飛鳥時代に敵の襲来などを伝えた「のろし」を再現 奈良
1400年ほど前の飛鳥時代に、煙や火を使って遠く離れた場所に緊急の情報を伝えたされる「のろし」を再現する催しが奈良で行われました。
飛鳥時代の「のろし」は、敵の襲来など緊急の情報を都に伝えるため、煙や火をリレー方式で上げて知らせていたと考えられています。

会場となった奈良県王寺町の明神山に、平井康之町長や町の職員らが集まってのろしの煙を上げ、およそ16キロ離れた当時、都があった明日香村に伝わるかを試しました。
大阪と奈良の境にある明神山は双方に眺望が利くため、のろしを上げるのに適した場所だったのではないかと考えられていて、山頂にはドラム缶をつなぎ合わせた大きな筒が置かれ、中に入れられたスギの枝などに火がつくと、白い煙がもうもうと立ち昇りました。
一方、明日香村にある甘樫丘(あまかしのおか)には森川裕一村長らが集まり、のろしの煙を確認すると、代わりに直径2.4メートルのバルーンを上げて知らせていました。

のろしを見た人たちは「昔の人たちの技術はすごいと感じた」とか、「古代のロマンを感じます」などと話していました。
催しを企画した王寺町の岡島永昌さんは「煙で連絡するというのは非常に有効なんだと実感した。こうした取り組みで、のろしが実際にどのように行われていたかという議論が深まってもらえれば」と話していました。