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日语《我是猫》第二章(3/4和4/4)

2023-01-06 17:51 作者:日本异文化  | 我要投稿

「廿世紀の今日こんにち交通の頻繁ひんぱん、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄そろおりから、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬ローマ人に傚ならって此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候そろ事と自信致候いたしそろ。左さもなくば切角せっかくの大国民も近き将来に於て悉ことごとく大兄の如く胃病患者と相成る事と窃ひそかに心痛罷まかりあり候そろ……」 また大兄のごとくか、癪しゃくに障さわる男だと主人が思う。 「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂いわば禍わざわいを未萌みほうに防ぐの功徳くどくにも相成り平素逸楽いつらくを擅ほしいままに致し候そろ御恩返も相立ち可申もうすべくと存候ぞんじそろ……」 何だか妙だなと首を捻ひねる。 「依よって此間中じゅうよりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟しょうりょう致し居候おりそうらえども未いまだに発見の端緒たんしょをも見出みいだし得ざるは残念の至に存候ぞんじそろ。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事そろことは成功するまでは決して中絶仕つかまつらざる性質に候えば嘔吐方おうとほうを再興致し候そろも遠からぬうちと信じ居り候そろ次第。右は発見次第御報道可仕候つかまつるべくそろにつき、左様御承知可被下候くださるべくそろ。就ついてはさきに申上候そろトチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成あいなるべくは右発見後に致し度たく、左さすれば小生の都合は勿論もちろん、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜ごべんぎかと存候ぞんじそろ草々不備」 何だとうとう担かつがれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞しまいまで本気にして読んでいた。新年匆々そうそうこんな悪戯いたずらをやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。 それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁はくじの水仙がだんだん凋しぼんで、青軸あおじくの梅が瓶びんながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度いちりょうど三毛子を訪問して見たが逢あわれない。最初は留守だと思ったが、二返目へんめには病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水鉢ちょうずばちの葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。 「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ何なんにも食べません、あったかにして御火燵おこたに寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。 一方では自分の境遇と比べて見て羨うらやましくもあるが、一方では己おのが愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。 「どうも困るね、御飯をたべないと、身体からだが疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日御饍ごぜんをいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」 下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この家うちでは下女より猫の方が大切かも知れない。 「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪かぜでも引いたのかって私の脈みゃくをとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、抛ほうっておいたら今に癒なおるだろうってんですもの、あんまり苛ひどいじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛を懐ふところへ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」 「ほんにねえ」は到底とうてい吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院てんしょういん様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだ雅がであると感心した。 「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉のどが痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳おせきが出ますからね……」 天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀ていねいな言葉を使う。 「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖ふえた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌ろくな者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」 下女は大おおいに感動している。 「風邪かぜを引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」 下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。 「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の所とこにいる薄ぎたない雄猫おねこでございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥がちょうが絞しめ殺されるような声を出す人でござんす」 鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽うがいをやる時、楊枝ようじで咽喉のどをつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日きょうまで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底とうてい想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。 「あんな声を出して何の呪まじないになるか知らん。御維新前ごいっしんまえは中間ちゅうげんでも草履ぞうり取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」 下女は無暗むやみに感服しては、無暗にねえを使用する。 「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫のらねこさ、今度来たら少し叩たたいておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐かたきをとってやります」 飛んだ冤罪えんざいを蒙こうむったものだ。こいつは滅多めったに近ちか寄よれないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。 帰って見ると主人は書斎の中うちで何か沈吟ちんぎんの体ていで筆を執とっている。二絃琴にげんきんの御師匠さんの所とこで聞いた評判を話したら、さぞ怒おこるだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。 ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然ひょうぜんとやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰だれの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中うちにあると云う事さ」「冗談じょうだんじゃない。孔雀の舌の讐かたきを際きわどいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹ほらふきとは違うさ」と口髯くちひげを捻ひねる。泰然たるものだ。「昔むかしある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子まごの書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家ほんけのような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師だいとうこくしの遺誡ゆいかいを読むような声を出して読み始める。「巨人きょじん、引力いんりょく」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々そうそう本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑まぜかえしてはいかんよ」と予あらかじめ念を押してまた読み始める。 ケートは窓から外面そとを眺ながめる。小児しょうにが球たまを投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲なげうつ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己おのれの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」 「それぎりかい」「むむ、甘うまいじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボーの御返礼に預あずかった」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆ぎりょうあらんとは、全く此度こんどという今度こんどは担かつがれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌しゃべる。主人には一向いっこう通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄すごいものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近えんきん無差別むさべつ黒白こくびゃく平等びょうどうの水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違かんちがいをしている。 ところへ寒月かんげつ君が先日は失礼しましたと這入はいって来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治たいじられたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左さのみ浮かれた気色けしきもない。「先日は君の紹介で越智東風おちとうふうと云う人が来たよ」「ああ上あがりましたか、あの越智東風おちこちと云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上あがっても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈こうしゃくをするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風こちと云うのを音おんで読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮きんからかわの煙草入たばこいれから煙草をつまみ出す。「私わたくしの名は越智東風おちとうふうではありません、越智おちこちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井くもいを腹の底まで呑のみ込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語せいごになる、のみならずその姓名が韻いんを踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風こちを音おんで読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔あなまで吐き返す。途中で煙が戸迷とまどいをして咽喉のどの出口へ引きかかる。先生は煙管きせるを握ってごほんごほんと咽むせび返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管きせるで膝頭ひざがしらを叩たたく。吾輩は険呑けんのんになったから少し傍そばを離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰えらんで金色夜叉こんじきやしゃにしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮おみやですといったのさ。東風とうふうの御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采かっさいしようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀くじゃくの舌とトチメンボーの復讐かたきを一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳ぎょうとくの俎まないたと云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解かいさないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化ごまかしつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率しんそつに聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿さしたのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管きせるを大神楽だいかぐらのごとく指の尖さきで廻わす。「どんな経験か、聞かし玉たまえ」と主人は行徳の俎を遠く後うしろに見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左さのごとくである。 「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風とうふうから参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先さき触ぶれがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物こっけいものを読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがストーブを焚たいて室へやを煖あたたかにしてやらないと風邪かぜを引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気のんきな僕もその時だけは大おおいに感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体もったいない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜ロシアと戦争が始まって若い人達は大変な辛苦しんくをして御国みくにのために働らいているのに節季師走せっきしわすでもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以もって来て、僕の小学校時代の朋友ほうゆうで今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気あじきなくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番仕舞しまいにね。私わたしも取る年に候えば初春はつはるの御雑煮おぞうにを祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風とうふうが来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免蒙こうむる事に極きめてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手どて三番町さんばんちょうの方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠おほりの向むこうから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂かぐらざかの方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎる。大変淋さみしい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳かけ廻めぐる。よく人が首を縊くくると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間まにか例の松の真下ましたに来ているのさ」 「例の松た、何だい」と主人が断句だんくを投げ入れる。 「首懸くびかけの松さ」と迷亭は領えりを縮める。 「首懸の松は鴻こうの台だいでしょう」寒月が波紋はもんをひろげる。 「鴻こうの台だいのは鐘懸かねかけの松で、土手三番町のは首懸くびかけの松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔むかしからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊くくりたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊くびくくりだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三返べんはきっとぶら下がっている。どうしても他ほかの松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺あたりを見渡すと生憎あいにく誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、危あぶないからよそう。しかし昔の希臘人ギリシャじんは宴会の席で首縊くびくくりの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端に他ほかのものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向しゅこうである。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓しわる。撓り按排あんばいが実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風とうふうが来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまず東風とうふうに逢あって約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」 「それで市いちが栄えたのかい」と主人が聞く。 「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。 「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし今日こんにちは無拠処よんどころなき差支さしつかえがあって出られぬ、いずれ永日えいじつ御面晤ごめんごを期すという端書はがきがあったので、やっと安心して、これなら心置きなく首が縊くくれる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。 「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦じれる。 「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐ひもをひねくる。 「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神しにがみに取り着かれたんだね。ゼームスなどに云わせると副意識下の幽冥界ゆうめいかいと僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応かんのうしたんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。 主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅くうやもちを頬張ほおばって口をもごもご云わしている。 寒月は火鉢の灰を丁寧に掻かき馴ならして、俯向うつむいてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。 「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」 「おや君も首を縊くくりたくなったのかい」 「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」 「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。 「その日は向島の知人の家うちで忘年会兼けん合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携たずさえて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐ばんさんもすみ合奏もすんで四方よもの話しが出て時刻も大分だいぶ遅くなったから、もう暇乞いとまごいをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はその両三日前りょうさんにちまえに逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいて精くわしく様子を聞いて見ますと、私わたくしの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語うわごとを絶間なく口走くちばしるそうで、それだけなら宜いいですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」 主人は無論、迷亭先生も「御安おやすくないね」などという月並つきなみは云わず、静粛に謹聴している。 「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇はげしいので脳を犯しているから、もし睡眠剤すいみんざいが思うように功を奏しないと危険であると云う診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」 「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二返へんばかり聞えるようだが、もし差支さしつかえがなければ承うけたまわりたいね、君」と主人を顧かえりみると、主人も「うむ」と生返事なまへんじをする。 「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんから廃よしましょう」 「すべて曖々然あいあいぜんとして昧々然まいまいぜんたるかたで行くつもりかね」 「冷笑なさってはいけません、極真面目ごくまじめな話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実に飛花落葉ひからくようの感慨で胸が一杯になって、総身そうしんの活気が一度にストライキを起したように元気がにわかに滅入めいってしまいまして、ただ蹌々そうそうとして踉々ろうろうという形かたちで吾妻橋あずまばしへきかかったのです。欄干に倚よって下を見ると満潮まんちょうか干潮かんちょうか分りませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。花川戸はなかわどの方から人力車が一台馳かけて来て橋の上を通りました。その提灯ちょうちんの火を見送っていると、だんだん小くなって札幌さっぽろビールの処で消えました。私はまた水を見る。すると遥はるかの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水の面おもてをすかして見ましたが暗くて何なんにも分りません。気のせいに違いない早々そうそう帰ろうと思って一足二足あるき出すと、また微かすかな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕つかまっていながら膝頭ひざがしらががくがく悸ふるえ出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですが紛まぎれもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「はーい」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月も何なんにも見えません。その時に私はこの「夜よる」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今直すぐに行きます」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声が浪なみの下から無理に洩もれて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めて一反いったん飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」 「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。 「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。 「飛び込んだ後あとは気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡ぬれた所とこも何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後うしろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐ひもを荷厄介にやっかいにしている。 「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。 「二三日前にさんちまえ年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」 主人は最前から沈思の体ていであったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。 「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。 「僕のも去年の暮の事だ」 「みんな去年の暮は暗合あんごうで妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちに空也餅くうやもちが着いている。 「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。 「いや日は違うようだ。何でも二十日はつか頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾せっつだいじょうを聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷うなぎだにだと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川ほりかわだからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりで実みがないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非摂津せっつの三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すっても宜いいでしょうと手詰てづめの談判をする。御前がそんなに行きたいなら行っても宜よろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だから到底とうてい突懸つっかけに行ったって這入はいれる気遣きづかいはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものが在あってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君は凄すごい眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数てすうのかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒おかんがし出してね」 「奥さんがですか」と寒月が聞く。 「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に萎縮いしゅくする感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」 「急病だね」と迷亭が註釈を加える。 「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非叶かなえてやりたい。平生いつも叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上しんしょうの苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水さいそうしんすいの労に酬むくいた事はない。今日は幸い時間もある、嚢中のうちゅうには四五枚の堵物とぶつもある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、靴脱くつぬぎへ降りる事も出来ない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘木あまき医学士を迎いにやると生憎あいにく昨夜ゆうべが当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今杏仁水きょうにんすいでも飲めば四時前にはきっと癒なおるに極きまっているんだが、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりと外はずれそうになって来る。細君は恨うらめしい顔付をして、到底とうていいらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますます劇はげしくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行りこうする事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。情なさけない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内に有為転変ういてんぺんの理、生者必滅しょうじゃひつめつの道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫おっとの妻つまに対する義務ではあるまいかと考え出した。僕は速すみやかに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋の諺ことわざくらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、宜よろしゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇学校ヤソがっこうの卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常な権幕けんまくなんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全く妻さいを愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒おかんと眩暈めまいで少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少し急せき込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕が悪わるい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌もろはだを脱いで御化粧をして、箪笥たんすから着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云う風情ふぜいで待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻さいを褒ほめるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸で磨みがき上げた皮膚がぴかついて黒縮緬くろちりめんの羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾せっつだいじょうを聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺ながめて、手を握って、胸を敲たたいて背を撫なでて、目縁まぶちを引っ繰り返して、頭蓋骨ずがいこつをさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑けんのんのような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致しても差支さしつかえはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくも頓服とんぷくと水薬すいやくを上げますから」「へえどうか、何だかちと、危あぶないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命で馳かけ出して行って、馳かけ出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急に嘔気はきけを催もよおして来た。細君は水薬すいやくを茶碗へ注ついで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者が吶喊とっかんして出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲おのみになったら宜いいでしょう」と逼せまる。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーが執念深しゅうねんぶかく妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共に吐はき気けがすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」 「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。 「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入はいれないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、妻さいも満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」 語り了おわった主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。 寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。 迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫おっとを持った妻君は実に仕合せだな」と独ひとり言ごとのようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払せきばらいが聞える。 吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰つぶすために強しいて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人の我儘わがままで偏狭へんきょうな事は前から承知していたが、平常ふだんは言葉数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑けいべつしたくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚ぐにもつかぬ駄弁を弄ろうすれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平たいへいの逸民いつみんで、彼等は糸瓜へちまのごとく風に吹かれて超然と澄すまし切っているようなものの、その実はやはり娑婆気しゃばけもあり慾気よくけもある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒ばとうしている俗骨共ぞっこつどもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通はんかつうのごとく、文切もんきり形がたの厭味を帯びてないのはいささかの取とり得えでもあろう。 こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て来きようかと二絃琴にげんきんの御師匠さんの庭口へ廻る。門松かどまつ注目飾しめかざりはすでに取り払われて正月も早はや十日となったが、うららかな春日はるびは一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面おもも元日の曙光しょこうを受けた時より鮮あざやかな活気を呈している。椽側に座蒲団ざぶとんが一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しは宜いい方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合けわいもしないから、泥足のまま椽側えんがわへ上あがって座蒲団の真中へ寝転ねころんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。 「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。 「はい遅くなりまして、仏師屋ぶっしやへ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。金きんは剥はげる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌いはいよりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女みょうよしんにょの誉の字は崩くずした方が恰好かっこうがいいから少し劃かくを易かえたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」 三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫誉信女なむみょうよしんにょ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。 「御前も回向えこうをしておやりなさい」 チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸どうきがして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫きぼりの猫のように眼も動かさない。 「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪かぜを引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様ひとさまの事を悪く云うものではない。これも寿命じゅみょうだから」 三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。 「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫のらねこが無暗むやみに誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生ちきしょうが三毛のかたきでございますよ」 少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾つばを呑んで聞いている。話しはしばし途切とぎれる。 「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死はやじにをするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人ふたりとはおりませんからね」 二匹と云う代りに二ふたりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属ねこぞくとはなはだ類似している。 「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良のらが死ぬと御誂おあつらえ通りに参ったんでございますがねえ」 御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺ひけしつぼの中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋ふたをした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代みがわりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。 「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名かいみょうをこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果報者かほうものでございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺げっけいじさんは、ええ利目ききめのあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」 吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。 「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」 吾輩はその後ご野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団ふとんをすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震みぶるいをした。その後ご二絃琴にげんきんの御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向ごえこうを受けているだろう。 近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵ものうく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫ぶしょうねことなった。主人が書斎にのみ閉じ籠こもっているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。 鼠ねずみはまだ取った事がないので、一時は御三おさんから放逐論ほうちくろんさえ呈出ていしゅつされた事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家やに起臥きがしている。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼かつがんに対して敬服の意を表するに躊躇ちゅうちょしないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎ひだりじんごろうが出て来て、吾輩の肖像を楼門ろうもんの柱に刻きざみ、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描えがくようになったら、彼等鈍瞎漢どんかつかんは始めて自己の不明を恥はずるであろう。

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