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高校国語先生へのお手紙

2023-03-24 00:38 作者:风铃语殇  | 我要投稿

コウコウカ 先生 拝啓仲春の候、先生におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。 長年連絡が途絶えた故、まず卒業以来の状況を簡単にご紹介いたします。私は中国人民大学経済学院に入学し、あとは慶應義塾大学への交換留学生として、日本へ「追放」されました。 中学校時代にわたって、私はいつも国語科目にいじめられていました。中国語そのものの語彙と文法に詳しくないとは言えませんが、常に悲しいほど低い点数を取りました。なぜなら、他人が書いた文章に潜める感情がわからず、自分が書いた文章はおおむね単純かつ単調だったからです。あのとき、ただ故郷を懐かしむ感情にこだわって、原稿用紙に何度も同じ内容を繰り返して書いていただけです。そして案の定低い点数を取って、親に叱られて殴られて、翌日また登校して、無邪気な悲しみを抱いて、混沌の中に「勉強」を余儀なくされました。 混沌の中に足掻きに足掻いたところ、ある日突然気が付きました。高く評価された作文には、おおむね素直な言葉が見つからず、明らかに見える作り上げた内容がたくさん入っています。しかもその一部には偽りさえ含めましたが、中学生の作文の要望にぴったりとしたばかりに、逆に私の心から溢れた話を凌ぎました。それと同じく、試験用紙に印刷してあった他人の書いた文章にも、作り上げたものが見つけられます。畢竟、素直に感情を記す文章は誰にとってもわかりやすく、読解力を検定するに足る文章になれません。それが一旦分かって自分の答えを「修正」すれば、中学校段階の国語科目は二度と私の幸せを妨げません。かつて高嶺の花のごとく、文字のゲームに精通したゆえに「優秀」であったクラスメートはすべて私に蹴飛ばされました。直接に高校部に進学する資格さえも私に与えられました。あのとき、確かに虚偽の上に築いた幸福を、少し味わったと認めざるをえません。 ところが、私は到底国語、言い換えれば国語科目に精通するわけではありません。それを自覚して、国語による悪い成績を避けるために、高校時代で化学に心酔した私は化学オリンピックに参加しようと決めました。化学オリンピックで省級1等賞を取れば、清華大学か北京大学の自主生徒募集やら何やらに参加できそうでした。それを通して本当にその二つの大学に入学できるかもしれません。そう考えて、私は夏休みやら冬休みやら放課後やら国慶節やら、すべて犠牲にして化学に専念した結果、強基計画によって私の努力がすべて台無しになりました。確かに省級1等賞を取りましたが、新たな「契約」に基づいて、それは泡影にすぎません。私はその一瞬、劣等生と成り下がりました。他の生徒より何倍もひどく努力したくせに何もかも手に入れず、結局同じ教室に座って同じ大学入試に面した、ということから見ると、劣等生でなくてなんでしょう?その後、やはり国語科目を向上させず、一部の受験生に大学入試で倒され、人民大学に進学してしまいました。 私は過去を忘れがたいタイプであるにもかかわらず、過去に縛られやすいタイプではありません。悲惨な過去を置き去りにしようとして、日本語試験のためにもっと少し努力してみたところ、思いもよらないほど、この度は危うく自分の努力に飲み込まれるところでした。去年はコロナ禍が一番盛り上がる年だと言っても、過言ではありません(少なくとも中国において)。一刻たりとも止まないコロナ態勢の変化、またはコロナ対策の変化が穏やかであった町を前触れもなく狂乱させました。「なんの代償もかまわずにゼロコロナ」というスローガンをいまだに覚えています。ならば日本語試験の実施も大したことではありません。日本語試験が取り消されようものなら、何年かにわたって積み上げた言語知識も、化学オリンピックの知識の後を継いで無駄になるに違いありません。この世には、検定を受けない人は、持っている知識や能力を証明しがたいです。その知識や能力を生かすことは言うに及びません。それこそが、受け入れられないのです。 コロナ対策で保護された人民の反対側に迫られて行って、法律に裁かれるより、むしろただちに命を絶ったほうがましです。が、先生への贈り物によって積んだ功徳のおかげかもしれませんが、お天道様は従来の無念に歯止めをかけました。私はついにJLPT

でN1レベルに合格して、交換留学の条件を満たして来日しました。しかし、お天道様の恩恵は、代償も払わずに受けられるものか!交換留学の資格の確保から来日にかけて、春夏秋冬の巡りは何の意味も失われ、喜怒哀楽の変わりはなんの価値もありません。日本へ来ることは唯一の本望でした。日本にいない限り、私の努力が実りません。日本にいない限り、劣等生の身分を変えられません。そういう思い込みで、日常生活の幸福に背を向け、再び運命に弄ばれることをもやもや心配して、中国にいた日々はいつのまにか「生の味のする死の重複」

に成り果てました。 節子はその小説の冬に亡くなったものの、私は現実の冬を生き抜いて、ここにお手紙を書いて差し上げます。私の運命は順調に戻ったかもしれませんが、もう一つの思いが日本滞在中に見え隠れしていると分かっています。それは、日本における楽しみより、日本への渡航そのものが大事であることです。そのような本末転倒は、明白に『芋粥』

に書いてある人間性の罠に落ちたことを示しました。浮き世で何年も彷徨ったとしても、本物の幸福を味わえずじまいになりました。 よって、私は日本へ追放されたと記述しました。長いお手紙をお読みいただいてありがとうございます。 学生 リジュンヒより 2023年3月24日 東京にて 注: JLPTは、日本語能力試験の略称です。

これは『風立ちぬ』の表現を真似して書いた言葉です。『風立ちぬ』は堀辰雄が書いた小説です。婚約者節子との愛とその死を通して,生の意味を探ります。「死の味のする生の幸福」という表現を真似するのです。

『芋粥』は芥川龍之介が書いた小説です。五位という侍が芋粥を飽きるまで食べたがりますが、本当に大量の芋粥に招待されてから、なぜか食欲が失せてしまいます。

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