【优秀素质】最后一份报告

原作:退休马协会/浦河渡边牧场
我们收到了渡边牧场发来的优秀素质的报告。是渡边harumi的手记。感谢harumi这么长久以来牺牲自己对内恰的照顾。衷心感谢渡边牧场的所有人。
优秀素质
优秀素质,5月30日12点40分,安息了。衷心感谢在漫长的岁月里一直深爱着他的人们。这篇文章很长,我们想尽可能详细的记录他最后的岁月。

食欲不振
今年春天,青草开始生长的时候,我们喂给他的东西(把粉末和汤汁搅拌在一起像婴儿辅食那样的东西),他开始吃的越来越少。所以我们5月6号给他验了血,一切正常。
5月上旬开始表现出挑食。只吃一些干草和干粮(猫粮狗粮那样的东西),这种现象当马儿发生胃溃疡的时候是很常见的,所以我们给他吃了胃溃疡的药,完全没有效果。到后来切细的干草也不吃了。
5月13号,我们在没有打麻药的情况下帮他洗牙,他居然没有反抗而且很平静,这令我们吃惊。但是就算他这样,我们还是没有勇气帮他弄里面的牙齿,因为有风险。之后我们想看看他是不是能恢复进食(洗牙是担心他牙口不好引起的胃口不好)。5月16日,我们观察了一个半小时,他把很短的青草咬成更短的碎叶,就这样吃了30分钟。之后,也喝了一点水而且没有吐掉。我们亲眼看着他把水喝下去。
5月14日早上



5月16日早上


对抗病魔的日子
5月17号下午,体温超过了40度。兽医给他进行了吊针和其他治疗。从以前开始,他就会左右晃头,前几天开始更频繁了。我们觉得他是发烧后引起的头疼,在镇静剂的作用下终于冷静了下来。我们经常听到马肚子疼,但是几乎没怎么听说过马也会头疼。我们怀疑他是不是头里有什么问题,但是检查不出来。而且从后来的状况看应该也不是。
5月18日很热,Meteor Shower陪着他在马房里吃饭。18日的早上,验血的结果显示,有关于感染和炎症的几个指标都有上升。所以我们开始给他注射抗生素,但是除了验血以外的项目查下来都正常。
18日的傍晚,退烧止痛药失效,这是内恰最痛苦的一个晚上。39.5度以上的高烧一直在持续,也一直在晃头,这种痛苦的状态一直持续。不得已,我们在隔了4小时以后,22点30分再次给他注射了镇痛剂。
如果之后再隔4个小时又失效的话,那只能换一种止痛药了。如果还不行,我们只能考虑因为年龄问题是不是要对他采取人道措施了。结果到了半夜12点半,热度和痛感都平静了下来,也没有再吃药了。
5月17日早上

5月18日早上


之后的日子里,逐渐退烧,有时候低烧,但是大部分时间体温正常,但是食欲仍然没有回复
不知道是因为一下子暴瘦没有信心支撑自己还是因为疼痛的关系,内恰后来一直都保持那种好像随时都可以躺下来的身体前倾的姿势。所以为了让他能够更方便的吃饭喝水,我们就把饭桶和水桶提的很高。
5月20日早上


22日上午,他左前脚突然很痛。我们把他从放牧地带了回来。这个时候他身体的倾向感觉随时要倒下来,但他还是大步向前,正常的走着。一开始是蹄子有点热,我们觉得是不是得了蹄病。我们紧急叫来装蹄师,给他安装特殊的蹄铁,但是检查下来他蹄子没问题,好像是左肩疼。
22日早上的验血显示,炎症相关的数值又上升了,白血球很高。考虑到他左肩疼,我们怀疑是关节炎。也有可能体内有地方什么发炎了之类,到底有几处炎症感染的地方我们也不知道。
5月22日傍晚

23日,我们找了中医的兽医来给他看病。平时只是我们给他左股关节左触诊的时候他有点挺大的反应。但是那一天,全身,左边,右边,前面,后面,背部,浑身都反应很大。我们知道了,因为他已经没有什么肌肉,要支撑他那庞大的身躯行动,每天都非常累而且痛苦。
我们给他做了45分钟的电针灸,给他补充各种维生素。经过治疗以后再给他触诊,全身都没有什么疼痛的反应了。这一天也是Meteor Shower陪他在马房吃饭。吃完三叶草和青草以后还吃了3根胡萝卜,很开心。但是之后又吃不了东西了,这日子一天天的就是一进一退,一悲一喜。
5月23日早上

5月23日电针灸

每天,早晚都给他各吊2个小时点滴。5月26日开始,在他颈部的右侧,放了留置针。每天哪怕是少量的给他补充一点卡路里和营养,当然还有镇痛计,抗生素,强心剂等等等。
这之后,在24日早上,27日早上,还有他离开的那一天早上,都给他验血了。数值越加恶化的同时,我们追加了那么多种类的抗生素也都失去了作用。全身到处都是炎症,还有关节炎,抗生素也很难传递。如果是小马发生这种事情的话,可以直接动手术,把身体里流脓发炎的部分拿出来或者清洗掉。但是内恰不管是移动他还是给他做手术都已经是挨不住的了。
靠近体表部分的炎症,已经是到了即便不用麻药,不用去医院,只是照一下X光都可以看见的地步了。我们决定带他去做一次X光,至少如果知道炎症在哪里的话,就会有很大帮助,能给我们帮助他终结这痛苦的日子带来重要的参考。可惜最后他还没来得及做检查,就走了。
5月23日傍晚有了食欲,我们很开心


23日傍晚开始的3天半时间里,什么都没吃。27日开始吃东西了,自己把干草咬碎一点,短一点的青草也可以吃的喷香,还吃了三根胡萝卜,让我们喜出望外,可惜,后面又不吃东西了。
好几天没大变了,小变带血,很浓的茶红色。量也是越来越少,我们拿纸杯接了一点去化验,但是没有血的反应。每天早晚吊针,兽医把脉,看他的肠动,看他的牙齿,看他的四肢有没有浮肿,每天都细心的确认这些。虽然他状态很差,但是一直到离开的前一天,肠胃也还可以,应该肚子挺饿的吧。马本来是一种需要持续摄入纤维的动物,他这么久没吃东西都没有引起肚子痛,也算是一种好运吧。
5月25日没有食欲

5月26日早上


5月26日晚上

5月27日早上


5月27日早上吊针

5月27日早上突然有了食欲

5月28日早上

5月28日下午

5月29日早上吊针


5月29日穿上防虫服,主要是给他防晒


5月29日晚上吊针

5月30号
离开的前一天开始,脉动加速。离开的那天早上,第一次肠动减弱,脉动更加的快速,体温到了37.9度。从20号开始肚子稍微有点浮肿,但是那一天更明显了
30号早上吊完点滴以后,一直都是一副想出去走走的表情。然后就慢慢的跟在Meteor Shower的身后这么走着。中午,有两个内恰粉丝俱乐部的会员从北海道和本州岛赶来,在放牧地看他。那天那个中医的兽医也来了,在放牧地给他触诊,上半身没有痛感,也没有治疗,只是四肢都没有肌肉了,身体很疲劳。
5月30日,早上10点前



5月30日,早上10点半前

5月30日,过了10点半

会员和牧场长还有老牧场长去看他们的时候,Meteor Shower在栏杆附近,内恰几乎就跟在身后。11点25分,本来站在那里的内恰,一下子倒了下来。几度想起身,但是力量太弱了,应该再也起不来了。
我们有装着吊起装置的拖拉机在边上。如果是习惯这么来的马儿到还好,但是35岁的内恰来说太残忍了,如果因为害怕而应激突发心力衰竭怎么办?这种结局太过残酷了。
阳光照射的很强烈,我们给他穿了驱虫服,用水沾湿的毛巾给他盖了3块。健康的马随便阳光怎么照射都可以,但是内恰已经瘦成这样了,再加上黑色的身躯很容易吸热,阳光的热量很容易传递到他体内。
兽医马上就来了,给躺在地上的内恰做了诊断。牙根已经白的发紫了,脉搏更加一塌糊涂。综合判断下来,内恰已经到了极限。
如果让他长时间这么躺在地上,会压迫内脏导致无法呼吸。而且一旦到了下午温度会更高,我们必须早下决断。我们给退休马协会打了电话,告知情况,兽医也进行了情况说明。退休马协会说尊重我们的决定。
5月30日 11点半左右



安乐
安乐的过程要经过,镇静剂→麻醉剂→安乐剂的三个阶段,这是目前日本对马儿最友好的处理方式了。如果不是饲养管理者和兽医都一起商量好的话一般是不会用这个方法的。现在对马儿的处理,从经济性的角度来说,一般直接就是第三步、或者就是为了考虑执行人的安全情况,只执行第一步和第三步。但是我们渡边牧场从以前开始就是执行完整的3步。
镇静剂注射以后,内恰的表情安稳了许多。镇静剂起效了。注射了适量的麻醉剂,通过麻醉剂,内恰就没有意识了,这个时候再进行第三步。内恰从注射麻醉剂开始到最后的药剂注射完毕,一动都没动。12点40分,平静的离去了。2个赶来的内恰粉丝和我们牧场全体员工守在边上。
这块地方,是内恰1岁的时候生活的放牧地,在这块放牧地的青草之上,蓝天白云,微风拂面。在小鸟的歌唱中,内恰安心的踏上了旅程。在横倒在地上的内恰边上,我用手机拍下了内恰眼里,这个世界最后的风景。
葬礼
如果遗体摆放过长,肚子里的气体就会各种乒乒乓乓。虽然非常抱歉,但是我们在第二天的5月31日,就把他葬在了我们渡边牧场的马儿墓地。这块墓地里还有内恰的爸爸妈妈,弟弟妹妹,女儿,朋友,大家都在这里长眠
葬礼的当天,退休马协会的代表沼田,北海道办公室的加藤,内恰粉丝俱乐部的会员,一直给内恰拍照的摄影师朝内,这些相关人员出席。
因为土葬会有水污染,所以离民宅太近的话得不到环保许可,所以我们就安置在了自己私有土地的山上。上下山需要开车,我们接送不了这么多人所以没有公开。
5月31号的内恰落葬仪式

6月2号内恰的墓

内恰的爸爸妈妈

葬礼后内恰的马房



好朋友Meteor Shower
内恰倒下的时候,Meteor Shower就在附近。内恰走了以后,他很平静,一定是他们当时已经说完告别的话了。
关于心脏的杂音
内恰31岁的生日前,心脏出现了杂音。但不是那种年纪大了会有的杂音,而是那种心脏生病了的杂音。我们当时很震惊,但也并不是说马上就会怎么样。
内恰对我们很重要,更何况我们尊重他的意愿,他说还不想走。对我们来说拼命疼爱还来不及的内恰,他是我们的宝贝。
再一次,关于内恰的长寿,幸福的活到最后,感谢退休马协会的各位,会员的各位,中医和西医的兽医,装蹄师,还有,感谢各位至今的支持,致以诚挚的感谢。
======================日语原文=================
渡辺牧場さんから、ナイスネイチャの報告が届きました。渡辺はるみさんによる手記です。長きにわたりナイスネイチャを支え、献身的なケアを続けてこられたはるみさん、そして渡辺牧場のみなさまに、心より感謝申し上げます。
* * *
ナイスネイチャ
ナイスネイチャは、5月30日12時40分、安らかに息を引き取りました。大変長い年月を、多くの皆様に深い愛情を持って支えていただきましたことを、心から感謝申し上げます。長文になりますが、ナイスネイチャの最後の闘病記録として残したいと思います。
ナイスネイチャ
【食欲が落ちてきた頃】
この春、青草が生えてきた頃から厩舎内で食べる飼い葉(粉末をぬるま湯で練って離乳食状にしたもの)の量が徐々に減って来ました。そのため、5月6日に血液検査をしたところ、異常はありませんでした。
5月上旬から特に偏食気味になり、切り草(乾草)やビートパルプは食べようとしていました。このような傾向は胃潰瘍の馬によく見られるということで、胃潰瘍の薬を飲ませましたが、全く効果がありませんでした。(切り草は飲み込めるところまで噛めず、出してしまいます。)
13日に、鎮静剤無しで整歯していただきましたが、抵抗しないで落ち着いて処置できたため驚きました。それでも奥歯は危険なため、敢えて処置しませんでした。その後、放牧地で青草をちゃんと食べて飲み込めているのか、5月16日に1時間半つきっきりで観察しましたが、短く生えた草を自分の前歯で更に短くちぎって30分間は食べ続け、その後、水を飲むまで口から吐き出すこともなく、ちゃんと飲み込めているのを確認できました。
【闘病の日々】
ところが、5月17日午後に40.1℃の熱が出て、夕方、獣医さんの点滴などの治療を受けました。以前から頭を左右に傾ける仕草をしていましたが、この数日前から頻繁になり、熱発後はとても頭が痛そうな様子を見せましたが、解熱鎮痛剤が効くと落ち着いていました。馬は疝痛(腹痛)は多いですが頭痛はあまり聞きません。前庭疾患も疑いましたが、検査は出来ず、また、その後の様子から違うだろうとのことでした。
5月18日は暑かったため、メテオシャワーに付き添ってもらい舎飼いになりました。18日の朝、血液検査をした結果、感染と炎症に関する値が上がっており、抗生物質の注射による治療が始まりました。血液検査の他の項目は異常ありませんでした。
18日は夕方の解熱鎮痛剤が効かず、ナイスネイチャにとって一番辛い夜だったように思います。39.5℃以上の熱が続き、頭を振り続け、前脚で寝ワラを掻いて、辛そうな状態が続きました。やむを得ない場合の最低限の間隔4時間を空けて、22時半に再度追加で痛み止めを注射していただきました。
この後、更に4時間空けて、まだ効いていなければ、別の種類の解熱鎮痛剤の錠剤を飲ませ、それでもダメなら、年齢からも、もう命を諦めて早く楽にしてあげた方がいいとさえ考えていましたが、夜中0時半、熱と痛みが落ち着いていたため、錠剤を飲ますこともありませんでした。
その後の日々は、熱は徐々に落ち着いていきました。時々微熱になりながらも平熱の時間が多くなりましたが、それでも食欲は回復しませんでした。
急激に痩せたことで体勢を維持する自信がないからか、それとも痛みがあったからなのか、地面に口を近づける姿勢をしない日が続いていました。そのため、口元に草や水を持って行き、食べたり飲んだりしたいか確認していました。飼い葉桶や水桶を食べやすい、飲みやすい高さに設置しました。
22日午前に急激な左前脚の痛みが出ました。放牧地から連れて帰るのに、体の向きを変える時にはよろけて倒れるのではないかと思う程でした。その割に真っすぐ歩き出すと、ちゃんと歩けていました。初めは蹄に熱感があり、「砂のぼり」などの蹄の疾患を疑いました。特殊装蹄を施してあったため装蹄師さんが急遽来て下さり、調べて下さいましたが蹄に異常はなく、左肩が痛いと気付き教えて下さいました。
22日の朝の血液検査結果では、炎症の値は更に上がっており、白血球もまだまだ高く、左肩の強い痛みを考え合わせ関節炎の可能性はあるそうでしたが、体内のあちこちに膿瘍ができている可能性もあるそうで、感染箇所はわからない状態でした。
23日は東洋医学の獣医さんに診察していただきました。いつも左股関節のあたりを触診すると、患部がカクカクッと少し崩れるような様子が見られますが、この日は全身が、右も左も前も後ろも背中もみんなガクガクッと、大きく反応していました。筋肉がどんどん落ちて、大きな馬体を支えるのにとても疲れ切って痛みも生じていたのがわかりました。
全身に電気鍼の治療を45分間と、あちこちに各種ビタミン剤の水鍼もして下さいました。治療後に、触診すると、カクカクッという痛みを表す反応はなくなっていました。この日はメテに付き合ってもらい舎飼いになりました。夕方には気分が良さそうになり、クローバーなど青草を食べた後、人参を3本も食べ、喜びましたが、その後はまた食べなくなり、一進一退、一喜一憂の日々でした。
毎日、朝晩2時間前後ずつ、点滴をしていました。5月26日からは頸の右側に静脈留置針を入れて下さいました。カロリーや栄養が少しでも摂れる内容の点滴と、痛み止め、抗生物質、強肝剤も続けられました。
その後、24日朝、27日朝、そして亡くなった日の朝にも血液検査をしましたが、感染の値は悪くなる一方で、抗生剤の種類を変えたり追加したりしても効果は見えませんでした。体のあちこちに膿瘍ができている場合も関節炎の場合も抗生物質は届きにくく、仔馬などでは体内に膿瘍ができることがあるそうですが、その場合は診療所で手術して膿瘍を取り出して洗い流す治療になるのだそうです。ナイスネイチャの場合、移動と手術には耐えられるはずもありませんでした。
体表に近い膿瘍なら診療所に連れて行かなくても、鎮静剤を使わなくても、エコー検査でわかるとのことで、近々受けようとも考えていました。膿瘍の存在がわかるということは、経緯からも助かる見込みがないとわかるということで、闘病生活を長引かせずに楽にしてあげるための判断材料としてでした。結果としては検査を受ける前に亡くなりましたが…。
23日夕方から3日半、何も食べられませんでしたが、27日に急に食べ始めました。乾草の切り草を口でわしづかみにするかのように咥えたので、慌てて青草と取り替えると、短く刈った青草もムシャムシャ食べて人参も3本くらい食べて大喜びしました。ですが、その後また食べなくなりました。
ボロ(馬糞)は何日も出なくなり、尿は血尿かと思う程、赤茶色に濃くなり、量も少なくなりました。紙コップに採って調べましたが血液の反応はありませんでした。朝晩、点滴をしながら、獣医さんが脈、腸の動き、歯茎の色など、四肢の浮腫みも丁寧に確認して下さいました。こんなに状態が悪くても亡くなる前日まで腸の動きは良かったです。お腹が空いていただろうなぁと思います。本来、繊維質を食べ続けるべき草食動物がこんなにも長く食べないでいながら、最後まで疝痛を起こさずにいられたことは救いでした。
亡くなる前々日くらいから、脈が速めになっていました。亡くなった30日の朝は初めて腸の動きが弱くなり、脈も更に速くなっており、体温は37.9℃と高めでした。また、20日頃からお腹の下と胸前に浮腫ができ、次第に大きくなってきていました。
30日の朝は点滴を終えると顔を何度も押し付けてきて外に出たそうな素振りを見せました。ゆっくりメテの後ろをついて歩いて行きました。午前中、ナイスネイチャのFP会員さんが道内からと本州からとお一人ずつ来られ、放牧地で様子を見ていて下さいました。その日は東洋医学の獣医さんも来られ、放牧地で触診して下さり、上(体)については痛みの反応はなく、治療もありませんでした。四肢については筋肉が落ちてしまって、疲労が溜まっていたと思います。
会員さん方と現牧場長と元牧場長も見ている時に、牧柵の近くにいたメテが放牧地の中ほどに歩いて行き、その後をナイスネイチャもついて行き、11時25分、その場所で立ち止まるとすぐにゴロンと寝ころびました。疲れ切った全身をやっと休めることができました。何度か起きようという仕草はしましたが、それは力のない弱いもので、もう立てないだろうと思いました。
吊起帯(ちょうきたい)を着けてトラクターを近くまで持ってくるとしても、そのようなことに慣れた馬ならともかく、35歳で初めてそれをするのは酷でした。恐怖におののいて、もし心不全を起こしたら、ここまで生きてきて、そんな最期はあんまりだと思いました。
陽射しが強くなって来たので、白っぽい色で通気性が良い虫除け馬服をふわっとかけたり、獣医さんを待つ間、水で濡らしたバスタオル3枚を体にかけたりしました。健康な馬なら何でもない程度の陽射しでも、ナイスネイチャは体が痩せて衰弱していたため、黒っぽい色の体表から太陽の熱が体の内部に届きやすいと思いました。
獣医さんはすぐに駆けつけて下さり、横たわるナイスネイチャを診察して下さいました。歯茎は白っぽく紫がかっていること、脈も更に悪くなっていることなど総合的に判断して、やはりもう限界とのことでした。
寝たきりで長時間放置すると肺など内臓が圧迫され呼吸が苦しくなってきます。また、この後もっと暑くなるかもしれず、早い方がいいと判断しました。引退馬協会さんに電話で状況を説明し、獣医さんからも説明をしていただきました。引退馬協会さんは私たちの選択を尊重して下さいました。
【安楽死】
安楽死は「①鎮静剤➔②麻酔薬➔③心肺機能を停止させる薬剤」の、3つの段階を経る方法(現在の日本では最も馬の福祉を考慮した方法)で処置していただきました。この方法は、飼養管理者が獣医さんに前もってお願いしなければ、現状では一般的にはされていません。
多くの場合は経済性が重視され③のみ、または人間の安全のため①と③のみで行われます。渡辺牧場では昔から①②③を使用していただく「3 step法」でお願いしています。
鎮静剤を注射するとナイスネイチャはこわばった表情が穏やかになり、鎮静剤が効いてから、適切な量の麻酔薬を注射して下さいました。麻酔薬で意識が消失してから最後の薬剤を注射して下さいました。ナイスネイチャは麻酔を入れても最後の薬剤を入れても全く動かず、12時40分、静かに息を引き取りました。お二人の会員さんとスタッフ全員が見守りました。
【お葬式】
遺体は時間の経過とともにお腹にガスがパンパンに溜まるため、急で申し訳なかったのですが、翌日、5月31日に「渡辺牧場 馬の墓地」に埋葬しました。同じ墓地には父ナイスダンサーと母ウラカワミユキと、ナイスネイチャの弟や妹たち、娘も、そしてかつての友、セントミサイルも眠っています。仲間たちときっと仲良く安らかにいてくれると思います。
お葬式当日は引退馬協会代表沼田氏、北海道事務所加藤氏、ナイスネイチャFP会員様や、ナイスネイチャを撮影し続けてきたカメラマンの朝内氏をはじめ、所縁の方々が訪れて下さいました。
埋葬については地下水の汚染の関係上、民家から数百m距離を置かなければ保健所の許可が下りないため、渡辺牧場の私有地である山の上に墓地があります。車での送迎が必要であるため、限られた方々しかご案内ができず申し訳ございません。
【親友メテオシャワー】
ナイスネイチャが横になった時、すぐ近くにメテがいました。ナイスネイチャが亡くなった後も、メテは静かで穏やかだったことから、きっとこの時、最後のお話をしたのだろうと思いました。
最後の会話は済んだとはいえ、残されたメテはとても淋しそうで、亡くなった後、何日も目がうつろでした。6月1日にセイントネイチャーとヒカルの放牧地に入れました。正直なところ、慣れるまで荒々しく噛んだり蹴ったりし合う光景を想像しましたが、全く違っていました。セイントもヒカルも初めからとてもメテに優しいのです。午後には3頭がすぐ近くで一緒に草を食んでいる姿が見られ、涙が出ました。
かつて、ナイスネイチャ、セントミサイル、メテオシャワーが3頭で仲良しグループでした。時が流れて一番若いメテが生き残り、淋しい想いをしているのを先に逝ったナイスネイチャの息子とセントミサイルの甥が励まし、支えているのです。その後も感動するくらい穏やかで優しいです。セイントとヒカルに心から感謝しています。
【心臓の雑音について】
ナイスネイチャは31歳の誕生日前に、心臓に雑音があることがわかりました。高齢馬に多く聴かれる雑音ではなく、心臓の病気による雑音とのことで、当時ショックを受けましたが、それだからすぐに命に関わるという訳ではない、とのことでした。
それまでもナイスネイチャのことを大事にしてきたつもりでしたが、より一層、ナイスネイチャを興奮させないよう、彼の意思を尊重して、「そっちには行きたくない」と言われれば無理に行かないなど、渡辺牧場にとっての「かわいいかわいいナイスネイチャ様」という想いでお世話してきました。渡辺牧場の宝でした。
改めまして、ナイスネイチャが幸せな長生き、幸せな最期を遂げられたのは、ひとえに引退馬協会の皆様、会員の皆様、東洋医学、西洋医学の獣医さん、装蹄師さん、そして、多くの応援して下さる全ての方々のお陰です。誠にありがとうございました。