老荘思想における「道」と「徳」

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作者:那假的木屋(来自豆瓣)
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今まで習ってきた思想のうちに最も興味を持っているのは老子が代表としての老荘思想である。老子(紀元前6~5世紀)は中国の春秋戦国時代における哲学者である。その時代には様々説が唱えられていた。孔子や孟子が代表とする儒学や老子から始まる老荘思想のほか、法家、墨家、兵家などが現れてきた。言うまでもなく、彼らの思想を伝えるには書物が欠くべからざるものである。『老子』はわずかな五千字の書物であり、いつ書かれたのに関し、多くの説があるが、それはさておき、老子の思想のなかにある重要な部分をみていきたい。『史記』「老子韓非列伝」によれば、關令尹喜に、書を著すことを頼まれ、老子は書を上下篇著し、道徳の意味を五千字余り云い、何処かに去ったということである。『老子』に説かれる「道」と「徳」との意味は今現在の「道徳」の意味とは異なり、独自の意味を持っている。「道」は天地が生まれる前、この世界の根源である存在だと考えられ、名前もなく、呼ぶこともできず、すなわち「無」である。万物は「道」から生まれてきたのであり、「道」もおのずから刻々と変化していると述べている。「道」を見つめるためには、世の中の欲望から離れ、無欲にならねばなるまい。「道」により万物が生じられた後、それを育て、万物のあるべき形で存在し、各自の役割を果たすことができるようになるのは「徳」である。なおかつ、万物はおのずから、「道」と「徳」を尊敬する。一方、「道」と「徳」は万物を守る存在であると書かれている。『老子』に説かれた生き方を大雑把にまとめれば、人と争い、勝利を得ることよりも、人に思いやりの気持ちを持ち、謙遜し、譲の心を常に持つというような生き方のほうが遥かに良いのではないかと主張する。要するに、「争わない」、「足りることを知る」、「柔らかく生きる」である。