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日语《我是猫》第二章(2/4)

2023-01-06 17:58 作者:日本异文化  | 我要投稿

こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を易かえて新道の二絃琴にげんきんの御師匠さんの所とこの三毛子みけこでも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家びぼうかである。吾輩は猫には相違ないが物の情なさけは一通り心得ている。うちで主人の苦にがい顔を見たり、御三の険突けんつくを食って気分が勝すぐれん時は必ずこの異性の朋友ほうゆうの許もとを訪問していろいろな話をする。すると、いつの間まにか心が晴々せいせいして今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大ばくだいなものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側えんがわに坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾しっぽの曲がり加減、足の折り具合、物憂ものうげに耳をちょいちょい振る景色けしきなども到底とうてい形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品ひんよく控ひかえているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛びろうどを欺あざむくほどの滑なめらかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚こうこつとして眺ながめていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音ねだと感心している間まに、吾輩の傍そばに来て「あら先生、おめでとう」と尾を左ひだりへ振る。吾等猫属ねこぞく間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家うちにいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更まんざら悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠おししょうさんに買って頂いたの、宜いいでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音ねですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音ねでしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗あんに欣羨きんせんの意を洩もらす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔あなを三角にして咽喉仏のどぼとけを震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所とこの御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠おししょうさんだわ。二絃琴にげんきんの御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔むかしは立派な方なんでしょうな」「ええ」 君を待つ間まの姫小松…………… 障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾ひき出す。「宜いい声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜いいようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間まが抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何だったんです」「何でも天璋院てんしょういん様の御祐筆ごゆうひつの妹の御嫁に行った先さきの御おっかさんの甥おいの娘なんだって」「何ですって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。少し待って下さい。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうじゃないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院様のでしょう」「ええ」「御祐筆のでしょう」「そうよ」「御嫁に行った」「妹の御嫁に行ったですよ」「そうそう間違った。妹の御嫁に入いった先きの」「御っかさんの甥の娘なんですとさ」「御っかさんの甥の娘なんですか」「ええ。分ったでしょう」「いいえ。何だか混雑して要領を得ないですよ。詰つまるところ天璋院様の何になるんですか」「あなたもよっぽど分らないのね。だから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって、先さっきっから言ってるんじゃありませんか」「それはすっかり分っているんですがね」「それが分りさえすればいいんでしょう」「ええ」と仕方がないから降参をした。吾々は時とすると理詰の虚言うそを吐つかねばならぬ事がある。 障子の中うちで二絃琴の音ねがぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私あたし帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。まさか雑煮ぞうにを食って踊りを踊ったとも云われないから「何別段の事もありませんが、少し考え事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだろうと思って実は出掛けて来たのですよ」「そう。御大事になさいまし。さようなら」少しは名残なごり惜し気に見えた。これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。いい心持になった。帰りに例の茶園ちゃえんを通り抜けようと思って霜柱しもばしらの融とけかかったのを踏みつけながら建仁寺けんにんじの崩くずれから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上に背せを山にして欠伸あくびをしている。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。黒の性質として他ひとが己おのれを軽侮けいぶしたと認むるや否や決して黙っていない。「おい、名なしの権兵衛ごんべえ、近頃じゃ乙おつう高く留ってるじゃあねえか。いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面つらあするねえ。人ひとつけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。説明してやりたいが到底とうてい分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙ごめんこうむるに若しくはないと決心した。「いや黒君おめでとう。不相変あいかわらず元気がいいね」と尻尾しっぽを立てて左へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。気をつけろい、この吹ふい子ごの向むこう面づらめ」吹い子の向うづらという句は罵詈ばりの言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。「ちょっと伺うかがうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体あくたいをつかれてる癖に、その訳わけを聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極きまっているから、面めんと対むかったまま無言で立っておった。いささか手持無沙汰の体ていである。すると突然黒のうちの神かみさんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭しゃけがない。大変だ。またあの黒の畜生ちきしょうが取ったんだよ。ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴どなる。初春はつはるの長閑のどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代みよを大おおいに俗了ぞくりょうしてしまう。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋あごを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。「君不相変あいかわらずやってるな」と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。人を見縊みくびった事をいうねえ。憚はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆さかに肩の辺へんまで掻かき上げた。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻しきりに吹き懸ける。人間なら胸倉むなぐらをとられて小突き廻されるところである。少々辟易へきえきして内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一斤きんすぐ持って来るんだよ。いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣しりんの寂寞せきばくを破る。「へん年に一遍牛肉を誂あつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔あまだ」と黒は嘲あざけりながら四つ足を踏張ふんばる。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」と自分のために誂あつらえたもののごとくいう。「今度は本当の御馳走だ。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。「御めっちの知った事じゃねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足あとあしで霜柱しもばしらの崩くずれた奴を吾輩の頭へばさりと浴あびせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間まに黒は垣根を潜くぐって、どこかへ姿を隠した。大方西川の牛ぎゅうを覘ねらいに行ったものであろう。 家うちへ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側から上あがって主人の傍そばへ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿もめんの紋付の羽織に小倉こくらの袴はかまを着けて至極しごく真面目そうな書生体しょせいていの男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗しゅんけいぬりの巻煙草まきたばこ入れと並んで越智東風君おちとうふうくんを紹介致候そろ水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客しゅかくの対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。 「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯ひるめしを食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続つぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方かたの事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝ひざの上に乗った吾輩の頭をぽかと叩たたく。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立こんだてを見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂あつらえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻ひねってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨かものロースか小牛のチャップなどは如何いかがですと云うと、先生は、そんな月並つきなみを食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西フランスや英吉利イギリスへ行くと随分天明調てんめいちょうや万葉調まんようちょうが食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧おしたようで、どうも西洋料理へ這入はいる気がしないと云うような大気燄だいきえんで――全体あの方かたは洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落しゃれなんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつの間まに洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙かえるのシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶かびんの水仙を眺める。少しく残念の気色けしきにも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟はさむ。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽そこつを詫わびているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二人前ににんまえ持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目まじめな貌かおでメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽こっけいなんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様おあいにくさまでメンチボーなら御二人前おふたりまえすぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐かいがない。どうかトチメンボーを都合つごうして食わせてもらう訳わけには行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真まことに御生憎で、御誂おあつらえならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私わたくしも仕方がないから、懐ふところから日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数てすうが掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前すすめる。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾いかんですな、遺憾極きわまるですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝ひざが揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着とんじゃくなく笑う。アンドレア・デル・サルトに罹かかったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊とちめんぼうを種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯ひるめしの時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉のどを鳴らす音が主客しゅかくの耳に入る。 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済すます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注さす。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏ふしでも附けて、詩歌しいか文章の類るいを読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々おいおいは同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天はくらくてんの琵琶行びわこうのようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村ぶそんの春風馬堤曲しゅんぷうばていきょくの種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物しんじゅうものをやりました」「近松? あの浄瑠璃じょうるりの近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極きまっている。それを聞き直す主人はよほど愚ぐだと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀ていねいに撫なでている。藪睨やぶにらみから惚ほれられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬ごびゅうは決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子とうふうしは主人の顔色を窺うかがう。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極きめてやるんですか」「役を極めて懸合かけあいでやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でっちでも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装いしょうと書割かきわりがないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原よしわらへ行く所とこなんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾かたむける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠かすめて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁おいらんと仲居なかいと遣手やりてと見番けんばんだけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっと苦にがい顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家しょうかの下婢かひにあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋おんなべやの助役じょやく見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色こわいろを使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属れいぞくするもので、遣手は娼家に起臥きがする者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指さすのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司つかさどっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢とんちんかんなものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯くちひげを生やして、女の甘ったるいせりふを使つかうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪しゃくを起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「私わたくしは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務つとまるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩もらす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾りゅうとうだびに終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。私わたくしが船頭の仮色こわいろを使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐こらえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極きまりが悪わるい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後あとがつづけられないので、とうとうそれ限ぎりで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏のどぼとけがごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を撫なでてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞ちょうじを述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版こぎくばんの帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印ごなついんを願いたいので」と帳面を主人の膝ひざの前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃せいぞろいをしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生かきせんせいは掛念けねんの体ていに見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表おひょうし被下くださればそれで結構です」「そんなら這入はいります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば謀叛むほんの連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之のみならずこう知名の学者が名前を列つらねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張ほおばる。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮ぞうに事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形いんぎょうを持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切ひときれ足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。 東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間まにか迷亭先生の手紙が来ている。 「新年の御慶ぎょけい目出度めでたく申納候もうしおさめそろ。……」 いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後そのご別に恋着れんちゃくせる婦人も無之これなく、いず方かたより艶書えんしょも参らず、先まず先まず無事に消光罷まかり在り候そろ間、乍憚はばかりながら御休心可被下候くださるべくそろ」と云うのが来たくらいである。それに較くらべるとこの年始状は例外にも世間的である。 「一寸参堂仕り度たく候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以もって、此千古未曾有みぞうの新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上候そろ……」 なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。 「昨日は一刻のひまを偸ぬすみ、東風子にトチメンボーの御馳走ごちそうを致さんと存じ候処そろところ、生憎あいにく材料払底の為ため其意を果さず、遺憾いかん千万に存候ぞんじそろ。……」 そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。 「明日は某男爵の歌留多会かるたかい、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」 うるさいなと、主人は読みとばす。 「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候そろ為め、不得已やむをえず賀状を以て拝趨はいすうの礼に易かえ候段そろだん不悪あしからず御宥恕ごゆうじょ被下度候くだされたくそろ。……」 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。 「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度たき心得に御座候そろ。寒厨かんちゅう何の珍味も無之候これなくそうらえども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候おりそろ。……」 まだトチメンボーを振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。 「然しかしトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候かねそろも計りがたきにつき、其節は孔雀くじゃくの舌したでも御風味に入れ可申候もうすべくそろ。……」 両天秤りょうてんびんをかけたなと主人は、あとが読みたくなる。 「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半なかばにも足らぬ程故健啖けんたんなる大兄の胃嚢いぶくろを充みたす為には……」 うそをつけと主人は打ち遣やったようにいう。 「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可べからずと存候ぞんじそろ。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋抔などには一向いっこう見当り不申もうさず、苦心くしん此事このことに御座候そろ。……」 独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫ごうも感謝の意を表しない。 「此孔雀の舌の料理は往昔おうせき羅馬ローマ全盛の砌みぎり、一時非常に流行致し候そろものにて、豪奢ごうしゃ風流の極度と平生よりひそかに食指しょくしを動かし居候おりそろ次第御諒察ごりょうさつ可被下候くださるべくそろ。……」 何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。 「降くだって十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候あいなりおりそろ。レスター伯がエリザベス女皇じょこうをケニルウォースに招待致し候節そろせつも慥たしか孔雀を使用致し候様そろよう記憶致候いたしそろ。有名なるレンブラントが画えがき候そろ饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘まま卓上に横よこたわり居り候そろ……」 孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。 「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成あいなるは必定ひつじょう……」 大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。 「歴史家の説によれば羅馬人ローマじんは日に二度三度も宴会を開き候由そろよし。日に二度も三度も方丈ほうじょうの食饌しょくせんに就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸かもすべく、従って自然は大兄の如く……」 また大兄のごとくか、失敬な。 「然しかるに贅沢ぜいたくと衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪むさぼると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候そろ……」 はてねと主人は急に熱心になる。 「彼等は食後必ず入浴致候いたしそろ。入浴後一種の方法によりて浴前よくぜんに嚥下えんかせるものを悉ことごとく嘔吐おうとし、胃内を掃除致し候そろ。胃内廓清いないかくせいの功を奏したる後のち又食卓に就つき、飽あく迄珍味を風好ふうこうし、風好し了おわれば又湯に入りて之これを吐出としゅつ致候いたしそろ。かくの如くすれば好物は貪むさぼり次第貪り候そうろうも毫ごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申もうすべきかと愚考致候いたしそろ……」 なるほど一挙両得に相違ない。主人は羨うらやましそうな顔をする。

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