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从偶像到心理咨询师,中元日芽香的轨迹

2023-03-21 03:08 作者:日芽香公主小分队  | 我要投稿

2022年11月号

積み重ねた努力が開花し、大輪の花が開く兆しを誰もが感じたそのタイミングで 新たな道へと舵を切ることを決意した、中元日芽香。そのとき、21歳。 国民的アイドルグループ、『乃木坂46』の1期生として、グループを黎明期から6年にわたり支えた。 そして今、心理カウンセラーとして「多くの人に役立ちたい」とセカンドキャリアを歩んでいる。

积累的努力开花了,在谁都感觉到这朵大花即将盛开的时机,下决心迈向新的道路的,中元日芽香。那年21岁。作为国民偶像组合“乃木坂46”的1期生,从组合黎明期开始支撑了组合6年。而现在,作为心理咨询师,以“想对更多的人有所帮助”为目标走上了第二职业的道路。

文・油井なおみ

中元日芽香(心理咨询师.心理指导师)

乃木坂46加入から2年
選抜入りで心が決まった

乃木坂46加入2年后
决心进入选拔


画面越しにもキラキラと輝くアイドルたち。幼い頃に憧れたという人も多いのではないか。

隔着屏幕也闪闪发光的偶像们。是很多人小时候的憧憬吧。

小学1年生からダンスを習い、4年生からは地元の芸能養成学校、アクターズスクール広島の16期生として活動していた中元日芽香。当然、アイドルを夢見ていたのかと思いきや、実はそうではなかったという。

中元日芽香从小学1年级开始学习舞蹈,4年级开始作为当地的艺能培训学校——actsschool广岛的16期生活动。原以为她是梦想成为偶像,但实际上并非如此。

「習い事をたくさんさせてもらっていてダンスもその中のひとつでした。受験前には辞めると思っていました」、

“学了很多东西,跳舞也是其中之一。考试前我就想过不做了。”

性格的に自分で何かを決めるのは苦手。「決められたことや勧められたことを頑張るタイプ」と自らを評する。

性格上不擅长自己做决定。她自己评价说:“我是那种在被决定的事情和被推荐的事情上努力的类型。”

「習い事は姉が習っているからという理由で始めたものばかり。その中でダンスだけは自ら率先して続けたいと初めて思えたものです。ただそれを仕事にしたいとは思っていませんでした」

“学习的理由也是因为姐姐在学才开始学的。其中只有跳舞是我第一次想坚持下去的。只是没想过要把它作为工作。”

『乃木坂46』1期生のオーデションも勧められて受けたもの。それが一次、二次へと審査は進み、思いがけず合格。まだ広島に暮らす中学3年生だった。

“应募乃木坂46”1期生的也是被推荐去参加的。然后进入第一次、第二次审查,出乎意料地合格了。当时还是住在广岛的初中三年级学生。

「当時は乃木坂46というグループが今の規模になるとは思っていませんでした。東京で高校受験をするのかな、この先、明るい未来につながっていればいいな、というくらいの感覚でした」

“当时并没有想过乃木坂46这个团体会有今天的规模。当时的感觉就像是要去东京参加高中入学考试,希望今后能有一个光明的未来。”

実際、乃木坂46の活動が始まると、それは中元の想像をはるかに超えて充実感に満ちたものだった。懸命にパフォーマンスし、ファンに笑顔を届けることで、元気になってくれる人がいる。そんなアイドル業に魅力を感じ、心から楽しいと思えた。

实际上,乃木坂46的活动一开始,其充实感就远远超出了中元的想象。有的人通过努力表演,向粉丝们传递笑容,从而变得元气满满。感受到这样的偶像事业的魅力,发自内心地感到快乐。

とはいえ、乃木坂46の活動は非情ともいえる。1期生は総勢36名。その全員が歌番組などでパフォーマンスできるわけではない。発売されるシングル曲ごとに選ばれる「選抜メンバー」のみだ。中元が初めてに選抜に入ったのはグループ加入から2年ほどたった高校2年のとき。同級生が大学受験へとスイッチを切り替え始めた頃だった。

话虽如此,乃木坂46的活动也可以说是无情的。1期生共有36名。并不是所有人都能在音番中表演。每首单曲都会选出“选拔成员”。中元第一次进入选拔组是在加入组合2年后的高中2年级的时候。那是同学们开始切换到准备大学入学考试的时候。

「ずっと大学進学が頭にありました。選抜メンバーはシングルごとに入れ替わり、次のシングルで落ちる可能性もあります。けれど初めてグループ1本でやっていきたいと決意が固まり、迷いはありませんでした」

“我的脑海里一直想着要上大学。选拔成员每一个单曲都会更换,也有可能在下一个单曲中落选。但是我第一次坚定了想要专注一个团体的决心,所以没有犹豫过。”

もともと器用な上、完璧主義。幼い頃から、勉強も歌もダンスも、教わったことは何でもそつなくこなしてきた。今振り返れば、誰かに褒められ、評価されることで自己肯定感を得てきた中元にとって、選抜に入れないという事実は、初めて経験した大きな挫折。この選抜メンバー入りは、ようやく手にした努力の賜物だったのだ。

本来就很能干,再加上完美主义。从小开始,无论是学习、唱歌还是跳舞,只要是别人教她的,她都能完美地完成。现在回想起来,对于通过被人夸奖和评价来获得自我肯定感的中元学生来说,不能进入选拔的事实是第一次经历的巨大挫折。这次入选选拔名单,是努力的恩赐。

「あのとき選抜入りできていなければ、大学に進学していたかもしれませんし、あれほど乃木坂での活動に熱中していなかったかもしれません」

“如果当时没能进入选拔,也许就进大学了,也许也就不会那么热衷于乃木坂的活动了。”

しかし、この後しばらく中元が選抜でパフォーマンスすることはなかった。

但是,在这之后的一段时间里,中元都没能作为选拔去表演。


行き過ぎた完璧主義が自らの心身を蝕む

过度的完美主义侵蚀自己的身心

 

中元が再び選抜メンバーとなるのは、それから約2年半後。20歳になって間もなくのことだった。選抜でない間も、その歌唱やダンスは本格派と評され、王道アイドルの代名詞として成長。“アンダー”と呼ばれる選抜以外のメンバーによる楽曲では中心となり歌唱するセンターを務め、ラジオやテレビなどでも存在感を放ち、人気を博した。

中元再次成为选拔成员是在大约2年半之后。那是刚满20岁不久的事。在非选拔期间,其歌唱和舞蹈也被评为王道派,作为王道偶像的代名词不断成长。在被称为“under”的选拔组以外的成员演唱的歌曲中担任center,在广播和电视上也有存在感,博得了人气。

次の楽曲でも中元は続けて選抜入り。誰もがそのポジションの定着を確信し、さらなる活躍が期待されたその頃、中元の心身は人知れず悲鳴を上げていた。

接下来的乐曲中元也继续进入选拔。在所有人都确信他能站稳这个位置,期待他能大展宏图的时候,中元的身心却在悄悄地发出悲鸣。

「選抜への思いが強過ぎたんですね。アンダーのときは、選抜に入ったらこれをやりたい、どうしてなれないんだろう、と悔しい気持ちが原動力になっていました。なのに、実際、選抜入りしたら、次の目標設定を考えられないばかりか、自分の“行き過ぎた完璧主義”に首を絞められていました」

“对选拔的想法太强烈了。under的时候,如果进入选拔想做这个事,为什么没进呢?这种不甘心的心情成为了原动力。但实际上,当我进入选拔后,不仅没能设定好下一个目标,还被自己‘过分的完美主义’勒住了脖子。”

アンダーにはアンダーの役割があり、アンダーメンバーだけで武道館を満員にする実力がある。にもかかわらず、中元自身は選抜にこだわり、入れなければ意味がない、との思いを誰よりも強く持ち続けていた。たとえ高熱があろうとも、リハーサルでさえ休むという選択肢などなく突き進んだ。早朝でも深夜でも100%の笑顔を見せる。プロならそれが当然と考えていたのだ。

under有under的职责,仅under成员就有实力让武士馆满员。尽管如此,中元自己还是执着于选拔,比谁都强烈地认为,不进入就没有意义。即使发高烧,彩排时也不会选择休息,勇往直前。无论清晨还是深夜都能露出100%的笑容。作为专业人士,这是理所当然的。

「ストレスのはけ口が食べることしかなく、高校生の頃から摂食障害になりました。でも当時は、忙しいから仕方がない、そんなことより痩せないと、と思っていました。それが選抜に入ってからは、起き上がれなくなり、涙が止まらなくなるという形で身体に現れるようになりました。そんな自分が許せなくて、『プロなのに』とさらに自らを攻撃してしまう始末」

“压力的发泄方式只有吃,所以从高中开始就患上了进食障碍。但是当时觉得太忙了没办法,但是不瘦下来又不行。在进入选拔后,我变得抬不起头,眼泪止不住地流了出来。我无法原谅这样的自己,于是更加攻击自己。”

やむを得ず選んだのは『体調不良による活動休止』の発表。実際の診断は『適応障害』だった。少しの休息と投薬ですぐ戻れると思っていたが、改善の糸口を見つけることができなかった。

不得已选择了“因身体不适停止活动”的发表。实际诊断是‘适应障碍’。本以为只要稍微休息和吃药就能恢复,但还是找不到改善的方法。

「それでマネージャーさんがカウンセリングを受けてみないかとご提案くださいました。当時の私は、人に相談することに否定的で、何でも自分で解決することが最善と考えていました。このときも、マネージャーさんが親身になって考えてくださったんだから、受けないと申し訳ない、という気持ちだけで。正直、お話しするだけで良くなるの? と懐疑的でした」

“后来,我的经纪人建议我去做心理咨询。当时,我对与人商量这件事持否定态度,认为任何事情都应该自己解决。当时我也只是抱着经纪人为我着想的心情,要是没法接受真是对不起的想法,说实话,我很怀疑,光是告诉对方就能改善吗?”

ところが、これが大きな転機となる。

但是,这却是一个巨大的转机。

「シンプルなやりとりをするだけなのですが、近しい人ではなく、心理的に距離のあるカウンセラーの方に話すということが良かったようです。友人になら何でも話せる、という人もいらっしゃると思うのですが、私は頼もしいと思われたいとか、いい子と思われたいと考えてしまうタイプ。カウンセラーさんなら、話したことで自分の評価や付き合い方が変わるわけではないし、こんな暗い話をしたら申し訳ないからと、キャラクターをまとって話す必要もありません。こうしたらいい、という押しつけがないのも良かった。率直に思いをぶつけ、うわーっと泣いて吐き出すことができました」

“虽然只是简单的交流,也并不是亲近的人,而是对心理上有距离的咨询师说话,感觉似乎很好。我想也有人会说,如果是朋友的话什么都可以谈,但我是那种希望被认为是靠得住的人,希望被认为是好孩子的类型。心理咨询师不会因为说的话而改变对自己的评价和交往方式,也没有必要带上人设,觉得说了这么阴暗的事情很抱歉。没有这种强迫自己该怎么做的想法非常好,我坦率地说出了自己的想法,哭着诉说自己的经历。”

そこから少しずつ自分を取り戻し、次へのステップを考えるようになった。

我开始慢慢找回自我,开始思考下一步该怎么走。

「私は、誰かの役に立っているとか、喜んでもらえたということが自分の原動力になるタイプ。同じように、誰かを救いたいと思うようになりました」

“我是那种会把帮助别人、让别人高兴当成自己原动力的人。同样,也会想要拯救别人。”

そして、2017年12月、6年間の活動に幕を下ろし、芸能界を去った。

2017年12月,她结束了6年的活动,离开了演艺圈。


誰かの役に立ちたい、笑顔にしたい
人生最大の挫折から見つけた希望

想要帮助别人,让他展露笑容
从人生最大的挫折中发现的希望


現在は心理カウンセラー・メンタルトレーナーとして活動しながら、大学で心理学を学ぶ。

现在一边作为心理咨询师活动,一边在大学学习心理学。

「15歳からお仕事を始め、その頃から自分は社会人と考えていたので、お仕事と学業の両立は大前提。2018年春の大学進学でも通信制を選びました」

“15岁开始工作,从那个时候开始就认为自己是社会人,所以兼顾工作和学业是大前提。2018年春天的大学升学也选择了通信制。”

カウンセラーとして相談を受ける立場としてはその若さがハンデとなりそうだが、中元の社会人キャリアは10年以上。中堅といっても差し支えない。

作为心理咨询师接受咨询的立场来说,年轻似乎是一个障碍,但中元的社会人经历在10年以上。说是中坚也无妨。

「相談に来られる方は私より年上の方が多いです。最初は頼りないと思われないかなという心配もありましたが、“年が近い方が話しやすい”、“若い人に聞いてもらいたい”という方が一定数いらっしゃいました。『中元先生』と呼ばれると今も恐縮しますが、何歳でもいいんだと思えるようになりました」

“来咨询的人大多都比我年长。一开始我也担心他们会不会觉得我不靠谱,但还是有一定数量的人说‘年龄相仿的人比较容易沟通’、‘想让年轻人听听’。现在听到‘中元老师’的称呼,还是会感到很惶恐,但现在觉得几岁都无所谓。”

芸能界から身を引いてすぐの頃は、『乃木坂46』の名前を出すことやメディアに出演することを頑なに拒んでいたというが、今はちがう。

刚退出演艺圈的时候,她十分抗拒在媒体上出现的“乃木坂46”的名字,但现在不同了。

「私が診断されたころは、書店やネットで『適応障害』の関連書籍や記事を探しても数が少なくて。カウンセラーへの道を決めたときも『その仕事って需要あるの?』と言われたりしました。それが逆に私に火をつけて、だったら私が広めて、ひとりでも多くの悩んでいる人の役に立とう、と思ったのです。それなら、自分がどうしたいということも大事だけれど、取材なども積極的に受けて、カウンセラーとして発信することにも前向きに取り組むべきでは、と思うようになりました」

“我刚被诊断出来的时候,在书店和网上找有关‘适应障碍’的书籍和报道都很少。当我决定成为心理咨询师的时候,也有人问我‘这个工作会有需求吗?’这反而点燃了我的志气,我想,既然如此,我就传播出去,帮助更多有烦恼的人。这样的话,自己想怎么做固然重要,但也应该积极地接受采访,作为心理咨询师积极地传达信息。”

自己肯定感は今も低い。だがそれゆえに、相手の気持ちを察する能力だけは人より長けている。そこがカウンセラーとしての強みだと中元は自負する。

自我肯定感现在也很低。但正因为如此,她比别人更善于体察对方的心情。中元自豪地说,这是作为心理咨询师的强项。

「クライアント様に『ありがとう』と言われることで、私も救われています。いろんな方のお話を聞くことで、自分の成長にもつながっていると感じています」

“客户对我说‘谢谢’的同时也拯救了我。听了很多人的话,我感觉自己也得到了成长。”

心理咨询时的必需品(图片右侧)。自制心理咨询表,用心与客户进行细致的交流

中元のカウンセリングは完全リモート。スタート時は「クリニックを持つのはハードルが高い」からだったが、今はそのメリットの大きさに気づいた。

中元的咨询是完全远程。刚开始的时候是因为“开诊所门槛太高”,但现在我意识到了这个好处的巨大。

咨询可以远程进行。客户们纷纷表示:“亲切地听我说话后心情轻松多了。”“让我发现了真正的自己。”

「相談したいけれど、近くにクリニックがないとか、会社や学校にカウンセリングルームはあるけれど周りに知られたくないなど、クリニックに行くのは敷居が高い、と感じる方が多くいらっしゃいました。リモートならどこからでも、周りを気にせず、気軽にカウンセリングが受けられるようです」

“虽然想咨询,但是附近没有诊所,或者公司和学校都有咨询室,但是不想让周围的人知道,很多人都觉得去诊所的门槛很高。而远程的话不管在哪里,都可以轻松地接受咨询。”

自分は「カウンセリングの入り口になりたい」と語る。

她说“想成为别人了解心理咨询的入口”。

「権威ある資格を持っていたり、有名な病院でお勤めの優秀なカウンセラーさんはたくさんいらして、正直、経験的にもまだまだ敵いません。一方で、アイドル時代からどんな人物か知っているからとか、年齢が近いから、という理由でカウンセリングを受けてみようと思ってくださった方も多くいらっしゃいます。とはいえ、私がブログやラジオで発信しているのは、私のところに来て、ということではありません。私の話を聞いて、じゃあ学校のカウンセリングルームに行ってみようかなとか、クリニックを探してみようという風に、一歩踏み出すきっかけになれたらと考えています」

“有很多拥有权威资格或在知名医院工作的优秀心理咨询师,说实话,从经验上来说,我还无法与之匹敌。另一方面,也有很多人因为从偶像时代就知道自己是什么样的人,或者因为年龄相近等理由想要去接受心理咨询。话虽如此,并不是说我在博客和广播上发表了相应内容就来找我咨询了。听了我的话,然后想着,那就去学校的心理咨询室看看吧,或者去诊所看看吧,想成为这样迈出第一步的契机。”

中元自身は来春で大学を卒業。いよいよカウンセラーの道に専念していく。

中元自己明年春天大学毕业。终于要专心做心理咨询师了。

「カウンセリングはもちろんですが、コロナ禍以前は心理学部のある大学のオープンキャンパスでお話させていただいたりしたんです。今後はそういった発信活動にも力を入れたいです」

“心理咨询自不必说,新冠以前,我还曾在心理学系某大学的校园开放日上做过演讲。今后,我也想致力于这样的宣传活动。”

気を抜くと、逆に詰め込んで頑張りすぎてしまう性格は変わらない。しかし、今は自分を頼ってくれるクライアントがいる。その心に寄り添うためには自分自身が心身ともに健康でいなければいけない。アイドル時代には気づけなかったことを今、実感している。

一旦松懈,反而会变得过于拼命。但是,现在有了依赖自己的客户。为了贴近内心,自己必须保持身心健康。偶像时代没有注意到的事情,现在有了切身体会。

「人生はどうなるかわからないです。春からはどうなるでしょうか」

“不知道人生会变成什么样,从春天开始会变成什么样呢?”

そう笑いながら未来に思いを馳せた瞳は、取材中でいちばん輝いていた。

边笑边畅想未来的眼睛,是采访中最闪亮的。

若過ぎるとか、年を取り過ぎたという言葉をよく耳にするが、夢を叶えるのに年齢は障害にならない。そのときの自分にできることが必ずあるから。

虽然经常听到“太年轻、太老”等说法,但在实现梦想的过程中,年龄并不是障碍。因为总有这个时候的自己一定有能做的事。

来春27歳。重ねた経験と今持つ力を武器に、中元のまた新たなステージが始動する。

明年春天27岁。以积累的经验和现在拥有的力量为武器,中元的又一个崭新的舞台开始了。

 

中元 日芽香(なかもと・ひめか)

心理カウンセラー・メンタルトレーナー

1996年生まれ、広島県出身。早稲田大学在学中。日本推進カウンセラー協会認定、心理カウンセラー&メンタルトレーナー。2011年から6年間、アイドルグループ「乃木坂46」のメンバーとして活動。2017年にグループを卒業後、認知行動療法やカウンセリング学などを学び、2018年、カウンセリングサロン「モニカと私」を開設。心理カウンセラーとして活動を始める。著書に「ありがとう、わたし~乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで~」(文藝春秋)がある。

中元日芽香(nakamoto himeka)
心理咨询师.心理指导师
1996年出生,广岛县人。就读于早稻田大学。日本推进心理咨询协会认定,心理咨询师&心理指导师。2011年开始的6年间,作为偶像组合乃木坂46的成员进行活动。2017年从组合毕业后,开始学习认知行为疗法和心理咨询学等,2018年开设心理咨询沙龙“望日香与我”。开始作为心理咨询师活动。著作有《谢谢我自己~从乃木坂46毕业到成为心理咨询师~》(文艺春秋)。

 


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