徒然草 第49段 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。・吉田兼好 日文念

老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ :歳を取ってから、はじめて仏道修業に励もうなどと待っていてはいけない。
古き墳、多くはこれ少年の人なり:<ふるきつか、・・>と読む。墓のこと。よく見ると多くは若い少年の墓なのだ。
はからざるに病を受けて:はからずも予期しない時に病気になって。
速かにすべき事を緩くし:急いでやるべきことをやらずに後回しにして、の意。
無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。:人間は、死が、すぐに身に迫ってくるということを心にしっかりと言い聞かせて、片時も忘れてはならぬ。
この世の濁りも薄く:現世への執着心も薄くなって、の意。
禅林の十因に侍り:禅林寺(京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派の総本山。山号は聖衆来迎山。開創は斉衡二年(855)、開山は空海の弟子真紹。以来真言道場であったが、承暦年間(1077~1081)に永観が入寺して念仏道場となり、のち法然の弟子清遍や浄音が住持となり浄土宗となった。本尊は見返り阿弥陀如来として有名。所蔵の山越阿弥陀図は国宝。永観堂(『大字林』)。)の永観の著『往生十因』という書物に書いてある。
心戒といひける聖は:「心戒」は、高野山で学んだ後に入唐し、帰国後日本の山中で過ごしたという伝説的僧侶。詳細は不明。ここでは、人生はいつ何時どのように死の迎えが来ないと限らないから、膝を着けて座ることはせず、普段はうずくまるだけで人生を終えた、という (『一言芳談』)。
静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける:「ついいる」は正座すること。 この人は常日頃から、相撲取りが立会いのときのように「蹲踞<そんきょ>」の姿勢をとり続けたというのである。その訳は、「三界六道には、心安く、尻さしすゑてゐるべき所なきゆゑ也」という(『一言芳談』)