徒然草 第75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。・吉田兼好 日文念书

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん:つれづれを嘆く人とはどういう人であろう。俗世間に交わることなく、一人孤独に居るこそよいというのに。
さながら、心にあらず:さながら、自分の心ではないようになってしまう。
分別みだりに起りて、得失止む時なし:何が得で何が損かなどと、得失ばかり考えていて、。
ほれて忘れたる事:本心を忘れて。「ほれて」は「呆けて」の意。
摩訶止観にも侍れ:「摩訶止観<まかしかん>」は天台宗の基本理念。自らの心を見通し観照することという。一○巻または二○巻。五九四年、隋の智●(ちぎ)が講述し、灌頂が筆録。天台三大部の一。天台宗の観心を説き修行の根拠となる。止観。天台止観。天台摩訶止観。(広辞苑より)。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」と言われても、遺産でもない限り、今日生きてはいけないが。