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徒然草 第137段 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。・吉田兼好 日文

2023-11-30 00:54 作者:蜈蚣哥  | 我要投稿

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは:桜の花は満開のときばかり、月は満月ばかりを見るものか? いやそうではない。

雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも:<あめにむかいてつきをこい、たれこめてはるのゆくえしらぬも>と読む。雨の夜に月のことを思い、家に閉じこもって春の行方を知らないのだって、。

「花を見て」と言へるに劣れる事かは:「花を見て」と言う詞書に続いて絢爛豪華に咲いた桜花を詠んだ歌に劣るというものではないだろう。

花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど:桜の散ることや、月が傾くことを惜しむことはもっともなことと言うものの、。

男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは:男女の恋も、会って相見るばかりがよいのではない。不成就というものもよいのだ。

遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ:遥か彼方の恋人、チガヤの生えた荒れた家に住む昔の恋人を思う。

うちしぐれたる村雲隠れのほど:時雨の村雨を含む雲に(有明の月が)隠れて見えなくなるようなのほど、あわれをもよおす。

椎柴・白樫などの、濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ:<しいしば・しらがし・・>。椎や樫の林のように照葉のきらきら光るのこそ。

心あらん友もがなと:そんな晩には、心を通わす友が今ここにいてくれたらなぁと、。

月・花をば、さのみ目にて見るものかは:月や花は、ただ目で見なければというものでもないのではないか。

月の夜は閨のうちながらも思へるこそ:春の月の夜なら、寝床の中からでも桜花のことを想像できる」ことこそ興趣の尽きないことである。

色こく:しつこく、執拗に。

ねぢより:にじり寄って、。

あからめもせずまもりて:脇目もふらずに見守って、。

見事いと遅し:祭りの行列が来ないというので、。

「とあり、かゝり」と物毎に言ひて:「ああだ、こうだ」と見る毎に感想を言って、。

様あしくも及びかゝらず、わりなく見んとする人もなし:行儀悪く後ろからのしかかるようにしたりせず、(祭の行列を)無理に見ようだとはしない。

何となく葵懸け渡してなまめかしきに:なんとなく菖蒲の葉を軒に葺いた祭りの優雅な感じの中に、。

車どものらうがはしさも済みぬれば:帰りを急ぐ牛車の混雑も終わってみれば、。

大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ:都大路で起こっていることを見ることこそ、祭りの醍醐味なのだ。

棺を鬻く者:<ひつぎをひさくもの>と読む。死棺を売る者。

継子立といふものを双六の石にて作りて:継子立<ままこだて>は、碁石を並べたゲーム。黒白の石それぞれ15個ずつ、合計30個をなんらかの順序で円形に並べ、あらかじめ定められた場所にある石を起点として10番目にあたる石を取り除き、順次10番目の石を取っていって、最後に一つ残った石を勝ちとするもの。白・黒を、それぞれ先妻の子と後妻の子に見立てたところから継子という。継子算(『大字林』)。

世を背ける草の庵には、閑かに水石を翫びて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし:世を遁れて草庵に住まいし、のどかに水石を眺め、死を忘れて暮らしていると思っているのは、なんともはかないことだ。

無常の敵競ひ来らざらんや:「無情の敵」とは死のこと。死が急に到来する。

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