてている世帯。また,その家屋。

漁師
[りょうし]
DEFINITION
海に出て,魚・貝などをとり生活する人。漁夫。
"りょうし町"

台風のイメージ
另外,“二百二十日”也是同样的杂节,农历8月1日的“八朔”、“二百二十日”、“二百二十日”作为农家的三大厄日。
无法像现在这样预测台风的时代,人们因为害怕这日而警戒,举行镇风庆典,祈祷收获平安。
また「二百二十日(にひゃくはつか)」も同様の雑節で、旧暦8月1日の「八朔(はっさく)」、「二百十日」、「二百二十日」を農家の三大厄日としています。
現在のように台風の予測ができなかった時代、人々はこの日を恐れて警戒し、風を鎮める祭りを行って収穫の無事を祈るようになりました。

八朔
[はっさく]
DEFINITION
陰暦八月朔日ついたちの称。古く農家で,新穀の贈答や豊作祈願・予祝などの行事が行われ,のち一般化して,贈答の慣習を生んだ。江戸時代には,徳川家康江戸入府の日にあたることから,諸大名・旗本は白帷子しろかたびらを着て登城し,祝詞を述べた。また,江戸吉原では,紋日もんびとされ,遊女は白小袖を着た。〔秋〕
陰暦八月一日前後に吹く強い風。
ミカンの一品種。広島県で多く栽培される。果実は夏ミカンよりやや小さく果皮がなめらかで甘みがある。温州ミカンと夏ミカンの中間の時期に出回る。


風鎮(ふうちん)とは、掛軸の軸先に付ける錘のこと。 「風を鎮める」という字の如く、掛軸が風に揺れないようにするためのもので、飾りとしての意味合いも強い。 中空になった陶磁器などに房を通した構造をしており、その房を軸の両端に掛ける。
風鎮
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风祭和风俗
为了守护农作物,为了镇风的风祭在全国各地都残留着。
風祭りと風習
農作物を守るために風を鎮めるための風祭りは全国各地に残っています。


風祭り
DEFINITION
農作物を風害から守るために神に祈願する祭りで日本の中央部に多い。二百十日前後に行われることが多いが,正月・7月に行う所もある。竜田神社の風の神祭りが有名。かぜまつり。風日待かざひまち。
特别有名的是在富山市八尾町举行的风祭,越中八尾“小原风之盆”。独特的风情很受欢迎,在小说和歌中也数次登场。
特に有名なのが富山市八尾町で行われる風祭り、越中|えっちゅう八尾「おわら風の盆」。独特の風情が人気を呼び、小説や歌にも数多く登場しています。

「おわら風の盆」で全国的に有名な八尾町(やつおまち)は、かつて富山県婦負郡八尾町でしたが、平成の大合併により2005年(平成17年)に富山市八尾町となりました。 1551年(天文20年)、浄土真宗の桐野山聞名寺(もんみょうじ)が越後上杉勢の来襲に備え、三方を崖に囲まれた八尾に移り、1576年(天正4年)には真言宗の蓮勝院(現在は八幡社のみ現存)も造られたことから、八尾の町はその門前町として始まりました。 江戸時代初期の1636年(寛永13年)に加賀藩から町を作って商業活動を認める「町建て」の御墨付を得て、現在の八尾旧町の原型が成立しました。
八尾の町並み(富山市八尾町)|ふるたび 古い町並みと…
www.furutabi.com/machinami/yatsuo.html

「越中八尾」昔ながらの家並みが続く坂のまち。 ここで毎年9月1日から3日まで開催される「おわら風の盆」は300年を超える歴史を持つ民謡行事で、 洗練された踊りや唄や楽器の演奏は多くの人々をひきつけています。 この映像では、その魅力のほんの一部を紹介しています。 本編は「おわら風の盆」を紹介する「八尾おわら資料館」でご覧いただけます。
おわら、風の盆、まちなみ、日本の情緒、風情、 越中八尾 …
www.yatsuo.net/
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越中八尾“小原风之盆”是镇风丰年祈愿和(盂兰)盆踊(yong3)融合,作为娱乐之一而受到喜爱的庆典,有300多年的历史。坂之町、八尾的古老街邻回响着带着哀愁的胡弓音色,“越中小原节”载着,戴着编笠的男女踊步。谁都能享受的“丰年踊”、优雅的“女踊”、勇壮的“男踊”,有时也有男女成对艳丽的踊(舞)。
越中|えっちゅう八尾|やお「おわら風の盆|かぜのぼん」は、風を鎮める豊年祈願と盆踊りが融合し、娯楽のひとつとして愛しまれてきたお祭りで、300年以上の歴史があります。坂の町・八尾|やおの古い街並みに哀愁|あいしゅうをおびた胡弓|こきゅうの音色|おんしょくが響き、「越中おわら節」にのせて、編み笠をかぶった男女が踊り歩きます。誰もが楽しめる「豊年踊り」、優雅|ゆうがな「女踊り」、勇壮な「男踊り」があり、男女ペアで艶やかに踊ることもあります。


越中
[えっちゅう]
DEFINITION
旧国名の一。今の富山県全域。古名。こしのみちのなか。
「越中褌ふんどし」の略。

豊年祈願祭とは宮古島の夏祭りで7がつ18.19日の2日間で行われます。 豊年祈願祭は女性たちがクイチャーという沖縄特有の踊りを披露して、また一年、作物がたくさん実り収穫できることと、皆が健康でどうか災難が起こりませんようにとお祈りするお祭りなんだそうです。 クイチャーとは宮古島に昔から伝わっていて、みんなで歌い・踊りながら輪になり手足を振り、声を合わせるのが基本になる踊りなんですよ~。
沖縄の歴史と文化 > Blog Archive » 豊年祈願祭
okinawanorekishi.net/culture/culture-1404

https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2284/
盆踊り
DEFINITION
盂蘭盆うらぼんの前後に老若男女が多数集まっておどる踊り。年に一度この世に戻ってくる精霊を迎え,また送るための風習に発したもの。現在では信仰性は失われ,多くは娯楽的な踊りとなっている。〔秋〕

坂町は 森山 や頭部山などの山があり、面積のうち 山林 が約5割を占めている自然豊かな町である。 もともと 横浜島 という島があったが町に 埋め立て地 ができて、島ではなくなった。
国: 日本
地方: 中国地方、山陽地方, 中国・四国地方
坂町旗 1980年11月20日制定: 坂町章, 1980年11月20日制定
都道府県: 広島県
坂町 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%BA
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%BA
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%BA

八尾
DEFINITION
大阪府東部の市。大阪市の東に隣接する住宅地,工業用地として発達。中心市街地は大信寺(八尾御坊),顕証寺(久宝寺御坊)の寺内町として発展。八尾地蔵堂で知られる常光寺がある。

胡弓
[こきゅう]
DEFINITION
日本の擦弦楽器。三味線を小さくした形で,馬尾の弓で擦奏する。三弦と四弦の二種があり,独奏のほか三味線や箏こととの合奏に用いる。中国や朝鮮の同類の楽器をさしていうこともある。

越中おわら節
DEFINITION
富山県富山市八尾やつお町の民謡で,盆踊り唄。源流は日本海沿岸の酒席の騒ぎ唄。


豊年踊り
DEFINITION
豊年を祝う踊り。また,豊年を祈願する踊り。
はあー よいとなあ
今年や豊年だよ
あーこーりゃこりゃ(意外呀)
穂に穂が咲いてよー
よいよい
よいとなあ
みち(未知)の こ草(小草)に
やれさなあ 米がなるよー
食糧増産第一だ、
農村ごらく(娯楽)も大切だ
そーと(排序)も そーとも



另外,因为相信镰(刀)削弱风力,所以也有在屋顶上或屋檐安装镰刀,或者在竹竿之先(的末端)装上镰刀的习俗。
また、鎌が風の力を衰えさせると信じられていたため、屋根の上や軒先に鎌を取り付けたり、竹竿|たけざおの先に鎌を付けて立てたりする風習もあります。

鎌
[かま]
DEFINITION
草や稲・麦などを刈るのに用いる刃物。三日月形で内側に刃があり,一端に木の柄をつけてある。
"草刈りかま"
「鎖鎌くさりがま」「鎌槍かまやり」の略。
料理で,魚の鰓えらに接した腹部の最前端で,胸むなびれのついた部分の名称。脂のいちばんのっている部分。
家紋の一。鎌を図案化したもの。
「鎌継かまつぎ」の略。
口やかましいこと。また,そういう人。
"さあ母のかまがわせた / 浄瑠璃・女殺油地獄下"


けら‐ば【螻蛄羽】
〘名〙
①切妻屋根の端。軒端のきば。〔色葉字類抄(1177−81)〕
②屋根の端瓦の先を漆喰しっくい塗りにすること。
*随筆・守貞漫稿(1837−53)二
「江戸土蔵は瓦葺也。〈略〉屋端瓦の耳を漆喰ぬりにする、号けてけらばと云也」

軒先
DEFINITION
軒の先。軒端のきば。
"のきさきにツバメが巣を作る"

屋根
DEFINITION
雨露などを防ぐために建物の上部につけたおおい。
“やねをふく”
防灾日
说起9月1日,也不能忘记是“防灾日”。
“防灾日”是因1923年(大正12年)9月1日发生的关东大地震,于1960年(昭和35年)被制定。慰灵受害者的同时,为了应对灾害而进行避难训练和催促防灾用品检查等的日子。
在“防灾日”被制定的前一年,伊势湾台风(死者、失踪者大概5100人、负伤者大概39000人)袭来。以此为契机制定了灾害对策基本法。据说关东大地震的时候,受风的影响,火灾也蔓延了。

防災の日
9月1日といえば「防災の日」であることも忘れてはいけません。
「防災の日」は1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんで1960年(昭和35年)に制定されました。犠牲者の慰霊|いれいとともに、災害に備えて避難訓練や防災用品の点検などを促す日でもあります。
「防災の日」が制定される前年には、伊勢湾台風(死者・行方|ゆくえ不明者およそ5100人、負傷者|ふしょうしゃおよそ39000人)が襲来しています。これをきっかけに災害対策基本法が制定されました。関東大震災のときも、風の影響で火災|かさいが広がったそうです。

関東大震災
DEFINITION
1923年(大正12)9月1日正午直前,関東全域と静岡県・山梨県の一部を襲った大地震による災害。震源地は相模湾。マグニチュード7.9。死者・行方不明一四万,家屋焼失四五万,全壊一三万。混乱下に,社会主義者や朝鮮人などへの不法逮捕・虐殺事件が起きた。

伊勢湾台風
DEFINITION
1959年(昭和34)9月26日,和歌山県潮岬しおのみさき付近に上陸した台風。超大型台風の勢力を維持して北上し,富山湾から日本海を通って三陸沖へ抜けた。死者・行方不明者五一〇一名。特に伊勢湾沿岸では高潮による被害が甚大。

防災のイメージ
这样看来,从以前开始的厄日“二百十日”不仅是单纯的人的经验知识,还与近代日本的自然灾害有着深刻的联系。
这时期是台风灾害较多的时期,但是无论何时任何时候由于异常气象遭遇灾害或地震灾害,即使拥有现代科学的力量也无法知道。
以“防灾日”为契机,请务必确认非常持出袋(非常避难袋)的检查、与家人的联络方法、避难所、避难路线、与家人的会面场所等。
こうしてみると、昔からの厄日「二百十日」は単なるの人の経験知だけではなく、近代の日本の自然災害とも深く結びついているようです。
この時期は台風被害の多い時期ですが、いついかなる時に異常気象による災害や震災に見舞われるか、現代科学の力を持ってしてもわかりません。
「防災の日」をきっかけに、非常持ち出し袋の点検や、家族との連絡方法、避難所、避難経路、家族との待ち合わせ場所など、ぜひ確認しておきましょう。

DEFINITION
非常避難袋

【四五言的个人空间-哔哩哔哩】 https://b23.tv/A3cZdoV
2022/12/19
*仅供参考
文图bing
https://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/zassetsu/nihyakunichi/

二百十日と二百二十日