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《甲子園勝率.853の名将》中村順司75歳が語る常勝・PL学園と今年の大阪桐蔭の共通点

2022-04-24 10:58 作者:雀到今生打已迟  | 我要投稿

《甲子園勝率.853の名将》中村順司75歳が語る“常勝・PL学園と今年の大阪桐蔭の共通点”とは「負けた桑田、号泣の清原を見て…」

PL学園を高校野球きっての名門校に築き上げた、中村順司さん。75歳となった現在は何をしているのか、そして立浪和義らOBの秘話、現在の大阪桐蔭とPLの強さの共通点を聞いた(全2回/立浪和義とPL学園編もhttps://number.bunshun.jp/articles/-/852924)


大阪桐蔭・西谷浩一監督と中村順司氏。高校野球が誇る名将だ


 指導者を離れてもなお、人々の記憶に残り、名前が挙がるのが名将のゆえんだろう。


 大阪桐蔭が圧倒的な力で頂点に立った今春のセンバツ。準々決勝の市立和歌山戦に勝利した際に、再び光が当たった功績がある。

大阪桐蔭は2022年センバツを圧倒的な強さで制した ©Nanae Suzuki


この試合、大阪桐蔭は大会タイ記録となる1試合6本のホームランを放ち、西谷浩一監督は歴代単独2位となる甲子園通算59勝目を挙げた。大阪桐蔭が並んだのは1984年のPL学園の記録であり、西谷監督が超えたのは当時のPL学園を率いていた中村順司さんの勝利数だった。

西谷監督は「中村監督のようになりたい」と憧れ続けた

 中村順司――高校野球ファンなら知らない人はいない。PL学園の監督に就任して初の甲子園出場となった1981年のセンバツで優勝し、1998年に勇退するまで春夏合わせて6度の頂点。58勝を積み上げ、勝率.853と驚異的な数字を残している。西谷監督が「いつか、中村監督のようになりたい」と憧れ続けた存在だ。

 近年の高校野球で先頭に立つ大阪桐蔭の強さと西谷監督の手腕が注目されると、PL学園や中村さんの足跡が引き合いに出される。

 中村さんはPL学園の後、母校・名古屋商科大学で監督に就いた。2018年12月に総監督を退任し、後進に道を譲った。現在75歳。指導者を離れて3年4カ月が経った。

中村順司さんは75歳となった今もなお野球への情熱を失っていない ©Jun Aida


「今後も自分にできることはやっていきたいと思っています。野球に育ててもらいましたから」

 依頼を受ければ、子どもや学生に知識や経験を伝える。高校野球との縁も続いている。今春のセンバツでは、大阪桐蔭と鳴門の1回戦を解説した。中村さんは、3-1で勝利した大阪桐蔭に「新しい強さ」と「伝統」を感じ取っていた。

「8回にダメ押しの3点目を主将のスクイズで奪ったところに、大阪桐蔭の新しい強さを見ました。チームの気を引き締め、1点の大切さを伝える監督の意図に主将がきっちり応えました。甲子園の初戦という難しい舞台で、日ごろから監督と選手の関係がしっかりできていることを証明したと思います。甲子園で負けた先輩たちを見た今のチームの選手が、『自分たちがやる』という伝統と心のつながりを感じました」

「自分たちには力がない」と「負けたKKコンビの姿勢」

 豪快なスイングが印象的な打線が、どん欲に1点をもぎ取る。主将にも主軸にもバントのサインが出る戦い方がチームに染み渡っていた。大会期間中、星子天真主将をはじめ、選手たちが繰り返し口にしていた言葉がある。

「自分たちには力がない」

 昨年のチームには松浦慶斗投手と池田陵真外野手、投打の柱があった。ともに、卒業後はプロ入りしている。だが、そのチームでも春は初戦、夏は2回戦で甲子園を去っている。

2021年の夏は2回戦敗退で終わった大阪桐蔭と西谷監督 ©Nanae Suzuki


 当時、スタンドから声援を送っていた星子主将らは「あの先輩でも勝てないのか」という強い危機感から新チームをスタートしている。中村さんが今の大阪桐蔭と重ね合わせたのは、立浪和義さんが主将を務めてPL学園初の春夏連覇を果たした時のチームだった。

「桑田、清原たちの3年生がセンバツで伊野商業に負けて最後の夏に取り組む姿勢を、当時1年生だった立浪や片岡(篤志)たちは見ていました。こんなにすごい先輩たちでも勝てないのが甲子園。あの先輩たちが相当な練習をしないと全国制覇できないと強烈に写ったと思います。立浪たちの代のチームは、今回の大阪桐蔭に似ているところがあります」

立浪世代は自分たちの力を過信しなかった

PL学園時代の桑田真澄と清原和博 ©Katsuro Okazawa/AFLO


 1985年のセンバツ、新3年生となった清原さんや桑田さんを擁したPL学園は、伊野商業に準決勝で敗れた。後に西武でプレーする、伊野商のエース渡辺智男さんに3つ三振を喫した清原さんは試合後に号泣。学校に戻ると、すぐにバッティング練習を始めたという。高校最後の夏は必ず甲子園で優勝する。その決意と執念は、立浪さんら当時の1年生に痛いほど伝わった。

 高校1年生にとっての3年生は、ただでさえ絶対的な存在。しかも、桑田さんや清原さんのように甲子園の伝説にもなっている選手であれば、言うまでもない。立浪さんたちは自分たちの力を過信しなかった。相手に隙を見せず、1点の重みをチームで共有した。

 象徴的な試合がある。

 立浪さんが主将となった1987年のセンバツ、PL学園は決勝で関東一と対戦した。1点リードの7回裏、ノーアウト二、三塁の場面だ。

 4番・深瀬猛さんがカウント2ストライク1ボールから、スクイズを決めた。深瀬さんは、この打席までに先制タイムリーを含む2本のツーベースを放っていた。続く打者も、1ストライクからスクイズ成功。気落ちする相手に畳みかけたPL学園は7-1で勝利して全国の頂点に立った。中村さんは試合後のインタビューで、こう語っている。

「今年のPLを象徴するシーン。連打は出ないので、チャンスを確実にものにするのが今年のチームです」。

 そして、スクイズを決めた4番・深瀬さんは「1点1点きっちり取っていこうと思っていたので、スクイズのサインが出たら絶対に決めるという気持ちでした」と答えている。中村さんが「似ている」と感じた大阪桐蔭も、リードした展開で主軸に打順が回っても、得点の可能性を高めるためにバントを選択して1点にこだわっていた。

西谷監督に感じる“2つの共通点”とは

 中村さんはチーム作りにおいても西谷監督に共通点を感じている。

 「守備の強化」と「将来を見据えた育成」。

 派手な打撃が目を引く大阪桐蔭だが、西谷監督が最も重要視するのは守備。相手に圧力をかけるほど隙のない守備が、チームの強さを支えているのだ。中村さんもPL学園の監督時代、守備に重点を置いてきた。

    「基本は守備です。たとえ高校の時はベンチに入れなくても、守りがしっかりしている選手は大学や社会人でメンバーに入る可能性が広がります。上のレベルにいくほど、打撃は弱点を見つけられれば徹底的に攻められます。守りができれば途中出場でチャンスをつかんだり、7、8番の打順で試合に出たりできます。ヤクルトで活躍した宮本慎也のように、結果的に2000本安打を達成できるかもしれませんから」

PL時代の宮本慎也 ©Sankei Shimbun


    中村さんは「甲子園に行きたい」、「全国制覇をしたい」と口にしたことがないという。選手を指導する目的は、ただ1つ。「プロと言わなくても、大学や社会人で野球を続けられる基礎をつくって選手を送り出したいと思っていました」。選手には30歳まで野球ができたら成功者と言い続け、その後の30、40年は社会に貢献したり、少年野球に恩返しをしたりしてほしいと伝えていた。

    西谷監督のすごさは「みんなの将来を考えている」


 中村さん同様、西谷監督の教え子もプロをはじめ、大学や社会人でも野球を続ける選手が多い。大阪桐蔭で甲子園に出場した経験のある選手は、こんなエピソードを披露している。


    「西谷監督のすごさはベンチに入っていないメンバーを含めて、みんなの将来を考えてくれるところにもあります。選手が進路を選ぶ時に、個々のプレースタイルや性格、進学先の大学のチーム状況などを見て、2年後3年後に出場機会があるのか、成長できる環境なのかを考えてくれます」

    選手たちの野球人生は高校がゴールではない。中村さんは「将来を考えた生活の中に甲子園があるんです。甲子園で戦う最大5試合のために生活しているわけではありません。日々の練習で課題を解決した、努力をしたという積み重ねに大きな意義があります。西谷監督の指導には同じ部分を感じています」と話す。

西谷浩一監督(写真は2009年)©︎Hideki Sugiyama

 PL学園の監督を退いて24年。昭和から平成にかけて高校野球界をけん引した名将の功績は、平成から令和にかけて新たな時代を築こうとしている西谷監督の存在によって再び脚光を浴びている。

「大阪桐蔭が中心になるのは間違いありませんが、大阪には金光大阪や履正社といった強いチームがたくさんあります。打倒・大阪桐蔭に燃えているでしょう」

 中村さんは今後の展望をこう語っていた。

学校としての基盤がなければ部活は……

 だが、その言葉には寂しさがにじむ。PL学園の名前を並べられないからだ。中村さんが育てた名門は、2016年を最後に休部となっている。復活の兆しが見えないどころか、現在は生徒が集まらず学校の存続すら危うい状況に陥っている。中村さんは自らの無力さを嘆く。

「今の生徒数を考えれば、野球ができる状況ではありません。OBは誰もが復活してほしいと願っています。ただ、学校としての基盤がなければ部活はどうしようもありませんから」

©Jun Aida

 高校野球の歴史に名を刻んだ中村さんは数々の名選手を育て、西谷監督ら指導者にも影響を与えてきた。PL学園の野球部に、かつてのような輝きはないかもしれない。だが、中村順司の名前は色褪せない。

<第1回からつづく>


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