猜忌は、自分の掌中にあるか、もしくはそう信じている幸福を、まもり通そうとするだけだから、ある意味で正当で理にかなっている。それにひきかえ嫉みは、他人の幸福が我慢できないのだから一種の狂気である。
われわれの感覚は、極端なものは何も認めにない。大きすぎる音は耳を壊す。強すぎる光は目を傷める。あまり遠くても、逆に近くても、像はぼやける。あまりに真実すぎることも、我々を困惑させる。 -中略- 極端すぎるものというのは、存在していないのと同じことなのだ。"パスカル「パンセ」"