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第五章 不要为攻守的选择找借口

2023-02-11 04:20 作者:ProjektRed  | 我要投稿

※版权说明:译者本人仅对本书进行汉化翻译,汉化内容中的所有被译话语,仅代表译者本人的立场。原书一切版权均归佐々木寿人所有。未经授权允许,严禁转载。

第五章 不要为攻守的选择找借口


心灵和灵魂的力量


麻将是一种攻守平衡非常重要的游戏,任何时候都是进攻一边倒的策略是无法取胜的,而总是在对手立直后完全弃和也是同样无法取胜的。什么时候攻到什么程度,什么时候如何防守,这是我们多年来学习的东西,但无论我们多么有经验,都有可能偏离重心,做出错误的判断。

这么一想,我再次认识到保持一定的精神力的重要性和难度。大家应该都明白了吧,过去的大多数失败都是由内心的软弱造成的。

因此,考虑到这一点,让我们来看看下面的手牌。

东一局 北家 第八巡的手牌 进张6s 宝牌 西

这一手牌本身是相当好的,如果能很好地使用宝牌的话高打点也是可以预见的,问题在于南家的立直。

首先可以看作是好形的面子手吧,最终手切的两张饼子是预料到会自摸赤宝牌,还是已经被编入手牌中了呢但无论如何,它们都是可怕的。

我在这里摸到的是6s。如果没有任何限制的话,当然可以切掉,但是面对立直而言是很难切掉的。没有办法, 只好把饼子的搭子拆掉先看看情况。这或许也是大多数人的做法。

那么如果是这样呢?

这里已经是宝牌对子的一向听,即使碰到了先制立直,打出饼子未免也太弱了。是切出6s,还是预想到567的三色变化而切出9s,这是一个见仁见智的问题,但似乎无论如何都会打出索子。

和前一手牌的差别就只有宝牌形成了对子而已,单从形状上来说,这副牌可能更糟糕。出现这种不同打法的情况是为什么呢?因为大家都在寻找支持打牌的理由。换句话说,我想要一个输了比赛我可以接受的借口。宝牌如果形成对子的话还可以,但是要是拿到前一副手牌就没有值得继续推进的好处了。

这就是弱者之心所在。

 

开拓未来的力量

 

但凡事都要看想法。

简单地、尽可能简单地思考会怎样呢?“对方有5成以上是等4p7p吧。不,差不多都是这样了吧。如果是这样的话,等到宝牌单骑就能一决胜负了,这边也是等4p7p的话就是同听。并不是说因为站在前面就一定要放铳。”

这里的关键是能否把这手牌当成胜负手。诚然,只有一张宝牌浮牌,但它不会摸成重叠的对子的理由哪里都没有,而且我认为先用7s8s填补手牌,再打宝牌立直也大有可能吧。

虽然我这么说,但还是有很多人会那样子想吧。

那如果是下面这手牌会怎样呢?

即使是这样的牌也还是害怕一发,总之先打南吧(可能会通过吧)。明明是能看到倍满的机会吗?你能以这样的姿势从一开始就成为top吗?

那这个呢!

国士无双的一向听,5s是庄家现物,先不说先切哪一个,反正这是要一决胜负的吧?!

虽然有点绕来绕去,但我到底想说什么呢?对于输赢的事,尽量保持积极的思考比较好。打麻将赢不了的人,在同样的地方原地踏步的倾向很强。

不想放铳的想法比什么都重要,所以很多时候往往会错过了制胜点。重要的是如何获得优势以取得领先,但他们忽略了这一部分,想弃战而逃。这样的话,前面的景色是绝对看不到的。

“如果径直往前走的话……”对于每次都这么说的人而言,那么下次去看看吧,充满希望的未来可能正在等待着。

一边躲避放铳一边取胜什么的是根本不可能的事情。



5話 攻守の選択に口実を求めるな

 

心魂の強弱

 

麻雀は攻守のバランスが非常に大切なゲームである。

いつでも攻め一辺倒という打ち手は勝てないし、相手のリーチを受けていつもベタオリの打ち手もやっぱり勝てない。

どういうときにどこまで攻めて、どういうときにどう守るか。 これを我々は何年もの歳月をかけて身につけていくわけだが、どんなに経験を積んだ者であっても軸がブレたり状況判断を誤ることがある。

そう考えると精神状態を一定に保つことの大切さ、そして難しさを再認識させられる。

皆さんもおわかりであろう。

過去の敗戦のほとんどが心の弱さからくるものであるということを。

ではそれをふまえ以下の手牌をご覧いただこう。

東1局北家8巡目の手牌、

手牌自体はかなりのものだ。

ドラを上手く使い切ることができれば高打点も見込める。 問題は南家のリーチである。

まず好形のメンツ手と見ていいだろう。最終2枚のピンズ手出しが赤引きを見越したものか、 それとも既に組み込まれているのか、いずれにせよ怖さを物語る。

そこに持ってきたのが 6s だ。

何の制約もなければ当然ツモ切りとなるが、さすがにリーチには切り辛い。仕方がないからピンズのターツを外して様子見。これが大方の出方といったところだろうか。

ではこれならどうか。

こちらは既にドラがトイツのイーシャンテン。いくら先行リーチが入っているとはいえピンズ払いはあまりに弱すぎる。

6s 切りとなるのか、567の三色変化まで見越して 9s 切りとなるかは意見の分かれるところだが、いずれソーズを打ち出していくことにはなりそうだ。

前の手牌との差はドラがトイツであることくらいのもので、形だけでいえばこちらの方が悪くもあるのにである。

それは何故か。

皆が皆、打牌に対して背中を押してくれる理由を求めているからだ。

言い換えれば勝負に負けたときに納得できる口実が欲しいのである。ドラがトイツならまだしも前の手牌からでは押すだけのメリットがない。

これが気持ちの弱い打ち手の行き着くところだろう。

 

未来を切り開く力

 

だが物事というのは何事も考え方次第である。

シンプルに、できるだけシンプルに考えるとどうなっていくか。

「相手の5割以上は 4p7p 待ちだろ。いや、もうほとんどそれじゃないか。そうと決まればドラの単騎待ちになったって勝負できるな。こっちも 4p7p なら同テン。 前に出たからといって放銃すると決まったわけじゃない」

要はこの手牌を勝負手と捉えるかどうかなのである。

確かにドラは1枚浮いたっきりだがこれが重ならないという理由はどこにもないし、先に 7s8s が埋まってドラ切りのリーチを打つのも大いにアリだと思うのだ。

そうは言われても、という方もたくさんいるだろう。

ではこんな手ならどうか。

これでも一発が怖くてとりあえず 南 を打ちますか(たぶん通るだろうけどさ)。

倍満も見えるチャンスなのに? ハナからそんな姿勢でトップがとれますか?

じゃあこれならどうだ!

国士無双のイーシャンテンで、 5s は親の現物で持ってたんだって。

どっちを先に切るのかは別にしてもさすがにこれなら勝負するでしょ?!

少し回りくどくなったが、結局私は何が言いたいか。勝負事はできるだけポジティブな思考を持っていたほうがいいということである。今ひとつ麻雀で勝ち切れないという人は同じようなところで足踏みしてしまう傾向が強いのだ。

放銃したくないという思いが何より勝ってしまうから、勝負所を逸することも多い。 肝心なことはトップをとるためにどうやって有利な展開に持っていくかなのに、そこの部分をおろそかにして戦いに背を向けたがる。

これではその先の景色というものが絶対に見えてこない。

「真っ直ぐ行っておけば・・・」

毎度こう言っている人に、じゃあ今度は行ってみましょうか。希望に満ち溢れた未来が待っているかもしれませんよ。

放銃を避けながら勝とうだなんて土台無理な話なんですから。



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