欢迎光临散文网 会员登陆 & 注册

課題曲Ⅴに思い織り込む、「憂い」を喜びに変えるプロセス

2022-05-17 20:32 作者:雀到今生打已迟  | 我要投稿

秋田南高校(上)


「まるでゲームのラスボスみたいに手ごわい」


 秋田県立秋田南高校吹奏楽部は、今年が第70回の節目となる吹奏楽コンクールの全国大会「全日本吹奏楽コンクール」にこれまで31回出場した名門バンドだ。新入部員の勧誘も終わり、今年度の部員数は66人。初夏は、コンクールを目指す吹奏楽部にとって本格的に課題曲の練習を始める季節になる。ゴールデンウィークの直前、秋田を訪ねた。


     

秋田南高校吹奏楽部3年の児玉紗野さん(左)と清水繭子さん。2人は副指揮者を務める=秋田市、オザワ部長撮影


 吹奏楽部が練習をする音楽室は天井が高く、音を吸い取るカーテンに囲まれている。3年生の児玉紗野(さや)は銀色のユーフォニアムを抱えていすに腰掛け、楽譜を見つめていた。


 視線の先にあるのは前川保作曲の《憂いの記憶―吹奏楽のための》。5曲ある2022年度の吹奏楽コンクール課題曲の一つだ。


 一見しただけで、複雑かつ難解な曲だとわかる。この曲は、長調・短調といった調性やわかりやすいメロディーなど、一般的な音楽のスタイルにとらわれない、前衛的な現代音楽だ。


 吹奏楽コンクールで、全国大会につながるA部門(大編成)に出場する高校は、毎年選ばれる五つの課題曲の中から1曲と自由曲を12分以内で演奏して審査を受ける。ここ数年は5曲のうち3曲が朝日作曲賞の応募作品から選ばれ、1曲はプロの作曲家への委嘱作品、もう1曲(課題曲V)は高校、大学、職場・一般の部向けで、若手邦人作曲家の発掘を目的とした全日本吹奏楽連盟作曲コンクールで第1位となった現代音楽作品という構成になっている。


 秋田南は、課題曲Ⅴがこの作曲コンクールの第1位作品となった09年度からずっと、課題曲Vでコンクールに臨んできた。だが、「課題曲Ⅴ」は今年度で廃止されることが決まっており、22年度の《憂いの記憶―吹奏楽のための》が最後となる。


 紗野を含め、秋田南の部員たちは例年以上に強い思い入れを抱きながら楽譜を受け取った。


     

秋田南高校吹奏楽部の合奏練習。前列右端の児玉紗野さんはユーフォニアムを担当する=秋田市、オザワ部長撮影


 現代音楽の場合、たとえばユーフォニアムだけで吹いてみても、全体がどんな曲なのかよくわからない。こうした作品のどこに魅力を感じるのか。


 紗野は、同じ3年生でファゴット担当の清水繭子とともに、音楽面のリーダーである副指揮者という役職に就いている。


 ふたりとも、秋田南高校に入った当時は中学時代に経験のない現代音楽の演奏に苦戦した。紗野は「まるでゲームのラスボスみたいに手ごわい」と思った。


 練習を続け、スコアを読んで理解を深めていくうちに、曲の構造や音のつながりがわかるようになってきた。スコアに張り巡らされた作曲者の意図や思いにも気づいた。高1の終わりには、紗野も繭子も現代音楽を面白いと思えるようになった。


 同時に、現代音楽を演奏するためには高い基礎力が必要だということも痛感した。


 「まず、基礎合奏をしっかりやって、それを曲にいかそうよ」


 副指揮者に就任した後、ふたりはそう話し合った。そして、交代で指揮台に立ち、部員たちの基礎合奏をリードした。


 そんなふたりの様子を、かつて自身も秋田南の副指揮者だった顧問の奥山昇(45)は目を細めて見つめてきた。


 奥山自身、1994年に秋田南高校が全国大会に出場したときのメンバーだった。母校の顧問になってからは2015、19、21年と全国大会に3回の出場を果たした。


 だが、いつも部員たちにはこう言い聞かせている。


 「コンクールに出るのが目的になってはいかんよ。それは目標のひとつであるべきで、大切なのは音楽を楽しむことだ」


 紗野と繭子もそれは理解しているつもりだった。けれど、《憂いの記憶》のイメージを表現する上で自分自身に向き合ったとき、浮かんでくるのはふたりとも昨年のコンクールの記憶だった。


     

秋田南高校吹奏楽部の清水繭子さん(手前から3人目)はファゴットを担当する=秋田市、オザワ部長撮影


 21年の吹奏楽コンクール。前回の全国大会に出場した秋田南高校は地区大会をシードされ、秋田県大会からの出場となった。繭子は55人のコンクールメンバーに選ばれたが、県大会で例年手にしていた高橋紘一賞を逃してしまった。


 高橋は秋田南高校の全国大会出場の扉を開いた顧問で、74年の初出場から12回も全国大会に導き、このうち、5年連続金賞による81年の特別演奏を挟み、6大会連続での金賞受賞を成し遂げた伝説的な指導者だ。その名を冠した賞が、秋田県大会の高校の部と高校小編成の部の第1位に贈られている。


 コロナ禍で表彰式はなく、繭子たちが結果を知ったのは学校に戻ってから。外は嵐のような天気で雷鳴がとどろく中、メンバーは音楽室の床に倒れ込み、声を上げて泣く者もいた。


 「全力を出したのに、こんな悔しい思いをするなんて!」


 繭子は唇をかんだ。悲嘆に暮れる先輩たちを見るのもつらかった。その悔しさをバネにして東北大会を突破し、全国大会に出場。夢の舞台で銀賞を受賞することはできたが、県大会での「憂いの記憶」は忘れられない。


 紗野の記憶は、全国大会のまばゆいステージで演奏する繭子たちの姿を薄暗い舞台袖から眺めたときのものだ。同じ2年生のほとんどがコンクールメンバーに選ばれる中、紗野は運搬などの手伝いをするサポートメンバーとして全国大会に同行した。


 大会前の部活の時間。コンクールメンバーが音楽室で練習している間、紗野は空き教室でぽつんと個人練習をしながら、「私、何のために楽器吹いているんだろう」と思ったこともあった。全国大会の舞台袖で仲間の演奏を聴きながら「来年は絶対このステージで演奏しよう!」と固く誓ったのだ。


     

顧問の奥山昇先生の指揮で合奏練習をする秋田南高校吹奏楽部=秋田市、オザワ部長撮影


 高校生や中学生のときの、とくに最高学年である3年生のときの吹奏楽コンクールで演奏した課題曲は、一生忘れられない思い出の曲となる。


 紗野と繭子、そして秋田南高校のすべての部員たちは、目指す全国大会まで、胸に秘めた「憂いの記憶」を思い、難解な現代音楽を通じて切なく苦い味を奏でることになるだろう。いまの部員は入学前からコロナ禍に翻弄(ほんろう)されてきた世代だ。コンクールや行事の中止、部活停止など数多くの「憂い」がある。


 だが、曲を通して表現するのが「憂い」であっても、自分たちが納得できる演奏に到達し、観客の心を揺さぶることができたとき、コンクールの結果にかかわらず「喜びの記憶」になるはずだ。


 「憂い」を「喜び」に変えるために――。紗野と繭子は今日も指揮台に立ち、基礎合奏をリードする。北国にもコンクールに燃える「熱い夏」が近づいてきた。(敬称略)


  


 高校や中学校の吹奏楽部には、季節ごとのイベントや出来事があり、そのときどきの思いやストーリーが生まれます。吹奏楽作家・オザワ部長が全国を巡り、部員に寄り添い、エールを送ります。


     ◇


 オザワ部長 吹奏楽作家。神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部文芸専修卒。自らの経験をいかして「みんなのあるある吹奏楽部」シリーズ(新紀元社)を執筆。ペンネームの由来は「架空の吹奏楽部の部長」という設定から。2017年から22年3月まで朝日新聞デジタルで、吹奏楽に取り組む中高生を支える言葉とそれにまつわる物語をつづる「奏でるコトバ、響くココロ」を連載。「吹奏楽部アナザーストーリー」(上・下巻、KKベストセラーズ)として刊行。


課題曲Ⅴに思い織り込む、「憂い」を喜びに変えるプロセス的评论 (共 条)

分享到微博请遵守国家法律