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やりきった歳月が胸に迫る、伝統のマーチングで変化に挑戦——京都橘高校(上)

2022-04-14 11:15 作者:雀到今生打已迟  | 我要投稿

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「夢中で部活ができて幸せやったな……」


 高校や中学校の吹奏楽部には、季節ごとのイベントや出来事があり、そのときどきの思いやストーリーが生まれる。


京都橘高校吹奏楽部で21年度の部長を務めた中村希星さん。テューバやスーザフォンを担当した=京都市伏見区、オザワ部長撮影

 3月28日。大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールのステージでは、オレンジの衣装を身に着けた京都橘高校吹奏楽部の91人が、楽器を演奏しながら激しいパフォーマンスを繰り広げていた。曲はジャズの名曲《シング・シング・シング》だ。


 素早くステップしたり、跳びはねたり、くるりと回転したり……。部員たちは目まぐるしく動き回りながら、迫力あるサウンドを響かせる。客席にいる観客はその様子に目を奪われた。


 小柄な体で大型の低音楽器であるスーザフォンを操っているのは3年生の部長、中村希星(きらら)。京都橘では、入部すると先輩からあだ名をもらう習わしがある。希星の場合は「スーチ」。


 「みんなとマーチングするのも最後なんや。もっと続けていたいのにな」


 まぶしい照明を浴びながらスーチは思った。


 京都市にある私立京都橘高校は、行進やパフォーマンスをしながら演奏するマーチングの名門だ。衣装の色とその激しい振り付け、大会での強さから「オレンジの悪魔」と呼ばれている。


 3月27・28日の定期演奏会の前に、スーチたち3年生は卒業式を終えていた。最終28日の公演はまさに高校生活の集大成であり、締めくくりとなる演奏会だった。


 「橘のマーチングはなんて楽しいんやろう!」


 スーチは、14キロほどの重量があるスーザフォンを担いでいても疲れを感じさせないパフォーマンスを披露した。一歩一歩のステップ、そして、スーザフォンから響く一音一音を慈しむように。


 スーチの心に去来していたのは、「変化と挑戦」が続いた3年間の吹奏楽部での思い出だった。


オレンジの衣装でステージマーチングを披露する京都橘高校吹奏楽部=大津市、京都橘高校提供

     ♪


 京都橘高校吹奏楽部にとって、マーチングの全国大会「全日本マーチングコンテスト」に出場することは大きな目標だった。会場は「マーチングの聖地」と呼ばれる大阪城ホールだ。


 京都橘は「マーチングフェスティバル」として大会が始まった1988年以来2015年までに全国大会に計15回出場していた。しかし、その後は全国出場がかなわなかった。18年に吹奏楽部顧問に兼城裕が就任。持ち前の激しい振り付けに加えて、音楽的な技術や表現の底上げに取り組み始めた。


 スーチが入部したのは、兼城が顧問になった2年目だった。中学時代に3年連続で全日本マーチングコンテストに出場した経験のあるスーチだが、京都橘の振り付けはまったく別次元だった。初めは苦戦の連続で、スーザフォンの重さが肩や腰に響いた。必死に練習を続け、「オレンジの悪魔」の一員として成長していった。


 スーチは高1のときからマーチングコンテストに出場する81人のメンバーに選ばれ、憧れのオレンジの衣装を身に着けて大会に挑んだ。関西大会に出場したものの代表にはなれなかった。高2のときは新型コロナウイルスの感染拡大でマーチングコンテストは中止となってしまった。2年続けて先輩たちの涙を目にした。


激しい動きに特徴のある京都橘高校吹奏楽部のステージマーチング=大津市、京都橘高校提供

     ♪


 高3になったスーチは、伝統ある京都橘高校吹奏楽の部長に選ばれた。責任は重大だ。


 一方でコロナ禍が続いた。思うように練習ができず、部員たちのモチベーションはなかなか上がらなかった。目標は全国大会と言いながら、91人の気持ちはバラバラだった。


 「どうやったら心に火をつけられるんやろ」とスーチは悩み、部員一人ひとりに声をかけ、問いかけた。


 「ホンマに全国大会行きたい?」


 「コロナで大変やけど、私たちに何ができると思う?」


 部長からトップダウンで指示や命令を出すことはできる。しかし、それでは部員たちの自主性が損なわれてしまう。スーチが「問いかけ」という方法をとったことで、部員それぞれが自分で考えるようになり、練習にも工夫が生まれた。


 「先輩たちの思いも背負って、全国大会で金賞をとろう!」


 91人の気持ちもひとつにまとまっていった。


京都橘高校吹奏楽部のステージマーチング=大津市、京都橘高校提供

     ♪


 21年度の京都橘のマーチングは大きく変化した。


 6分間の演奏・演技が《シング・シング・シング》でクライマックスを迎えるのはこれまで通りだが、前半にジョン・フィリップ・スーザ作曲《海を越える握手》を入れた。オーソドックスな行進曲で、強化してきた音楽性をいかす構成だ。


 また、全員が横一列になって演奏しながら前進する「カンパニーフロント」も採用することにした。マーチングコンテストの出場団体のほとんどが採り入れているが、京都橘では伝統的にやってこなかった。兼城は「マーチングの王道を進もうとした」と話す。


 ただ、部員からは反対意見も出た。話し合いを重ね、最終的にはみんなが「変化と挑戦」を受け入れることに賛同した。


 「伝統も大切やけど、私たちは新しい京都橘を作っていくんや」


 部長であるスーチはそう決意し、部員たちを引っ張っていった。


 こうして、迎えたマーチングコンテスト。京都橘は関西大会で目の覚めるような演奏・演技を披露し、6年ぶりの全国大会出場をつかみとったのだ。


 11月の全国大会では大阪城ホールで、進化した「オレンジの悪魔」のマーチングを披露した。終演後に全日本吹奏楽連盟の公式サイトで発表された審査結果は「京都橘 金」。


 「やった! 私たち、ホンマにやり遂げたんや!」


 スーチは跳びはねて喜んだ。


定期演奏会前のリハーサルに臨む京都橘高校吹奏楽部。右端が顧問の兼城裕先生=大津市、オザワ部長撮影

     ♪


 全国大会の歓喜の後、4カ月をかけて、定期演奏会の練習に取り組んだ。これまでは12月に開催されてきたが時期を変更し、マーチングのほかに、クラシック曲の座奏や初挑戦のミュージカルにも取り組んだ。


 スーチたち3年生が後輩たちと臨む最後のステージ。クライマックスのマーチングでは、兼城が新たに編曲を加えた《シング・シング・シング》で、「オレンジの悪魔」一人ひとりが輝いた。


 定期演奏会の最後には「卒部」のセレモニーがあった。兼城に名前を呼ばれた3年生31人が一人ずつステージを降りていく。そして、後輩の演奏と観客の拍手の中、客席の間の通路を抜けてホールを出る。最後まで部活をやりきった3年生が自分の歩みと素直に向き合う時間だ。


 スーチは最後に名前を呼ばれた。万感の思いが胸に満ちた。


 「吹奏楽は私の青春のすべてやった。いろいろあったけど、京都橘に来て、夢中で部活ができて幸せやったな……」


 開演のときからこらえていた涙が頰を伝う。「変化と挑戦」の3年間が心によみがえり、ほほ笑みが浮かんだ。(敬称略)


   ×   ×   ×


 吹奏楽作家・オザワ部長による新シリーズです。オザワ部長が全国を巡り、そのときどきの部員の心に寄り添い、エールを送ります。


     ◇


 オザワ部長 吹奏楽作家。神奈川県横須賀市出身。早稲田大学第一文学部文芸専修卒。自らの経験をいかして「みんなのあるある吹奏楽部」シリーズ(新紀元社)を執筆。ペンネームの由来は「架空の吹奏楽部の部長」という設定から。2017年から22年3月まで朝日新聞デジタルで、吹奏楽に取り組む中高生を支える言葉とそれにまつわる物語をつづる「奏でるコトバ、響くココロ」を連載。「吹奏楽部アナザーストーリー」(上・下巻、KKベストセラーズ)として刊行。


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