【日本小5道德】2#总是竭尽全力~首位打者一郎
いつも全力で~首位打者イチロー
(总是竭尽全力~首位打者一郎)
作者:高原 寿夫(たかはら ひさお)
二〇〇一年メジャーリーグ記録(2001年美国职棒大联盟记录)
新人最多安打(二百四十二安打)
首位打者(三割五分)(35%)
盗塁王(五十六盗塁)
アメリカンリーグ最優秀選手(MVP)(MLB最优秀选手)
新人王 ゴールドグラブ賞(金手套奖)
シルバースラッガー賞 その他(银棒奖 其他)
二〇〇一年(平成十三年)、アメリカのメジャーリーグで大活躍をし、これらの大記録を打ち立てた日本人のことを、皆さんは知っていることだろう。そう、本名鈴木一郎、イチロー選手のことである。
(大家都知道2001年(平成13年),在美国职棒大联盟中非常活跃,并创下了这些大记录的日本人的事吧?没错,本名是铃木一郎,一郎选手。)
イチローは、日本のプロ野球でも大記録を残している。
(一郎在日本职棒中也留下了大记录。)
イチローが、日本のプロ野球で初めて二百本以上の安打を放ち、首位打者になった一九九四年のシーズンオフ、野球関係者からは、「イチローがこんな凄い成績を残せるのは、今年だけだろう。そんなに続くもんじゃない。」と言う声が多く聞かれた。
(一郎在日本职棒中首次打出两百棒以上的安打,成为了首位打者后的1994年无赛季时,有不少棒球相关者说:“一郎取得如此惊人的成绩只是今年吧?又不会持续下去。”)
そんな声は、イチローの耳にも入る。その度にイチローは、余計にファイトを燃やすのだった。皆が「出来ない。」と言えば言うほど、逆に「やってやろう。」と言う気になってくる。「負けてたまるか!」と言う、激しい闘志が、いつも燃えているのだ。そして、イチローの一番素晴らしいところ、それは、記録のためにわざと試合を休んだりせず、どこまでも正々堂々と記録に挑んでいるところだ。
(这样的话也传入了一郎的耳中。一郎每次听到后,更是燃起了斗志。大家越是说“不行。”他反而越想“做给你们看看。”他总是燃起“不能输!”的强烈斗志。然后,一郎最出色的地方在于为了记录故意不休赛,总是堂堂正正地挑战记录。)
イチローの記録は、どれも桁外れだが、中でも感心するのは、一九九四年から一九九八年までの五年間、「全試合に出場して首位打者になっている。」(首位打者には二〇〇〇年までの七年連続でなっている。)という点だ。これは、それまでのプロ野球の常識を打ち破ることだった。
(一郎的记录都非常出类拔萃,其中最令人钦佩的是1994年至1998年的五年间,“成为了全赛出场的首位打者。”(连续七年成为首位打者直至2000年。)这打破了迄今为止的职棒的常识。)
首位打者争いをしている選手は、シーズンの終わり頃になると、怪我や病気をしていなくても、試合に出ないことがよくある。なぜなら、試合に出てヒットを打てなければ、打率が下がってしまうが、試合に出なければ打率は変わらないからだ。
(争夺首位打者的选手在赛季快结束时,就算没有受伤或生病,经常不出场比赛。因为,出场比赛没打出安打的话,打率会下降,不出场比赛的话,打率不变。)
プロ野球では、「規定打席」と言うものが決められている。この規定打席に達してしまえば、それ以後、シーズン中一度も打席に立たなくても、選手の成績は、公式記録として認められることになる。何だかずるいような気もするが、数字が選手の評価を決める「勝負の世界」なのだから、仕方がないとも言える。
(在职棒中,有“规定打席”。达到规定打席的话,就算在之后赛季中一次都没有打席,选手的成绩也作为公式记录被承认。虽然也有些狡猾,但在数字决定选手的评价的“胜负的世界”中的话,也可以说是无可奈何。)
だが、イチローはそんな考え方とは全く無縁だ。
(然而一郎完全不这么想。)
「試合に出ない工夫?なんで、そんなことをしないといけないんですか?」
(“不出场比赛的方法?为什么要这样做?”)
現在までの記録では、日本のプロ野球のシーズン最高打率は、三割八分八厘五毛だ。一九九四年、イチローは、百二十六試合を終えた時点で、三割八分九厘四毛の打率を上げていた。残りの試合に出なければ、自動的に新記録が達成出来たのだ。
(在迄今为止的记录中,日本职棒赛季的最高打率是38.85%。1994年,一郎结束了126次比赛的时候,打率提升至了38.94%。只要剩下的比赛不出场的话,可以自动达成新记录。)
この時、イチローのいたオリックスの残りの試合は、たったの四試合。しかも、もう西武ライオンズの優勝が決まっていた。イチローが新記録達成のために、残りの四試合を休んだとしても、誰も責めはしなかったはずだ。というより、それまでのプロ野球の常識から言って、イチローは休んで当たり前だったのだ。
(这时,一郎所在的欧力士的剩下的比赛只有四场比赛。而且,西武狮的获胜已经确定了。一郎为了达成新记录,就算剩下的四场比赛休赛,也没有人会责备他。不如说,从迄今为止的职棒常识而言,一郎休赛是理所当然的。)
だが、イチローはそうしなかった。「休めばいいのに。」と言う声に耳を貸さず、平然と残りの四試合に出たのだ。そして、その四試合の間に、少しだけ打率を落としてしまい、三割八分五厘の成績でシーズンを終えた。新記録の達成は出来なかった。
(然而,一郎没有这样做。他不听“明明休息就可以了。”坦然地参加了剩下的四场比赛。然后,在四场比赛中,打率稍微下降了一点,最终以38.5%的成绩结束了赛季。没有达成新记录。)
これは、なかなか出来ることではない。史上最高打率の達成と言えば、プロ野球選手にとっては、最高の勲章だ。試合を休みさえすれば、その勲章が手に入ったのに、そして、もしそうしたとしても、誰もとやかく言わなかったはずなのに、イチローはそうしなかった。
(这不是能轻易做到的事。达成史上最高打率对职棒选手来说是最佳的勋章。明明只要休赛,就能拿到这勋章,并且,明明就算休赛,谁也不会批评他,但是一郎没有这样做。)
最高の記録を手にすることが出来たのに、もったいないと惜しむ声もあった。だが、イチローは、全試合に出場してヒットを打ち続けてきたことを、何よりも誇りにしている。
(也有人觉得他明明可以得到最高记录,非常可惜。但是,一郎对全赛出场,持续击球深感自豪。)
イチローは、一九九九年に、デッドボールによる骨折というアクシデントにあい、七百六十三試合も続けた連続試合出場はストップしてしまった。だが、五年に渡って全試合に出場し、首位打者であり続けたことは、プロ野球史上に輝く大記録だろう。
(一郎在1999年,遇到意外,因死球而骨折,持续出场了763场的比赛从而停止了。然而,他五年全赛出场,持续成为首位打者是职棒史上辉煌的大记录吧。)
「イチロー」の名前は、二〇〇一年に、野球を愛する全ての人の胸に刻まれたと言って良いだろう。チームメートだったエドガー·マルティネス選手(元シアトル·マリナーズ)は、当時のインタビューでイチローについてこう語っている。
「イチローはいつも全力でやっている。少年そのものだよ。」
(可以说“一郎”的名字在2001年,刻进了所有热爱棒球之人的心中。他曾经的队友艾德加·马丁尼兹选手(原西雅图水手队)在当时的采访中说到一郎的时候,如此说道:“一郎总是竭尽全力。恰如少年。”)

