空言舌語・委婉表达
原文:婉曲表現
婉曲(えんきょく)表現とは、ことがらについてはっきり断定せずに推量のかたちでやわらげて言ったり、露骨にならないよう表現する用法です。 最近いろんな場面で婉曲的表現の乱用が気になります。率直に言うより丁寧な感じがすると思われがちですが、かえって耳障りなものです。いくつかの例を挙げてみます。 「牛丼とか食べて」や「私とかは美しいと思う」の、「〜とか」。食べたのは牛丼であり、美しいと思うのは私なのだから、わざわざ「とか」をつけてボカす必要はない。 つい使ってしまいがちだが、「贈物なんかに最適ですね」「肉料理なんかに合いますね」の、「〜なんか」。 レストランでよく聞くのが「メニューのほうお下げします」の、「〜のほう」。テレビ放送では「映像のほうをご覧下さい」と、しばしば聞く。 便利なのでつい多用しがちですが、「私的には」「気持的には」の、「△△的」。何だかごまかされているみたいな印象を受ける。 これは後輩のアナウンサーに注意しています。「始めたいと思います」「ご覧頂きたいと思います」の、「〜と思います」。 これらの例は、どれも使う必要のない言葉です。こういう表現を多用する人は口癖になっていて、結果的には言葉の範囲を曖昧にしているだけです。 本来の婉曲話法は、遠まわしに表現することで相手に不快感を与えないサービス精神も存在しています。つまりは敬語と同じ効果を期待する目的もあります。 ところが最近の婉曲表現は、柔らか曖昧表現で自分に対する反発や批判を避けたいという、自己防衛の言いまわしにしか聞こえません。事実認定に対する自信のなさの表れ、とも言えます。これは他者とは適当に距離を置きたい、他人に厳しく自分に甘い、という現代日本人の習性の表われと言えそうです。 婉曲表現は拡大する傾向にあります。アナウンサーならずとも、注意と自戒を怠らないことが肝要です。
訳文:
所谓“委婉表达”是指说话时不用绝对的语气而用推测的语气,这是一种婉转间接的表达方式。 最近我注意到人们在很多场合乱用委婉表达的现象。可能大家会觉得比起快人快语,委婉一点会更有礼貌,但这反而让人听着难受。我举几个例子。 第一个是“とか”,“牛丼とか食べて”“私とかは美しいと思う”(“吃点牛肉盖饭啥的”“像我这样的觉得(我)很美”),吃的是牛肉盖饭,觉得美的是我,所以没必要特地加个“とか”让人混淆。 第二个是“なんか”这个词一不小心就会用到。“贈物なんかに最適ですね”“肉料理なんかに合いますね”(“这个当做伴手礼什么的最合适了”“这跟荤菜啥的很配”)。 还有就是餐厅里经常能听到的“~のほう”,“メニューのほうお下げします”(“给您撤下菜单”)电视上也常常能听到“映像のほうをご覧下さい”(“请大家看录像”)。 还有“~的”这个表达,比如“私的には”“気持的には”也许是比较方便所以大家都用,给人一种糊弄人的感觉。 我还想提醒下我的后辈主持人们。“と思います”这个表达。比如“始めたいと思います”(我想开始了)“ご覧頂きたいと思います”(我想让大家看看)。 这些例子中的委婉表达都是没必要使用的。用多了的人把它们变成了口头禅,结果只能让语言的范围更加模棱两可。 原本委婉的话术存在一种服务精神,即通过间接的表达,避免给对方造成不愉快的感觉。或者说它的目的是要达成跟敬语同样的效果。 最近的委婉表达我听着只觉得,大家是用柔和婉转的表达来避开他人对自己的反驳批评,是一种自我防卫的表达方式。可以说这是对于事实没有自信的表现。甚至于可以说这是现代日本人习性的表露,即与他人适当保持距离,严以待人宽以待己。 委婉表达有泛用的倾向。即使不是主持人,希望大家也要时时注意自省。