空言舌語・讲究vs拘泥
原文:こだわり
おいしい店や料理を紹介するリポートが盛んに放送されるようになったのは、20年ほど前からでしょうか。私も料理の取材には何度も出かけたものです。しかし、味を伝えるのはとても難しい。どのアナウンサーも取材中は料理を味わう余裕などなく、頭の中では味をどう表現しようかと、様々な言葉が渦巻いているのです。 ところで、昨今の料理リポートに必ずといえるほど登場する言葉が、「こだわり」です。「こだわりの逸品」「素材にこだわった○○」「シェフのこだわりは…」というように、「こだわり」がおいしい料理を生むという図式が料理リポートにはあるようです。 しかし、ここで少し考えてください。「こだわり」ってこんな使い方をする言葉だったでしょうか。皆さんも、こう言われた経験があるはずです――「いつまでそんなことにこだわっているんだ!」と。 そもそも「こだわり」は、否定的な状況に使われる言葉で、「つまらないことを必要以上に気にかける」というのが本来の意味であった筈です。 国語辞典でおなじみの金田一京助さんは「こだわる」の用例として、「自説にこだわる」「メンツにこだわる」「目先の利害にこだわる」「枝葉末節にこだわる」などをあげ、否定的な言葉として扱っています。同義語としては「拘泥・固執・執着」があげられるように、まさしく「小事にこだわり大事を忘れる」のが「こだわり」の姿なのです。ですから料理人の真摯な努力を「こだわり」の一語ですませることはできません。 従って、私は料理リポートでは「こだわり」を口にしないように心掛けていました。 とはいえ、誤用が日常になると誤用でなくなる。これを「誤用の一般化」といいますが、最近では積極的な意味での「こだわり」を認める辞書も出はじめてきました。まさか、料理リポーターのせいではないと思いますが…。 赤信号みんなで渡れば……ではあるまいし、頑固者、意地っ張りと言われても、私だけは原則に忠実に「こだわり」を使おうと思っているのです。
訳文:
大概20年前开始就十分流行放映一些美食探店的测评。我也做过不少次关于美食的采访。采访中每个主持人都无暇品尝美食,脑子里想着的都是该如何描述食材的滋味。 不过,近来频频登上美食测评的一个词是“こだわり”(在此可理解为讲究)。比如“很讲究的菜品”、“某某菜的食材很讲究”“厨师在…方面很讲究”此类用词,在测评美食中“讲究”成了做出美食的关键。 但是我想请大家稍微思考一下。日语中“こだわり”这个词有这种用法吗?“你究竟还要在那件事上纠结多久!”这句话大家一定耳熟能详吧? 原本这个词使用的语境比较消极,原来的意思应该是:“拘泥于一些没有必要纠结的事”。 关于“こだわり”的例句,我们的老熟人金田一京助在国语辞典里是这么列举的:“固执己见”“碍于面子”“只顾眼前利益”“拘泥于细枝末节”等等,都是些消极的语境。看看它的近义词“拘泥、固执、执着”,“こだわり”表现的分明是“因小失大”的形象。所以用这个词来描述厨师真挚的努力还远远不够。 因此,我本人在反馈时会注意不用这个词。 虽说如此,当一个词用错的人多了,可能就变得不是错用了。这叫做“普遍化错用”,而最近有些字典里则收录了“こだわり”积极的含义。没想到这居然不是美食测评人的错…… 试想如果所有人都闯红灯……但这不是一回事。就算我被批成老顽固,我依旧会坚守原则,忠实地使用“こだわり”本来的含义。