夢見ること その四
「君は数学オリンピックの才能があるが、僕は後悔するかもしれない、去年高校入学のとき、君を推薦じゃなくてよかったかも」(その一)
「オリンピックも科学研究も同じだ」(その二)
「君は数学オリンピックに参加しなければならない。数学オリンピックの成功を祈りつつ、遠くから見守っているよ」(その三)
そうです。その日(7月2日)見た夢はこうだった。数学苦手と情報処理苦手な自分は、やっと原因を見付けた。数学オリンピックの失敗そのものだ。
当然、数学オリンピックに失敗した人はいくらでもありますが、その中でも数学や情報など分野に大きな成果を成し遂げた人もある。しかし自分の弱さは彼らと違って、彼らは数学オリンピックに出場するため、必死に勉強を続けるとき、自分はいつもその勢いに圧倒される。Sakuraさんと出会ったから、その強さが指の間をすり抜けて、前に目さえ逸らさねばならない。
この強さは一体何だろう?勉強の程度か、それとも集中力か。両者は近いでも違い。あの時、僕はかつて一切無視な態度と総括した。何も知らない人と何も知らない振りした人は、オリンピックにとって完璧な適格者です。知識や経験を積んで、生き方を知れば知るほど、自分の生き方を堅持することは難しくなる。ああ、僕の周りにはこんなヤツばかりなのか。やはり大変な半年でしたと思った。高校を卒業するとき、私は彼女に、Sakuraさんと出会ったことを後悔していないと言ったんだ。
五年後の今、要約するならば、彼らは地上の感情を捨てたではなかったが、生涯を通じて限りなく狭い門に近づいてきた聖人たちなのだ。アンドレ・ジッドの『狭き門』はご覧いただけましたでしょうか。この本を読んだおかげで、7年前の数学オリンピック事件を新たに理解することができた。僕にとって、Sakuraさんはアリサみたいなものだが、自分はジェローム式なものではない、オリンピック出場の生徒たちは本物のジェロームです。
今いくら考えても、自分と数学オリンピックは北極と南極より遠い存在であり、オリンピックと科学研究とは同じ存在から、おそらく自分は科学研究に適した敬虔なキリスト者ではなく、神さまへの狭い門をくぐることはできない。そのことに気づいたときには、自分は大学卒業し、ほぼ一年間にも働いていた。
自分が勉強している日本語が必ずしも自分に適していないか、文学か言語学か、若しくは文系への転向は彼女への懐かしさによるものなのか、そもそも自分は幸せを追いかける権利が残されないのか、数学オリンピックをやめたことはオリジナル・シンですか、自問自答する。
体温が上がっている。
つらいつらいつらい!!!
空気がなくなって、心臓も動きなかったほど息苦しくなった。
生き返ってみると、もう何も書けない。
少し休みましょう。