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日本小5课文:4篇古文稍作了解【久我Masahi的日语课堂】#73

2020-11-23 22:30 作者:久我まさひ  | 我要投稿

長い年月を経て、今日まで読み継がれてきた作品を古典と言います。(经过漫长的年月,至今继续被人们所读的作品叫作古典。)

千年以上の昔から、人々は、どのようなものを楽しみ、何を見て、どんな気持ちを抱いていたのでしょう—。古典を読み、昔の人々の心に触れてみましょう。(千年以上的从前,人们以何为乐,看什么,抱有怎样的感情呢?通过读古典,接触古人们的内心吧。)

多くの人に知られている古典の、始まりの部分です。(这是众所周知的古典的开头部分。)

言葉の響きやリズムを味わったり、様子を想像したりしながら、声に出して読みましょう。(一边品位语言的发音韵律等,展开想象,一边发出声音朗读吧。)

小学阶段的古文对古典语法不作要求,所以本课也不讲解古典语法,等到我码初中内容的时候会详细写。各位可以对照古文和现代日文先熟悉一下。要注意的是古文部分,加上括号的,是现代的读音。

竹取物語

「竹取物語」は、千年以上も前に書かれた物語です。作者は分かっていません。この物語は、今は、「輝夜姫」の名でも知られています。(《竹取物语》是写于千年以上的故事。作者不详。这个故事如今以《辉夜姬》之名为人所知。)

物語の中の、現実には起こらないような不思議な出来事にわくわくするのは、昔の人も、今の私達も、同じなのでしょう。(或许古人和我们都一样,对于故事中所发生的现实中不会发生的不可思议的事感到激动不已吧?)

古文

今は昔、竹取の翁(おきな)といふ(う)ものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづ(ず)のことに使ひ(い)けり。名をば、さぬきのみやつことなむ(ん)ひ(い)ける。

その竹の中に、もと光る竹なむ(ん)一筋(ひとすじ)ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸(ずん)ばかりなる人、いとうつくしう(しゅう)ゐ(い)たり。

现代文

昔、竹取の翁と呼ばれる人がいた。翁は、野山に分け入って竹を取っては、色々な物を作るのに使っていた。名前を「さぬきのみやつこ」といった。(从前,有个被称作竹取老翁的人。老翁进山野砍竹,把竹子做成各种各样的东西使用。其名为“讃岐造”。)

ある日のこと、その竹林の中に、根元の光る竹が一本あった。不思議に思って、近寄って見ると、筒の中が光っている。それを見ると、手に乗るぐらいの小さな人が、とても可愛らしい様子で座っていた。(某日,竹林中有一根竹子的根部发亮。老翁感到不可思议地走近一看,竹内发着光。只见一个小到几乎可以坐在手上的非常可爱的人坐在里面。)

平家物語

「平家(へいけ)物語」は、平家と呼ばれる武士の一族が、栄え滅んでゆくさまを書いた作品です。作者は分かっていません。(《平家物语》是讲述了平家的武士一族由盛转衰的作品。作者不详。)

移り変わる時代と、その中を生きる人々の姿に、昔の人は何を感じたのでしょうか。(对于时代的变迁以及当时生活着的人们的样子,古人感受到了什么呢?)

古文

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。

紗羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらは(わ)す。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜(よ)の夢のごとし。

たけき者もつひ(い)には滅びぬ、ひとへ(え)に風の前の塵(ちり)に同じ。

现代文

祇園精舎の鐘の音は、「全ての物事は移り変わる」と言うことを人に思い起こさせる響きがある。紗羅双樹の花の姿は、勢いの盛んな者もいつかは衰える(おとろえる)と言う道理を示している。驕り高ぶる人も長くは続かず、ただ春の夜の夢のように儚い(はかない)。強い者も最後には滅びる。まさに風に吹き飛ぶ塵と同じである。(祇园精舍的钟声,警示人们诸行无常。娑罗双树的花的样子,启示胜者必衰的道理。骄傲自大之人也不长久,宛若春夜的黄粱一梦。强者也必终覆灭。如同被风吹走的尘埃。)

徒然草

「徒然草(つれづれぐさ)」は、人間の生活や行動、移りゆく自然の姿などについて書かれた作品です。作者である兼好法師(けんこうほうし)の、物の見方や考え方が表れています。(《徒然草》是书写了人们的生活行动、变化的自然等的作品。表现出了作者兼好法师看待事物的见解和想法。)

古文

つれづれなるままに、日暮(ぐ)らし、硯(すずり)に向かひ(い)て、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしう(しゅう)こそものぐるほ(お)しけれ。

现代文

することがなく、退屈であるのに任せて、一日中、硯に向かいながら、心に次々と浮かんでは消えていく、取り留めもないことを、何という当てもなく書き付けていると、妙に心が乱れて、落ち着いていられない。(百无聊赖中,一整日对着砚台,漫无目的地写着不断浮上心头的拉拉杂杂的事,感到烦躁静不下心。)

奥の細道

「奥の細道」は、松尾芭蕉(まつおばしょう)が、江戸(現在の東京)を出発し、弟子の曾良(そら)とともに、東北·北陸の各地を経て大垣(おおがき)(現在の岐阜県大垣市の辺り)に至るまでの旅を記した紀行文です。(《奥之細道》是记述了松尾芭蕉与弟子曾良一起,于江户(现在的东京)出发,经过东北·北路各地到达大垣(现在的岐阜县大垣市一带)的游记文。)

旅先で見聞きしたことに心を動かされ、書き綴る気持ちは、今の私達と同じだったのでしょうか。(在旅途中,书写下深受打动的所见所闻的心情,与如今的我们一样吧?)

古文

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆ)きかふ(こう)年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへ(え)て老いを迎ふ(むこう)る者は、日々旅にして旅をすみかとす。

现代文

月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、過ぎ去っては新しくやって来る年もまた旅人に似ている。一生を舟の上で暮らす船頭や、馬の轡(くつわ)を取って老年を迎える馬子(まご)(馬を引いて、人や荷物を運ぶ仕事をする人)などは、毎日毎日が旅であって、旅そのものを自分のすみかとしている。(岁月如同永远在旅行的旅人一样,岁月逝去后迎来的新年也如同旅人一般。一生在船上生活的船夫,牵着马辔迎来老年的马夫(从事牵着马,搬运人或货物工作的人)等,每日每日都在旅行,把旅行本身视作自己的归宿。)

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